当て字ネームの時代の若者たちは:
東京2020オリンピックにおける我が国の選手たちの活躍振りを、立派だなと言うだけではなく現代の若者たちは頼もしいなと思って観戦していた。特に女子のバスケットボール代表テイームの決勝戦進出などは掛け値なく快挙だと思っていた。また、女子のゴルフで稲見萌寧さんが「2位でこれほど褒められたのは」との感想を漏らしたというのも印象的だった。
私はこのオリンピックの終了後には、矢張り甲子園の野球もついつい見てしまうのだ。そこで「矢張りか」と今更ながら痛感させられることが、登場する男女の選手たちの名字ではなく名前(昨日も電話で「下の名前」の問い合わせがあったのは嘆かわしかった)には読めないと言うよりも解読も推察も不可能なものが多いのだった。言い方を変えれば当て字の時代になってしまったと言うこと。
先ほど取り上げた後藤「希友」さんや、この稲見「萌寧」さんなどは未だお手柔らかな方で、察しがつく場合もあるのだったが「ミユ」さんには参った。余談だが、稲見さんの名前の文字を確認しようと思ってWikipediaを見れば、彼女は未だ大学生だったのだ。
私は以前にも「キラキラネーム」を採り上げて「我が国の伝統と文化が崩されていく」と嘆いて見せたことがあった。即ち、そこにある現象は古来からあったその一族に伝わる一字を常に使って命名することや、父祖の名前の一字を継承していく等々の習慣が明らかに消えているのだ。この辺りを限度一杯の善意で見れば「古き伝統を破壊して、自分たちの新世代を築こう」とでも目指しているのだろう。だが、そうだからと言って、他人に解読不可能な名前が良いのだろうかと思わせられている。
割り切った表現をすれば、以下に挙げる漢字を使った名前には「何と読んだら良いのかが解らない」という名前が多いのだった。それらは大、航、輝、希、翔等々だ。また、星、雄、斗も多用されている。また、我々の世代では丁稚小僧たちのような名前と言われていた平、助、太等が当たり前のように使われる時代になってきた気がする。こう言う視点からすれば、大谷翔平君などは典型的な時代の最先端を行く名前だと言えるだろう。
また、女子の名前には従来から普通に使われてきた漢字に「草冠」や「人偏」等を付けた一つ捻った文字が多用されている気がする。稲見萌寧さんの「萌」の字や「茉莉」などは「へー、こういう漢字もあったのか」と「八十八歳の手習い」という感じに捉えている。
ここまでで学習できて、我と我が身に言い聞かせていることは「最早時代が変わったのであるから『昔はこうだったのに』とか『往年にはそういう事はなかったのに』という類いの愚痴は言わないように」なのである。残念な思いで割り切れば「名前がどうのと、とやかく言うが、現代の若者は未だ嘗てなかったほど沢山のメダルを獲って見せてくれたではないか」と言うことだ。
東京2020オリンピックにおける我が国の選手たちの活躍振りを、立派だなと言うだけではなく現代の若者たちは頼もしいなと思って観戦していた。特に女子のバスケットボール代表テイームの決勝戦進出などは掛け値なく快挙だと思っていた。また、女子のゴルフで稲見萌寧さんが「2位でこれほど褒められたのは」との感想を漏らしたというのも印象的だった。
私はこのオリンピックの終了後には、矢張り甲子園の野球もついつい見てしまうのだ。そこで「矢張りか」と今更ながら痛感させられることが、登場する男女の選手たちの名字ではなく名前(昨日も電話で「下の名前」の問い合わせがあったのは嘆かわしかった)には読めないと言うよりも解読も推察も不可能なものが多いのだった。言い方を変えれば当て字の時代になってしまったと言うこと。
先ほど取り上げた後藤「希友」さんや、この稲見「萌寧」さんなどは未だお手柔らかな方で、察しがつく場合もあるのだったが「ミユ」さんには参った。余談だが、稲見さんの名前の文字を確認しようと思ってWikipediaを見れば、彼女は未だ大学生だったのだ。
私は以前にも「キラキラネーム」を採り上げて「我が国の伝統と文化が崩されていく」と嘆いて見せたことがあった。即ち、そこにある現象は古来からあったその一族に伝わる一字を常に使って命名することや、父祖の名前の一字を継承していく等々の習慣が明らかに消えているのだ。この辺りを限度一杯の善意で見れば「古き伝統を破壊して、自分たちの新世代を築こう」とでも目指しているのだろう。だが、そうだからと言って、他人に解読不可能な名前が良いのだろうかと思わせられている。
割り切った表現をすれば、以下に挙げる漢字を使った名前には「何と読んだら良いのかが解らない」という名前が多いのだった。それらは大、航、輝、希、翔等々だ。また、星、雄、斗も多用されている。また、我々の世代では丁稚小僧たちのような名前と言われていた平、助、太等が当たり前のように使われる時代になってきた気がする。こう言う視点からすれば、大谷翔平君などは典型的な時代の最先端を行く名前だと言えるだろう。
また、女子の名前には従来から普通に使われてきた漢字に「草冠」や「人偏」等を付けた一つ捻った文字が多用されている気がする。稲見萌寧さんの「萌」の字や「茉莉」などは「へー、こういう漢字もあったのか」と「八十八歳の手習い」という感じに捉えている。
ここまでで学習できて、我と我が身に言い聞かせていることは「最早時代が変わったのであるから『昔はこうだったのに』とか『往年にはそういう事はなかったのに』という類いの愚痴は言わないように」なのである。残念な思いで割り切れば「名前がどうのと、とやかく言うが、現代の若者は未だ嘗てなかったほど沢山のメダルを獲って見せてくれたではないか」と言うことだ。