新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月8日 その2 国の内外の問題点

2021-04-08 15:25:59 | コラム
菅首相と内閣が抱える問題点を考えて見た:

4月16日に迫ったバイデン大統領との首脳会談:

深く考えないでも、この会談には難しい議題が多いと思う。私如きには未だ未だ民主党のバイデン大統領の正体がハッキリとは解らないので、何も菅首相に対してどのように接してくるかと言うよりも、我が国をどのように扱う気かが見えていないのだ。即ち、菅内閣が中国に気兼ねしてかしていないのか、ウイグルの人権問題に関して中国に制裁を科すのか科さないのかの点では、加藤官房長官が「そのような規定はない」と答えたのでは、アメリカ側が「そうだったのかい」と、穏やかに納得してくれるとは思えないので、突っ込まれるように思える。

また、菅首相は先週のフジテレビの番組で橋下徹氏に「もしも台湾有事の際には、集団的防衛権を行使するや否や」と突っ込まれて「仮定の問題には答えを差し控える」とだけしか言わなかった。尖閣諸島に対して中国があれほど露骨に奪取の意図を見せても「安保条約でアメリカが」と繰り返して言っておられたのでは、バイデン大統領が全てトランプ大領の逆を行く姿勢を見せておられるのであれば、そのままアメリカ軍が我が国の為に中国を抑えると見ていても良いのだろうかと、考え込んでしまう。

安倍前総理もトランプ大統領に繰り返してDPRKの拉致問題解決の援助を申し入れて、聞き届けて貰ったし、金正恩にもその旨を伝えて貰っていた。トランプ大統領の政策の逆を行きつつあるバイデン大統領が何時「それならば、自分でDPRKに赴いて、直接に金正恩と差しで交渉すれば良いじゃないか」との札を切ってくるかとの不安を感じさせてくれる。このように否定的な材料ばかり採り上げたのは他でもない。

バイデン大統領は同盟国との関係を重視すると表明されていたが、悲観論者の私は「何分にも過去の民主党政権の我が国に対するつれない仕打ちを顧みれば」と言いたいのだ。マスメディアはしきりに「バイデン大統領が相対で会談される世界で最初の首脳が菅首相だ」と騒ぎ立てているが、それだけのことで楽観していても宜しい時期ではないと思っているのだ。私の悲観論が外れる事を心から願うだけだ。

韓国で文在寅政権がソウルと釜山市長選挙で敗れた:
我が国のメデイアは余りこの件では大騒ぎはしていないようだ。だが、専門家たちは文在寅大統領のレームダック化であるとか、次期大統領選には先日辞任した尹検事総長がどうのと噂している。私はそれについては黙って見ていれば良い案件であり、我が国が心配すべき事柄は、力が落ちる所まで落ちるだろう文大統領がこれまでの前任者たちが打って出た「反日」と「抗日」の方向に進むことを懸念するのだ。それは「司法には介入しない」と逃げ回っていた朝鮮半島労務者関連の判決の法的手続きを進ませて、我が国の企業の資産を現金化させる事などが直ちに思い浮かんだのだ。

マスコミは最近の文大統領の我が国に媚態を見せ始めた姿勢を喜ばしい事のように報じていたが、今日までの所では何らの目に見える結果など出ていない。悲観的に深読みすれば「文大統領はもしかして今日あるを予感して、あの件は放置しておいて最後の切り札(悪足掻き?)にでも活用する気だったのかも知れない」となる。安倍政権の頃から「この件は1965年の協定に基づいて韓国の責任において善処されるべき事」とされてきた、仮令文大統領と言うか韓国側に善処の意志など更々ないと承知していても。

菅首相に現時点で「もしも、文大統領が差し押さえた我が国の会社の資産の現金化を進めれば」と問いかけると「仮定の案件に対する答えは差し控える」と言われてしまうのだろうか。菅首相はこのような案件の処理をせねばならない時期だと承知で総裁選出でられたのではないのだろうかと、考えて込んでいる今日この頃だ。「子供庁設置」も重要な問題だろうが、こちらにも集中して頂いて、文在寅大統領とも首脳会談を開催して頂きたいと思うのだ。

