政治は腐敗している:
10日の午前中に聞いた番組で、京都大学の藤井聡教授が「そこまで言っても良いのだろうか」と気になったほど、菅義偉総理大臣を扱き下ろしていた。それは、何気なく好い加減にザッピングとやらをしていて出会った番組なので、何チャンネルかも知らずに藤井教授が厳しく批判しておられるのを11時半近くまで聞いていた。終わってから新聞のテレビ欄で確かめようとしたが、不思議な事に、何処にも藤井教授が出演されるという番組は載っていなかった。幻でも聞いて(?)いたのか、幻覚かと我を疑った。藤井教授はご丁寧に「腐敗を英語では“corruption”というのだ」と女性のキャスターに解説されていた。
かなり長時間の番組で、後半にはその道の専門家のゲストまで登場されて「政治の腐敗と官僚の弱体化」を論じておられた。要するに「如何に菅義偉総理の政治手法が好ましくなく、政治が腐敗してしまったのは何故か」を、独特の口調で論じておられたのだった。私には永年聞き慣れていたし、東京生まれの私でも大阪支店勤務中には東京人とは思われないほど使いこなしていた関西弁で厳しく語っておられたので、余計に迫力がでていたので、ついつい聞き入ってしまった。繰り返しになるが「テレビでそこまで言っても良いのだろうか」と何度も感じさせられたほど、激しい表現なのだが、関西弁だと何となく穏やか目に聞こえたのだった。
そこで覚えているままに、藤井教授の論旨を纏めてみようと思う。それは第一に「官邸に官房長官として7年8ヶ月もおられ、内閣人事局の長として高級官僚(審議官以上か、またはこれと思われる課長級)の人事を一手に握り、昇進・格下げ・左遷を思うが儘に取り扱っていた為に官僚たちに怖れられ恐怖感を与え、本来は悪い意味ではない言葉の『忖度』を現在のような使われ方に変えてしまった政治家だ」から始まるのだ。事実「ふるさと納税に反対された局長を左遷した」と国会で明言された事まで指摘された。そこから更に「その人事を抑えた事で、官僚とはそもそも上を見て仕事をする人たちだが、その傾向を一層助長させ、官僚を骨抜きにして、その組織を弱体化させたのである」と広がっていった。
次には菅正剛氏に矛先が及び「自分の息子を秘書に使ってから、官僚の間にその存在を認識させただけに止まらず、就職先で総務官僚の接待役を演じさせ、官僚たちに正剛氏と顔つなぎが出来れば究極的に人事局にも伝わるかの如くに思わせたのではないのか」というように、些か推論的な論調まで展開されたのだった。そこには少し無理があるかに思ったが、藤井教授が「腐敗」=corruptionと強調される所以は「人事を掌握しておられる怖い方の意に反する事がないように忖度をする官僚が増えた事は官庁を弱体化させた結果に繋がっていった、これ即ち腐敗である。大臣ともあろう者が用いても良い手法ではない」と決めつけられたのだと聞こえた。
官房長官に在任しておられた頃に、所管しておられた人事局の長として怖れられていたという話は聞いた事があった。だが、あそこまで真っ向から批判するような専門家もジャーナリストもいなかったので、矢張り「そこまで言われても良いのでしょうか。ある程度はその通りかとも思われる箇所が幾らかあっても」と感じていた。即ち「そういう手法で現在の難局に対峙しておられるのでは、COVID-19対応にして後手を踏んでいる状況だ。そこにバイデン大統領との世界で最初の首脳会談も迫っているが、この総理大臣で良いのか」との指摘だったのだ。正直な所「あれよ、あれよ」と思って聞いていた1時間ほどだった。上述の要約が正確か否かは保証の限りではないが、要点は「真っ向からの菅義偉総理大臣批判論だった」とご理解願いたい。
あれはMXテレビだったような気もするが、何故かとうとう確認できなかった。もしもそうだったのであれば、「小池都知事の管轄下にある局だから・・・」という事もチラと脳裏をかすめた。だが、「如何に何でもそこまでは・・・」と思っている。でも、不思議な聞き物だった。何方か、私以外に聞いておられた方はおられるのだろうか。
