新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月1日 その2 オリンピック観戦記から

2021-08-01 11:48:18 | コラム
楽しみも中くらいなりオリンピック:

余り個人競技の種目は見ないようにしているが、我が代表選手たちが時間制限がない種目で、中国や韓国の者たちに負けていくのを見せつけるのは辛いし、とても耐えきれないのだ。特にバドミントンの桃田賢斗君の敗戦は、途中から一目見ただけで敗色濃厚と解ったのは本当に切なかったので、チャンネルを変えてしまった。これも既に採り上げたことで大坂なおみさんが負けるのはコートに入場してきたときの雰囲気で解ってしまったので、1セットを失ったところで見るのを止めた。卓球の石川佳純さんも駄目だと見えていたが、一縷の望みを託して最後まで見たが辛かった。

個人競技の競技を見ていて辛いところは、時間制限がないところなのだ。サッカー、バスケットボール、ラグビー、グラウンドホッケー等は時間との勝負もあるので、劣勢に立たされているときの辛さは解るが、時間が来れば終わるので悪い意味で解放される。だが、バドミントンや卓球やテニスのような種目は、徐々に負ける方向に向かっていくのが見えるのが辛いし、選手たちの心中は察するに余りあるのだ。柔道は時間制限があるようだが、延長戦に入れば永久に試合が続くのではないかとすら思わせられるので、見ている方が辛い。

昨31日の夜はサッカーがPKにまで持ち込まれて勝った後に、女子のヴァレーボールにチャンネルが合ったしまった。それが何と韓国が相手だった。彼らはスポーツにも怨念の感情と政治と外交情勢をこれでもかとばかりに持ち込んで、異常な集中力で当たってくるので、その相手をしている我が代表の苦衷は見るに堪えないのだ。昨夜も1セットを取られた後で、画面から溢れ出ている雰囲気が最悪だったので観戦を止めた。何と言って良いか解らないが「最終セットまで持ち込まれての敗戦」だったそうだ。何で同じ組に入れられたのだろうかと、彼女らの不運を嘆いた。

そこで、昨夜の最大の呼び物だったのがニュージーランドが相手となったサッカーの準々決勝戦だった。実はこのニュージーランドは難物で、試合開始前まで居合わせたフットボール経験者の二男も「ラグビーの強豪国であるとは承知しているが、サッカーとなるとどんなことをやるのか見当も付かない」と言っていたのと同じで、カタカナ語にすれば「イメージが湧いてこなかった」のだった。乱暴なことをするのではないかと言う予測もあるにはあったが。

試合が始まって暫くの間は「ニュージーランドのサッカーとは」を掴みかねていた。しかしながら、直ぐに閃いたことは「この様子ではPK戦にまでもつれ込むだろう」だった。PK戦などと言うものは何とか回避して欲しいという不安感も襲ってきた。そして、そこまで長引いた予感は当たっていたが「案ずるよりは何とやら」で、見事に勝ち上がってくれてのは大変結構だった。

ニュージーランドのサッカーはと言えば「余り細かい細工はせずに、体格と走力を活かした長いパスを蹴り込んで行く攻め方」と「ラグビーじゃないんだ」と叫んだほどの守りの危機となるような我が代表がデイフェンスラインを突破しそうになると、イエローカードで済むような程度に文字通り抱きついて引き倒してしまうような、乱暴な反則で止める戦法を多用するのだった。要するに、サッカーを単純化して、長いパス戦法で我が方の守備体系が整わない間に突っ込んでいこうという、細かいパス回しなどには依存していないサッカーなのだった。

デイフェンスもそれほど知恵がある訳でもなくと言ったら失礼に当たるが、非常に寄せが早く、我が方よりも長い足を活かしてパスが通らないように防ぎきるし、バスケットボールで言う「リバウンド」ボールを素早い出足で奪って、我が方の攻撃の芽を摘んでいく戦法だった。特に反則で攻撃を止めてしまうのは有効なやり方で、堂安と久保が何度転がされたか解らなかった。この2名を止めれば、我が方には効果的な攻め方出来ないと読み切っていたようだった。

その反則戦法もさることながら、我が方はオフェンスでは堂安と久保以外は極端ない言い方を知れば役立たずばかりで、2名が作った得点機をものに出来ずに終わった。デイフェンスではフランス戦でおかしな判定のために酒井宏樹が出場停止になっていたのが、矢張りマイナス材料になっていた。それで吉田麻也とオーバーエージではない富安に過剰な負担がかかっていたのは仕方がなかった。即ち、代わりに起用された橋岡では酒井のような攻撃参加がなかったので、堂安と久保と遠藤航に余計な負担がかかったと見ていた。

