新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

岡田彰布氏は言った

2021-04-09 08:56:17 | コラム
スポーツ中継の解説者を論評すれば:

昨日まで3晩続けて阪神対読売の野球中継を見ていた。私は以前からプロ野球の中継に登場する「解説者」なるものは、単なる野球説明者に過ぎず、言うなれば第2のアナウンサーの如き存在であると酷評してきた。いや、第2どころかアナウンサーよりも懇切丁寧に野球中継をしている解説者もいるようだ。しかも、この手の似非アナウンサーたちは、先ず選手たちを褒める事はあっても批判的な事は言わないというか、言えないようなのだ。厳しい言い方をすればオベンチャラばかりなのだ。

ある競技の社会人リーグのコーチや助監督を務めた者に言わせれば「迂闊に同業者を貶してしまえば、彼自身が現場に戻れる可能性を放棄していたのと同様な事になるのだし、その業界の居場所を失いかねない。故に、彼らは現場の監督やコーチや選手たちを褒める以外はないのだ」と言う事だそうだ。これならば立派な「解説」になっている。それかあらぬか、プロ野球ではまともにと言うか真っ向から「駄目なプレー」や「下手なプレー」を指摘し扱き下ろしたのは、広岡達朗氏と故野村克也氏くらいのものだった。彼らは優れた監督さんだったし、誰にも気を遣う必要などない存在だからこそ、あのようにズバリと言えたのだと思っている。

この阪神対読売の3試合の解説者で、私が「なるほど。そういう事だったか」と納得する指摘をしていたのが、2試合目の解説をした阪神の元監督・岡田彰布氏だった。私は第1戦から阪神のさして強力とも思えない打者たちが読売の投手たちを打ち崩すのを見て「もしかして阪神の打線は凄いのか」と思わせられていた。ところが、岡田氏は「読売の大城捕手のリードが余り決まり切った配球になっているので、完全に読まれている。大城以外には捕手がいないのか」と、かなり手厳しい批判をしていた。「なるほど、そういう事だったか」と納得した。

私はこの辺りに原辰徳監督というか、歴代の読売の監督たちが起用する捕手に問題があったと思っている。大城の前任者はかの阿部慎之助だが、この人は歴代の監督が打力を評価して何度か一塁手に転向させようとしていた。その為に使われるようになったのが小林誠司だったが、マスコミが用いる小林の枕詞は「強肩」であっても「リードが上手い」と言った事など聞いた事がなかった。大城も原監督が屡々一塁手に使っているほど「良く打つ」捕手のようであっても、決して頭脳的な捕手ではないようだ。その点を岡田氏はズバリと言ってのけたのだった。

その岡田氏の痛烈な批評が原監督にまで達していたかどうか知る由もないが、昨夜の第3戦目には西武から通算すれば老練で野球を知っているはずの、プロ16年目目の炭谷銀仁朗を使ってきた。配する投手には余りこれといった特徴がない高橋優希だった。それがどうだろう、炭谷の配球宜しく確か6回まで阪神に1本のヒットも打たせぬ大好投だったのだ。特に目立ったのが高橋が得意とする「スクリューボール」なるものを前半は全く見せずに、ここぞというピンチに使って、当たっているサンズを見事に三振に切って取って見せた。捕手が違えばこれほど違うのかと感心したほど、読売は阪神を押さえ込んで見せた。結局は、元はと言えば阪神の監督だった岡田彰布氏だったからこそ、大城は駄目だと断言できたのだと思っている。これぞ解説者だろう。

私は我が国の解説者たちが喋りすぎるのも、言わば我が国の野球界の独特の文化だと見ている。だが、その昔に如何にも知性的な解説者として登場した佐々木信也君を「彼は単なる野球説明者に過ぎない」と貶したが、あれほど気配りをした佐々木君は遂に野球界には復帰していなかった。私が言いたい事は「良いプレーだった」とか「素晴らしい変化球の切れ」などと言ってくれなくても、テレビ中継では見ていれば解る事だ。私の考えでは、解説者に求められている事は「何が良かったか」や「何処が間違っていたか」や「この打者はこの欠点を修正か改善すべきだ」という類いの指摘ではないのだろうか。お為ごかしのコメントなどは不要だ。

それだけではない。お断りしておくと「アメリカ礼賛」ではないが、アメリカの解説者たちは殆ど求められるまでは喋らないのだ、恰も「見ていれば解るでしょう」と言わんばかりに。高校野球の解説にNHKが遣う方の中に、余り喋らない人が1人おられる。だが、この方は「左投手の1塁牽制球は右投げの人が1回転して投げるように速い投球ではないので、意外にアウトにはならないのである」と指摘された。そう聞いたのは初めてだったので、大いに勉強になった。事実、右投げの投手の方がアウトに出来る確率が高いように思える。これも「これぞ立派な解説」だとしておきたい。