10日の午前中に聞いた番組で、京都大学の藤井聡教授が「そこまで言っても良いのだろうか」と気になったほど、菅義偉総理大臣を扱き下ろしていた。それは、何気なく好い加減にザッピングとやらをしていて出会った番組なので、何チャンネルかも知らずに藤井教授が厳しく批判しておられるのを11時半近くまで聞いていた。終わってから新聞のテレビ欄で確かめようとしたが、不思議な事に、何処にも藤井教授が出演されるという番組は載っていなかった。幻でも聞いて(?)いたのか、幻覚かと我を疑った。藤井教授はご丁寧に「腐敗を英語では“corruption”というのだ」と女性のキャスターに解説されていた。
かなり長時間の番組で、後半にはその道の専門家のゲストまで登場されて「政治の腐敗と官僚の弱体化」を論じておられた。要するに「如何に菅義偉総理の政治手法が好ましくなく、政治が腐敗してしまったのは何故か」を、独特の口調で論じておられたのだった。私には永年聞き慣れていたし、東京生まれの私でも大阪支店勤務中には東京人とは思われないほど使いこなしていた関西弁で厳しく語っておられたので、余計に迫力がでていたので、ついつい聞き入ってしまった。繰り返しになるが「テレビでそこまで言っても良いのだろうか」と何度も感じさせられたほど、激しい表現なのだが、関西弁だと何となく穏やか目に聞こえたのだった。
そこで覚えているままに、藤井教授の論旨を纏めてみようと思う。それは第一に「官邸に官房長官として7年8ヶ月もおられ、内閣人事局の長として高級官僚(審議官以上か、またはこれと思われる課長級)の人事を一手に握り、昇進・格下げ・左遷を思うが儘に取り扱っていた為に官僚たちに怖れられ恐怖感を与え、本来は悪い意味ではない言葉の『忖度』を現在のような使われ方に変えてしまった政治家だ」から始まるのだ。事実「ふるさと納税に反対された局長を左遷した」と国会で明言された事まで指摘された。そこから更に「その人事を抑えた事で、官僚とはそもそも上を見て仕事をする人たちだが、その傾向を一層助長させ、官僚を骨抜きにして、その組織を弱体化させたのである」と広がっていった。
次には菅正剛氏に矛先が及び「自分の息子を秘書に使ってから、官僚の間にその存在を認識させただけに止まらず、就職先で総務官僚の接待役を演じさせ、官僚たちに正剛氏と顔つなぎが出来れば究極的に人事局にも伝わるかの如くに思わせたのではないのか」というように、些か推論的な論調まで展開されたのだった。そこには少し無理があるかに思ったが、藤井教授が「腐敗」=corruptionと強調される所以は「人事を掌握しておられる怖い方の意に反する事がないように忖度をする官僚が増えた事は官庁を弱体化させた結果に繋がっていった、これ即ち腐敗である。大臣ともあろう者が用いても良い手法ではない」と決めつけられたのだと聞こえた。
官房長官に在任しておられた頃に、所管しておられた人事局の長として怖れられていたという話は聞いた事があった。だが、あそこまで真っ向から批判するような専門家もジャーナリストもいなかったので、矢張り「そこまで言われても良いのでしょうか。ある程度はその通りかとも思われる箇所が幾らかあっても」と感じていた。即ち「そういう手法で現在の難局に対峙しておられるのでは、COVID-19対応にして後手を踏んでいる状況だ。そこにバイデン大統領との世界で最初の首脳会談も迫っているが、この総理大臣で良いのか」との指摘だったのだ。正直な所「あれよ、あれよ」と思って聞いていた1時間ほどだった。上述の要約が正確か否かは保証の限りではないが、要点は「真っ向からの菅義偉総理大臣批判論だった」とご理解願いたい。
あれはMXテレビだったような気もするが、何故かとうとう確認できなかった。もしもそうだったのであれば、「小池都知事の管轄下にある局だから・・・」という事もチラと脳裏をかすめた。だが、「如何に何でもそこまでは・・・」と思っている。でも、不思議な聞き物だった。何方か、私以外に聞いておられた方はおられるのだろうか。