新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月20日 その2 迷惑メール

2021-04-20 09:31:11 | コラム
また猥褻メールが:

過去に何時までどのくらいの期間続いたのかを思い出す気もしないこの手のメールだ。それが一昨日から1本づつ現れるようになった。何処の何方が熱心に手がけておられるものか知らないが、あれがまた群を為して襲ってくるのかも知れないと思う時、COVID-19の第4波ほどではないにもせよ、やや気落ちさせられるのだ。

あの手のメールが来なくなってからも、たの未だお手柔らかな迷惑メールは1日に2~4本は来ていた。それらはOCNがブロックしてくれているが、某MS銀行関連、アマゾン、樂天、Chilizとやらのtokenをくれるとか言うのが主力になっている。要するに通販とECか銀行関連が多いという事。当方はOCNが仕分けてくれているから防いでいるが、この手に引っかけられる人がいるから、彼らは執拗に送信し続けるのかなと思っている。

何とか切り抜けていても、時には正常なメールを誤って迷惑とされている事があるので、毎朝詳細を開いてから削除せねばならないのも面倒で、矢張り迷惑なのである。私以外の方にはこの手のメールが襲ってくる事はないのだろうか。

「当たり前田のクラッカー」

2021-04-20 08:52:48 | コラム
前田製菓を回顧すれば:

一昨日だったか、渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」誌上に北村維康氏が前田製菓の懐かしきテレビCM「俺がこんなに強いのも当たり前田のクラッカー」に触れておられたので、当方もついつい振り返ってみようかと思うに至りました。このCMは今は亡き藤田まことが「てなもんや三度笠」の冒頭で言っていた台詞でした。私が日本の会社時代に昭和37年(1962年)4月にに大阪支店勤務を命じられた頃から始まった喜劇で、関西地方ではそれはそれは大した人気でした。未だ関西の言葉を自由に操れなかった頃だったので、この番組は大いに勉強になりました。

話はこれだけに止まらず、我が大阪支店の得意先の中にその前田製菓があり、私が担当する事になっていたのでした。どのような経緯で始まった取引かは知りませんでしたが、あのクラッカーの包装材料になっている紙を納入する仕事でした。だが、この商いは前田製菓と製紙会社と直接の話し合いで動いていたので、代理店の担当者だった私の役目はと言えば、月に一度だけ南海電鉄を堺東駅まで乗って、何処にあったのか今となっては全く記憶がない、前田製菓に集金に行くだけでした。大阪支店には4年弱勤務しましたが、大阪府堺市に行っていたのはこの時だけでした。

生まれて初めての関西地方の勤務で、それも全く地理不案内の堺市に行ってこいと言われて、非常に不安な気持ちで南海電車に乗った事と、「てなもんや三度笠」に、藤田まことに、白木みのるを思い出させて頂けた北村氏の投稿でした。その後、前田製菓はどうなっているのかとWikipediaで調べれば、現在でも活動している様子で何故かホッとした次第。1962年とは59年も前だったとは、唯々驚いたほど昔の事なのでした。