新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月13日 その2 偶には英語の話を

2021-04-13 15:11:38 | コラム
英語の零れ話:

英語の本ばかりを読む:

今朝ほど、President誌の最新号で翻訳家の関 美和さんが「翻訳を専門にするようになってからは、英語の本ばかり読んでいた」と述べておられたのには興味があった。私は朝から晩まで殆ど英語だけで仕事を忙しくするほど商売繁盛となり、年に6回も7回もアメリカ往復をするようになってからは、飛行機の中でも何処でも意識的に英語の本ばかり読んでいた。また、最も難解だとの定評があったTIMEも予約購読し、1988年春までは片道105分もかかる朝の通勤電車の中で、一所懸命に読んでいた。それに馴れてきても、TIMEの難しさでは1時間に精々10ページも読み切れるか否かの程度だった。

TIMEは予約した時の景品で専用の小型の携帯用英和辞典をくれたのだが、難解な表現に出会っても車内では辞書を引くことなく、繰り返して小声で音読して前後の流れで、何とか意味を読み取るように努めていた。TIMEはノースウエストでは機内に置かれていたので、アメリカ行きの往路では眠くなるまで懸命に読んでいたものだった。だが、往路の車内で読むことは、88年4月にここ新宿区に越してきてからは何となく止めてしまった。

何故、それほど英語の単行本と雑誌を読みまくっていたかと言えば「自分の国の言葉ではない英語で仕事をしている以上、何とかして英語に接する機会を増やして本を読んでおけば、そこで学び取った優れているか、自分では思いつかないようなnative speaker並みの表現を少しでも多く頭の中に入れておけるかも知れない。そうすれば、きっと何時かは『これと思う時』に運良く思い出せるかも知れない」と考えていたからである。関さんではないが、その為には極力英語の本を読んでおこうという事。

幸いなことに我が事業部の秘書さん他の女性たちは読書家が多いので「今売れていて読むべき小説は」と尋ねていた。彼女らに推薦されたのは概ね経済小説で、アーサー・ヘイリーやジョン・グリシャムやケン・フォレット等で、荷物にならないように何時も空港でペーパーバックを買っていたものだった。

格好が良いことを言えば「少しでも英語の能力を向上させて、日常の業務に役に立つようにしよう。それが英語で言う“job security“に繋がっていくだろうから」と考えていたのだった。決して英語が好きだったという訳ではなかったとは言えると思う。

日本語にしにくい英語の表現:
I’ll tell you what.:

つい最近のことで、テレビから聞こえた音声の中で「それは日本語に訳しにくいだろうし、そんな表現を訳そうなどとしないでそのまま覚えておくと良い。そして、それが使えそうな時が来たら何とか思い出して試してみれば良いのでは」というのがあった。それは、“I’ll tell you what.”だった。この表現はそれ単体では使われることは余りないと思うが、敢えてその意味を表してみれば「良い事を教えて上げる」というような提案を言う前に、振っておく言葉なのだ。

初めて聞いた時は、同じ部の同僚たちと昼食に社外出た時の事で、何を食べるかが決まっていなかった。そこで日本食か中華にするかで意見が割れたのだった。すると、最年長の当時の技術サービスマネージャーが“I’ll tell you what. Let’s go to Mexican.”と提案して決着した。知らない言い方だったので、後で他の者に「あれって何の事」と、聞くは一時の恥で教えて貰った。これを敢えて日本語に訳しますが「何かを教えて上げる」と。

They could have done without it.:
これも中々日本語にしにくいと思う。これを聞いたのは、国内であるパーティーに参加した時に主催者が気を利かして入れたジャズのフルバンドの演奏は良かったのだが、如何せん音量が大きすぎた。私が何気なく耳を塞ぐ動作をした時のことだった。それを見ていたアメリカの紳士が“They could have done without it.”と肩をすくめて言ったのだった。意訳すれば「バンドなど呼ばなくても良かったのに」とでもなるだろう。「それなしで済ませられたのに」では格好が付くまい。英語には案外にこう言う日本語にはないような「感情等の微細な表現」(≠ニュアンス)を表す言い方があるのだ。これも、そのまま覚えておけば、何時かは応用して使える時が来るかも。

“That’s more than we need,”:
これはアーサー・ヘイリーの小説の中にあった台詞だと記憶する。その場面では、言わば些細な事件が起きた時に必要以上の騒ぎになって、パトカーや救急車が駆けつけるような事態になってしまった時の事。その状態を見た主人公が眉をひそめて“That’s more than we need.”と一言。無理に意訳すれば「そんな大騒ぎをすることではないのだ」とでもなるだろうか。または「そこまでやる問題じゃないのに」辺りになるか。

結び:
これらの例文に言えることは「殆どが言わばやさしい単語ばかりだが、それらの集合体はそれぞれの元の単語の意味とは離れた表現になっている」という点だと思う。この辺りが英語の嫌らしい所であり、面白い点でもあるので困るのだ。


「トリチウムを含んだ水」を如何に処理するか

2021-04-13 08:46:23 | コラム
政府は内外に向けて「無害である」と明確に表明すべきだった:

実は、この福島原発の限界に近付きつつある処理水(マスコミも何処も「汚染水」としているが、NHK政治マガジンは意外な事に「トリチウム(三重水素)などを含む水」との表現を用いていた)を如何にして処分するかは永年の課題だったが、菅内閣は海洋に放出する方針のように報じられ、国会でも野党から真意を質す質問があった。

しかし、菅首相は未だ閣議決定もしていないと答えられ、既に全漁連の会長とも会談されていた。会長の最大の懸念は言うまでもなく「放水による風評被害」だったようだ。だが、ここまでの何ら具体的な決定が為されていない段階で、早くも中国と韓国からは非難の声が上がってしまった。私はまたしても自虐的なご注進メデイアの報道の所為だと思って見ている。

中国などは新疆ウイグル地区の民族抑圧の人権侵害を非難するアメリカやヨーロッパの諸国に対してフェイクニュースであり、内政干渉だと直ちに反発して見せた。このような問題を抱えており、自国でもトリチウムを含んだ水を放流しているのでから、我が国は本来ならばマスコミが報道してしまう前に先手を打って「トリチウムを含む水は有害ではないのであり、諸外国の原発では海洋放出しているのであり、我が国はその先例に従ったまでである。異論ありや」くらいの声明を発しておく必要があったと思う。

私はこのような有効な手が打てていない事即ち、我が国の海外に向けての情報発信量の不足の表れではないのかと見ている。先手必勝で突き進むべきだったのではなかったかと言いたいのだ。

このような中国や韓国の悪意に溢れた風評被害に悩まされて苦しんできたのが、福島県の漁連のようだ。そうだと承知していれば、菅内閣は国会で野党に質問される前に「海洋放出を検討するする段階に至ったのは、諸外国で実証されているのと同様に、トリチウムを含んだ水は無害であると証明できるから」との公式見解を発信しておけば、あの二国に居丈高に非難される事を抑えられたのではないかと思うのだ。

私は「トリチウムを含んだ水の中で魚類を育成する実験でもして、早期に無害である証明をすることも出来たのではないか」とも考えている。

我が政府は海外の諸国、就中中国と韓国に対しては「我が国の意志と意向が明確に伝わるような情報を頻繁且つ大量に発信しておくべきではないか」と考えている。そうすることで「風評被害」を事前に食い止めることが少しても可能になっていくのではないかと思うのだ。彼らの悪意に対して「論争と対立を怖れた」善意で対応しないことが肝要だと考えている。