反応が遅れましたことをお許し下さい:
実は、ブログを読んで頂いておられればご承知かも知れませんが、女子のゴルフのKordaを「コルダ」と表記し、テレビ中継で読んでいたのは怪しからんと主張したことに対して、色々と検索されて反論してこられたメル友がおられて、そちらに掛かりきってしまいました。済みませんでした。
結論的に言えば電気のコードはcordだが、「コルド」という奴はいないじゃないかだと思っておりますので、そうお答えしておきました。
サッカーについては昭和20年の中学入学以前の小学校の頃から湘南中学(後の高校)の選手たちと一緒に遊んでいたので、中学に入ったときには同期生たちの中で群を抜いた球慣れでした。そのように、古き良き時代のWMフォーメーションで育ったのです。そして、高校1年の時に第3回の福岡国体の高校の部の決勝戦で、当時の広島師範付属高に1対0で負けた我らの湘南高校は、関東の協会の期待を担っていた東日本では泣く子も黙る強豪校でした。
私たちの世代では、その頃のWMが染み付いているので、「相手を抜いて出る」、「キープできる限りキープする」、「Wの底にいるインナーは守備に回って拾えれば、必ず外に開いて待っているWの外側の先頭にいるウイングに回す」、「そこからトライアングルを使って攻め上がる」、「積極的に前に攻めるべきであり、後方へのパスなどは」と教えられて育ちました。現在のサッカーとは違い過ぎます。練習の時間の多くを「トラッピング」と「ストッピング」等の基本技に割くのでした。
当時は与えられたポジション(背中の番号が表します)通りの場で動くのであって、私の高校3年の時のように8番をつけた右のインナーが、左サイドにいることは考えられませんでした。しかも、監督に厳しく指導されたことは「相手のバックスを1人抜けば、相手の守備陣が1人減るではないか。背中にデイフェンスを背負えばどちらかにフェイントをかけて外せ。そしてドリブルで上がっていけ」でした。釜本は確か私の7期後の人ですが、同じようなことを言って怒っています。
そういう時代に育った者が現在のように全ての点で水準(済みません、カタカナ語が嫌いなので「レベル」とは言いたくないのです)が上がった選手たちを批判する資格はないかと思いますが、余りにも自分で持って行こうとしない責任逃れのパスばかりなのが気に入らないのです。我々の目には消極的としか見えません。
我々の頃にはリフティングが10回できれば神様でした。今の選手たちは凄いのです。だが、四十雀のクラブでマネージャー役の人が何度か試合相手の選択を誤って、若手のクラブと対戦したことがありました。だが、彼らは球扱いが極端に上手いにも拘わらず、それを活かし切れておらず、当たられ弱いので、余り負けたりしませんでした。
また、私は72歳まで国体で優勝し損なった者たち(当時のキャプテンはメルボルンオリンピック代表で、慶応のキャプテンが2人、早稲田で全日本学生代表だった者が1人、往年の強豪校立教大学のFWが1人に私という顔ぶれ)で本当のサッカーやフットサルをやって楽しんでしました。終了後には皆で現代のサッカーの至らざるを嘆いていました。
という具合で、古き良き時代の視点から現代のサッカーを見ているので、ついつい批判的になっているのだと思います。勿論、時代も技術水準も違うとは解りきってしますが、矢張り「俺たちに言わせろ」となるのでしょう。高齢者の繰り言かも。
私は確か48歳まで藤沢市の四十雀クラブでやっていましたが、肋骨骨折等事故があったし、アメリカの会社の仕事が非常に忙しくなって身を引きました。考えないでも解ることですが、現代のサッカーを批判して溜飲を下げているようです。だが、森保監督の采配と選手起用には疑問を感じます。
COVID-19がなければ、藤沢に集まってあの優勝し損ないの会が開催できて、往年の名手たちの意見が聞けるのですが、それも最早無理でしょう。あの時の生き残りもキャプテン他3名になってしました。