国内の問題:
「第4波の襲来と変異株の影響が明らかになってきた以上、蔓延防止で対処するのか、緊急事態宣言よりも強硬な都市封鎖までを視野に入れるのかを考えても良い時期に至っているのではないか」という問題。


第4は襲来の危機に思う

2021-04-08 08:27:15 | コラム
人々の行動に問題が:

これは、尾身茂氏の発言からマスコミを真似て、切り取ったものだ。前後を良く聞いていなかったが、どうやらこの期に及んで新型コロナウイルス(COVID-19)の感染の拡大が全国で止まらなくなった現象を捉えて言われた事のようだった。私は遺憾ながら、その通りだと思っている。緊急事態宣言を解除する前から、テレビの画面で見る大都市の盛り場における人出の異常だとも思える多さこそが「人々の行動」なのである。あれでは如何に政府が後手後手と批判されつつも懸命に講じているウイルス制圧策を台無しにするだけだ。

間抜けなカタカナ語の「ストレス」を使って「その解消の為に出歩く」というのがあるが、あれは「フラストレーション」の誤りなのである。政府の要請を素直に受け入れてずっと自粛していた不満を解消しようと思って、一斉に出歩いた者たちもいるが、それ以前に多くの若者たちは「COVID-19何するものぞ」と誤認識して出歩いていた。飲食の場が9時で閉められれば、野外で群を為して飲む事までするようになっていた。これも「人々の行動の問題」以外の何物でない。性善説の國ならではの失敗だったようにしか、私には思えないのだが。

その「人々の行動」が、大阪での連日の記録的な感染者の増加であり、東京でも同様な流れにあり毎日の感染者が前週の記録を更新し続けている有様だ。それでも、我が国における感染者の数も不幸にも亡くなられた方の数は、他の先進国のそれを遙かに下回っている。だが、私には事態は最早性善説に基づいた要請では抑えきれないほど、変異株の出現によって悪化したのではないかとしか見えないのだ。となれば、要請するのではなく、都市封鎖か罰則を伴う外出禁止令でも発しない事には、収まらないような気がしてならない。飲食街を見回って済む状況かと言う事。

そこに輪をかけたのが、誰が権限を持って決めたのか私には解らない「聖火リレー」を始めてしまった事。これまでに何度か指摘したが英語での表現は“the Olympic flame”であって、何処にも「聖」などという字はない。このリレーを開始する前に当局(JOCそれとも組織委員会、または政府か?)は応援(観覧?)する国民に「沿道で密にならないよう」にお願いしていたと思う。だが、「もうこの機会を逸すれば二度と見られない」と誰にも解っている事なので、案の定「密」などという生易しい状態には収まっていなかった。

未だオリンピックの炎が回った県で感染者が激増したとの報道はないが、あの開始時期が適切だったかどうかとの議論は、何れ出てくるのではないか。我が国ではオリンピックを少し過剰に「神聖なる催し物として崇め奉っているのではないか」という気がしてならない。確かに尊い世界的大運動会であった時期もあったが、今や内容が変貌してきてしまっている。「聖なるもの」とするのは措くが、そうだからと言ってCOVID-19の感染拡大の危険性を否定しきれない催し物を、恰も国事の如くに進める事が果たして良い事なのか、正しいのかを、今から再検討しても良くはないか。

私はここにもまた「人々の行動の問題」が出てくると思っている。そこに「意識」の問題も加えたいのだ。即ち、COVID-19に感染するかも知れない危険を冒してまで沿道に並んで見るべき行事かを考えたらどうなのかと言いたいのだ。私は変異株の蔓延は、政府の不手際も一役買ってると疑っている。即ち、水際で完全に異国の人や帰国者を制限出来ていなかったようだと言いたいのだ。重ねてカタカナ語まで使って言えば「皆様は敢えてその感染と生命のリスクを取ってまで、オリンピックの炎を見たいのですか」と問いかけたいのだ。