新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月13日 その2 キラキラネームの時代は終わったのでは

2021-08-13 09:48:09 | コラム
当て字ネームの時代の若者たちは:

東京2020オリンピックにおける我が国の選手たちの活躍振りを、立派だなと言うだけではなく現代の若者たちは頼もしいなと思って観戦していた。特に女子のバスケットボール代表テイームの決勝戦進出などは掛け値なく快挙だと思っていた。また、女子のゴルフで稲見萌寧さんが「2位でこれほど褒められたのは」との感想を漏らしたというのも印象的だった。

私はこのオリンピックの終了後には、矢張り甲子園の野球もついつい見てしまうのだ。そこで「矢張りか」と今更ながら痛感させられることが、登場する男女の選手たちの名字ではなく名前(昨日も電話で「下の名前」の問い合わせがあったのは嘆かわしかった)には読めないと言うよりも解読も推察も不可能なものが多いのだった。言い方を変えれば当て字の時代になってしまったと言うこと。

先ほど取り上げた後藤「希友」さんや、この稲見「萌寧」さんなどは未だお手柔らかな方で、察しがつく場合もあるのだったが「ミユ」さんには参った。余談だが、稲見さんの名前の文字を確認しようと思ってWikipediaを見れば、彼女は未だ大学生だったのだ。

私は以前にも「キラキラネーム」を採り上げて「我が国の伝統と文化が崩されていく」と嘆いて見せたことがあった。即ち、そこにある現象は古来からあったその一族に伝わる一字を常に使って命名することや、父祖の名前の一字を継承していく等々の習慣が明らかに消えているのだ。この辺りを限度一杯の善意で見れば「古き伝統を破壊して、自分たちの新世代を築こう」とでも目指しているのだろう。だが、そうだからと言って、他人に解読不可能な名前が良いのだろうかと思わせられている。

割り切った表現をすれば、以下に挙げる漢字を使った名前には「何と読んだら良いのかが解らない」という名前が多いのだった。それらは大、航、輝、希、翔等々だ。また、星、雄、斗も多用されている。また、我々の世代では丁稚小僧たちのような名前と言われていた平、助、太等が当たり前のように使われる時代になってきた気がする。こう言う視点からすれば、大谷翔平君などは典型的な時代の最先端を行く名前だと言えるだろう。

また、女子の名前には従来から普通に使われてきた漢字に「草冠」や「人偏」等を付けた一つ捻った文字が多用されている気がする。稲見萌寧さんの「萌」の字や「茉莉」などは「へー、こういう漢字もあったのか」と「八十八歳の手習い」という感じに捉えている。

ここまでで学習できて、我と我が身に言い聞かせていることは「最早時代が変わったのであるから『昔はこうだったのに』とか『往年にはそういう事はなかったのに』という類いの愚痴は言わないように」なのである。残念な思いで割り切れば「名前がどうのと、とやかく言うが、現代の若者は未だ嘗てなかったほど沢山のメダルを獲って見せてくれたではないか」と言うことだ。


金メダルを噛む

2021-08-13 08:52:59 | コラム
河村たかし名古屋市長は矢張り軽率だったのでは:

この度の河村たかし名古屋市長が、オリンピックのソフトボールで見事にアメリカを破って優勝した代表選手たちの一員である、トヨタ所属の後藤希友さん(話は変わるが、これで「ミユ」と読むのだ)の金のメダルを噛んで見せたことが大問題になってしまった。このメダルを噛んでみせる振る舞いには、数件の先例もあったことだし、河村市長は気軽に受けでも狙って演じて見せたのだろうと思っている。

私が知る先例には、2000年にマラソンで優勝した高橋尚子さんがやって見せていた記憶があった。これが最も印象に残っていたが、念の為にと思ってGoogleに訊いてみた。すると、高橋さんは3例目のようだと判明した。初代は1988年にオーストラリアの水泳選手・アームストロングがやっていたのだそうだった。2例目は我が国の柔道選手の中村謙三が1996年に演じていたのだったそうで。

私の個人的な感覚では、余り褒められた所業ではないと思うのだ。だが、選手たちがそうすることでオリンピックで優勝できた例えようもない喜びを表現する手段であったのならば、他人が非難することもあるまいと捉えていた。しかも、そのメダルは優勝者当人が獲得した本人の所有物であるのだ。だが、今回は後藤さんの物であって、河村市長のメダルではない。そう考えれば、極めて単純に言って、河村市長の配慮というか思慮に欠けた所業となるだろう。他人の所有物に唾液を付けてしまったと疑われたのは、矢張り失礼だろうと思って見ていた。

河村市長との間柄が芳しくないような大村愛知県知事が、早速組織委員会だったかに現物の交換を打診すると述べたのも、筋は通っているかなと思うのだ。その後の経過は諸賢がご承知の通りだ。私は河村たかし氏は所謂「ユニーク」な個性の持ち主で面白い方だとは見ていたが、あれは失態だっただろう。果たせるかな、記者会見では辞任するかとの質問が出ていた。そこまで行ってしまう危険性は皆無ではないような気がするのだが、如何なものだろう。