実は、ブログを読んで頂いておられればご承知かも知れませんが、女子のゴルフのKordaを「コルダ」と表記し、テレビ中継で読んでいたのは怪しからんと主張したことに対して、色々と検索されて反論してこられたメル友がおられて、そちらに掛かりきってしまいました。済みませんでした。
結論的に言えば電気のコードはcordだが、「コルド」という奴はいないじゃないかだと思っておりますので、そうお答えしておきました。
サッカーについては昭和20年の中学入学以前の小学校の頃から湘南中学(後の高校)の選手たちと一緒に遊んでいたので、中学に入ったときには同期生たちの中で群を抜いた球慣れでした。そのように、古き良き時代のWMフォーメーションで育ったのです。そして、高校1年の時に第3回の福岡国体の高校の部の決勝戦で、当時の広島師範付属高に1対0で負けた我らの湘南高校は、関東の協会の期待を担っていた東日本では泣く子も黙る強豪校でした。
私たちの世代では、その頃のWMが染み付いているので、「相手を抜いて出る」、「キープできる限りキープする」、「Wの底にいるインナーは守備に回って拾えれば、必ず外に開いて待っているWの外側の先頭にいるウイングに回す」、「そこからトライアングルを使って攻め上がる」、「積極的に前に攻めるべきであり、後方へのパスなどは」と教えられて育ちました。現在のサッカーとは違い過ぎます。練習の時間の多くを「トラッピング」と「ストッピング」等の基本技に割くのでした。
当時は与えられたポジション(背中の番号が表します)通りの場で動くのであって、私の高校3年の時のように8番をつけた右のインナーが、左サイドにいることは考えられませんでした。しかも、監督に厳しく指導されたことは「相手のバックスを1人抜けば、相手の守備陣が1人減るではないか。背中にデイフェンスを背負えばどちらかにフェイントをかけて外せ。そしてドリブルで上がっていけ」でした。釜本は確か私の7期後の人ですが、同じようなことを言って怒っています。
そういう時代に育った者が現在のように全ての点で水準(済みません、カタカナ語が嫌いなので「レベル」とは言いたくないのです)が上がった選手たちを批判する資格はないかと思いますが、余りにも自分で持って行こうとしない責任逃れのパスばかりなのが気に入らないのです。我々の目には消極的としか見えません。
我々の頃にはリフティングが10回できれば神様でした。今の選手たちは凄いのです。だが、四十雀のクラブでマネージャー役の人が何度か試合相手の選択を誤って、若手のクラブと対戦したことがありました。だが、彼らは球扱いが極端に上手いにも拘わらず、それを活かし切れておらず、当たられ弱いので、余り負けたりしませんでした。
また、私は72歳まで国体で優勝し損なった者たち(当時のキャプテンはメルボルンオリンピック代表で、慶応のキャプテンが2人、早稲田で全日本学生代表だった者が1人、往年の強豪校立教大学のFWが1人に私という顔ぶれ)で本当のサッカーやフットサルをやって楽しんでしました。終了後には皆で現代のサッカーの至らざるを嘆いていました。
という具合で、古き良き時代の視点から現代のサッカーを見ているので、ついつい批判的になっているのだと思います。勿論、時代も技術水準も違うとは解りきってしますが、矢張り「俺たちに言わせろ」となるのでしょう。高齢者の繰り言かも。
私は確か48歳まで藤沢市の四十雀クラブでやっていましたが、肋骨骨折等事故があったし、アメリカの会社の仕事が非常に忙しくなって身を引きました。考えないでも解ることですが、現代のサッカーを批判して溜飲を下げているようです。だが、森保監督の采配と選手起用には疑問を感じます。
COVID-19がなければ、藤沢に集まってあの優勝し損ないの会が開催できて、往年の名手たちの意見が聞けるのですが、それも最早無理でしょう。あの時の生き残りもキャプテン他3名になってしました。