指摘しておきたい問題点は「このテイームでは堂安と久保の両名は攻めの形を組み立てるだけではなく、シュートまで決める役目を背負っていると言う過剰負担」である。それは最初にトップに起用された林が力不足だったので絶好機を逃したし、交替で上田が出ても前田が出ても代わり映えしない得点力と決定力不足なのだ。女子の方も澤、宮間、阪口がいなくなってしまったので今回のような中心の柱がないサッカーになってしまったのと似ている気がする。

オフェンスの組み立てを堂安と久保だけに任せていては、次に当たるスペイン戦をどのようにするかが、森保監督に課された重要な課題だろう。いっそのこと、この二人をトップにおいて少ないチャンスを逃さないようなフォーメーションにしたらどうだろう。尤も本当にそうすれば「誰が中盤を組み立てるか」が最大の課題になるのだが、遠藤航の他にもう一人堂安・久保級が欲しい。


感染の再拡大が止まらない

2021-08-01 10:27:32 | コラム
事ここに至れば「外出禁止令」くらいしか対策がないのでは:

こんな事が出来る訳がないとは、橋本徹氏が再三法律の不備であると扱き下ろしてきていた。東京都の感染者は7月28日に大方の疫学の専門家や大学の先生方が予想しておられたように拡大の流れが止まらず、3,177人と大台に乗ってしまった。だが、その都民の一人である私には、最早驚いたり嘆いたり怖がったりする感覚は残っていなかった。それは更に順調にではなかった悪化の一途を辿って、3,865、3,300と進み、遂に昨31日には4,000人の大台である4,058人となった。1万人に達すると予測する先生もおられるが「そうなるのか」程度にしか感じない自分が怖い。

そこに出てきた菅内閣の対応策はと言えば「緊急事態宣言の延長と東京都以外の県を対象に加える」事だった。テレビ局が街頭で20歳台の若者に感想を訊けば「馴れてしまったので別に」と全く他人事というか、危機感が出ていなかった。一部の報道では「彼らは若者が感染しても重症化しない風邪を引いたようなものとの説を拠り所にしているので、平気で出歩き、感染して帰宅して彼らよりも高齢である家族に振りまいている」とあった。であるから、4.085人の過半数が30歳と20歳台が占めてしまうようだ。

私にはこれが感染の急拡大の実体であるように思えるので、西村康稔大臣が標榜する(感染源全体に占める率が数%に過ぎないと言われている)酒類を提供する飲食業界を締め上げても、対策にはなり得ないとしか思えないのだ。一部の週刊誌の論評では菅義偉首相は報道に耳を貸さず、未だに本当の意味の危機感が薄いとなっている。これも本当であればえらいことのように思える。報道の中には「政府が今まで依存していた疫学者中心の分科会の構成を変えてはどうかと」いうのもある。これ即ち「尾身茂分科会長の限界」を指摘しているようにしか聞こえない。

国会も閉会中であれば、何か法改正という最後的手法に訴えようにも、道がふさがっている。だが、マスメディアの「大変だ、大変だ」報道に過剰に反応する必要もない気がする、それは、先ほども寺島教授だったかが指摘しておられたように、ワクチンの接種が高齢者には進んだこともあって、死亡された方は感染者急拡大には比例しておらず、低く抑えられている現実があるからだ。昨日も止むを得ぬ買い物で大久保通りまで出たが、何時もの通りにワクチン接種が出来ているはずがない異邦人たちで溢れかえっていた。彼らに接種の機会があるのだろうか。

我が新宿区は東京都内では感染者の数では世田谷区に次ぐ第2位の座を遺憾ながら確保している。既に採り上げたことだが、感染者は区全体の人口の3%を占めている。私が怖れていることは菅首相と河野太郎大臣が幾ら接種率を上げようと努力されても、住民登録があるのかないのか私には解らない異邦人たちがマスクをしただけで街中を闊歩されては、俗な言い方だが「百日に説法何とやら」に終わってしまうのではないかなのだ。

少なくとも「路上飲み」などをする若者は某宗教圏内の國のように「百叩きの刑」にでも処さないと止まらないと思うのだ。少なくとも我が国民の良識を信じて「要請」で事が済む時期はとっくに過ぎているのではないのか。何しろ、厳格な規定を盛り込んだというプレーブックとやらを配布してあっても、オリンピックの選手村の中ですら路上飲みがあったと報道されていたではないか。「要請」は異邦人には通用しなかったと立証されたではないか。