試合は1回の表で終わってしまった:
折角、忠実にこの野球を追ってきたので、決勝戦も語って終わりにしようと思う。私の予感では「何れが勝っても大差がつき、俗に言う『ロー・スコア』の接戦にはならないのでは」となっていた。結果はやや一方的な9対2で和歌山の勝ちだった。
智辯学園(奈良にある本校のようだが)は私が指摘しておいたような、温存していたと疑わせる1番をつけた投手を先発させてきた。そこから先を語る前に、私は横浜高校の監督だった甲子園を5回制覇された渡辺元智氏の解説を選んで、BS朝日の中継放映を選んでいた。NHKが起用する解説者は高野連の意向を忖度したのか、朝日新聞社に阿ったのか、NHKに制約されているのか、毒にも薬にもならないようなことしか言えないようなので、BS朝日の解説者次第で回避している。
渡辺氏は試合開始寸前に「1回が大事だ」と指摘された。少し意味が違うかも知れない陳腐な表現を使えば「その舌の根も乾かないうちに」智辯和歌山の先頭打者が1球目をセンターの頭を越える2塁打を打ってしまった。「なるほど、流石に渡辺氏だ」と感心している間に、高嶋仁元監督のお孫さんだという7番打者までで4点を取ってしまった。「だから言ったじゃないか」なので、エースとアナウンサーが呼んだ西村君は「緊張していた」と回顧したとかだ。私はここまでで「試合は終わってしまった」と判断したが、結果としては最後まで見ていた。
和歌山の方は18番を付けた伊藤投手を先発させて2回に2点を取られた。だが、ここでも勝負の分かれ目があって、右翼手が後逸して球が塀まで転がっている間に打者走者が3点目の本塁を狙って走ったところが、外野と内野の連携が良くて本塁でタッチアウトになってしまった。局面は2死だったので走らせても良かったのかも知れないが、三塁のベースコーチの判断は難しかっただろう。あの走者がもう1秒速ければ3対4と迫れたかも知れないし、3塁に走者を残して攻め続けられたかも知れなかった。私はこれで奈良の敗戦がダメ押しされたと見た。
和歌山は先発投手を3回で引っ込めて前日完投していた中西を6回も投げさせたが、1点も失わずに抑えきってしまった。奈良も同様な条件を背負った小畠を救援に出したが、こちらは明らかに読まれていた模様だったし、疲れもあったようで5点も取られてしまった。敗因がエースを温存した起用法の誤りと見るよりも、得点の差ほどではないにもせよ、両校の間には総合力の差があったと思う。一つだけ言えば「如何に勝ちたくても、中西と小畠の連投は・・・」なのだ。
私が高校生たちはさぞかし大変だったろうと察するのは降雨による再三の日程変更もさることながら、あの関西地方、就中兵庫県西宮市辺りの猛暑の中で真っ昼間に野球をやるのは、非常にきつかっただろうと察している。熱中症のような事故が出なかったのは「偉い」と評価すべきか「良く耐えた」と褒めてあげるのは、俄に判断出来ない。
だが、甲子園の野球を神聖視する風俗というか文化を再検討すべき時期は来ていると、考えるべきだろう。時期をずらすか、ドーム球場をも利用するか、あるいは止めることも含めて在り方の再検討だろう。私はサッカーも含めて「高校の全国大会は廃止」の論者である。理由も根拠も何度も述べてあるから、ここでは敢えて触れない。
決勝戦に戻れば、両校とも持てる力を全部出せていたと思う。その差が9対2になったのだろう。終わりに敢えて触れておくと「進学校同士での決勝戦」は珍しかったので、終わりまでチャンと見ていたのだった。「和歌山も奈良も共に立派だった。楽しませて貰った」と称えておこう。
折角、忠実にこの野球を追ってきたので、決勝戦も語って終わりにしようと思う。私の予感では「何れが勝っても大差がつき、俗に言う『ロー・スコア』の接戦にはならないのでは」となっていた。結果はやや一方的な9対2で和歌山の勝ちだった。
智辯学園(奈良にある本校のようだが)は私が指摘しておいたような、温存していたと疑わせる1番をつけた投手を先発させてきた。そこから先を語る前に、私は横浜高校の監督だった甲子園を5回制覇された渡辺元智氏の解説を選んで、BS朝日の中継放映を選んでいた。NHKが起用する解説者は高野連の意向を忖度したのか、朝日新聞社に阿ったのか、NHKに制約されているのか、毒にも薬にもならないようなことしか言えないようなので、BS朝日の解説者次第で回避している。
渡辺氏は試合開始寸前に「1回が大事だ」と指摘された。少し意味が違うかも知れない陳腐な表現を使えば「その舌の根も乾かないうちに」智辯和歌山の先頭打者が1球目をセンターの頭を越える2塁打を打ってしまった。「なるほど、流石に渡辺氏だ」と感心している間に、高嶋仁元監督のお孫さんだという7番打者までで4点を取ってしまった。「だから言ったじゃないか」なので、エースとアナウンサーが呼んだ西村君は「緊張していた」と回顧したとかだ。私はここまでで「試合は終わってしまった」と判断したが、結果としては最後まで見ていた。
和歌山の方は18番を付けた伊藤投手を先発させて2回に2点を取られた。だが、ここでも勝負の分かれ目があって、右翼手が後逸して球が塀まで転がっている間に打者走者が3点目の本塁を狙って走ったところが、外野と内野の連携が良くて本塁でタッチアウトになってしまった。局面は2死だったので走らせても良かったのかも知れないが、三塁のベースコーチの判断は難しかっただろう。あの走者がもう1秒速ければ3対4と迫れたかも知れないし、3塁に走者を残して攻め続けられたかも知れなかった。私はこれで奈良の敗戦がダメ押しされたと見た。
和歌山は先発投手を3回で引っ込めて前日完投していた中西を6回も投げさせたが、1点も失わずに抑えきってしまった。奈良も同様な条件を背負った小畠を救援に出したが、こちらは明らかに読まれていた模様だったし、疲れもあったようで5点も取られてしまった。敗因がエースを温存した起用法の誤りと見るよりも、得点の差ほどではないにもせよ、両校の間には総合力の差があったと思う。一つだけ言えば「如何に勝ちたくても、中西と小畠の連投は・・・」なのだ。
私が高校生たちはさぞかし大変だったろうと察するのは降雨による再三の日程変更もさることながら、あの関西地方、就中兵庫県西宮市辺りの猛暑の中で真っ昼間に野球をやるのは、非常にきつかっただろうと察している。熱中症のような事故が出なかったのは「偉い」と評価すべきか「良く耐えた」と褒めてあげるのは、俄に判断出来ない。
だが、甲子園の野球を神聖視する風俗というか文化を再検討すべき時期は来ていると、考えるべきだろう。時期をずらすか、ドーム球場をも利用するか、あるいは止めることも含めて在り方の再検討だろう。私はサッカーも含めて「高校の全国大会は廃止」の論者である。理由も根拠も何度も述べてあるから、ここでは敢えて触れない。
決勝戦に戻れば、両校とも持てる力を全部出せていたと思う。その差が9対2になったのだろう。終わりに敢えて触れておくと「進学校同士での決勝戦」は珍しかったので、終わりまでチャンと見ていたのだった。「和歌山も奈良も共に立派だった。楽しませて貰った」と称えておこう。