新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月15日 その2 kazk様へ

2021-08-15 14:43:19 | コラム
反応が遅れましたことをお許し下さい:

実は、ブログを読んで頂いておられればご承知かも知れませんが、女子のゴルフのKordaを「コルダ」と表記し、テレビ中継で読んでいたのは怪しからんと主張したことに対して、色々と検索されて反論してこられたメル友がおられて、そちらに掛かりきってしまいました。済みませんでした。

結論的に言えば電気のコードはcordだが、「コルド」という奴はいないじゃないかだと思っておりますので、そうお答えしておきました。

サッカーについては昭和20年の中学入学以前の小学校の頃から湘南中学(後の高校)の選手たちと一緒に遊んでいたので、中学に入ったときには同期生たちの中で群を抜いた球慣れでした。そのように、古き良き時代のWMフォーメーションで育ったのです。そして、高校1年の時に第3回の福岡国体の高校の部の決勝戦で、当時の広島師範付属高に1対0で負けた我らの湘南高校は、関東の協会の期待を担っていた東日本では泣く子も黙る強豪校でした。

私たちの世代では、その頃のWMが染み付いているので、「相手を抜いて出る」、「キープできる限りキープする」、「Wの底にいるインナーは守備に回って拾えれば、必ず外に開いて待っているWの外側の先頭にいるウイングに回す」、「そこからトライアングルを使って攻め上がる」、「積極的に前に攻めるべきであり、後方へのパスなどは」と教えられて育ちました。現在のサッカーとは違い過ぎます。練習の時間の多くを「トラッピング」と「ストッピング」等の基本技に割くのでした。

当時は与えられたポジション(背中の番号が表します)通りの場で動くのであって、私の高校3年の時のように8番をつけた右のインナーが、左サイドにいることは考えられませんでした。しかも、監督に厳しく指導されたことは「相手のバックスを1人抜けば、相手の守備陣が1人減るではないか。背中にデイフェンスを背負えばどちらかにフェイントをかけて外せ。そしてドリブルで上がっていけ」でした。釜本は確か私の7期後の人ですが、同じようなことを言って怒っています。

そういう時代に育った者が現在のように全ての点で水準(済みません、カタカナ語が嫌いなので「レベル」とは言いたくないのです)が上がった選手たちを批判する資格はないかと思いますが、余りにも自分で持って行こうとしない責任逃れのパスばかりなのが気に入らないのです。我々の目には消極的としか見えません。

我々の頃にはリフティングが10回できれば神様でした。今の選手たちは凄いのです。だが、四十雀のクラブでマネージャー役の人が何度か試合相手の選択を誤って、若手のクラブと対戦したことがありました。だが、彼らは球扱いが極端に上手いにも拘わらず、それを活かし切れておらず、当たられ弱いので、余り負けたりしませんでした。

また、私は72歳まで国体で優勝し損なった者たち(当時のキャプテンはメルボルンオリンピック代表で、慶応のキャプテンが2人、早稲田で全日本学生代表だった者が1人、往年の強豪校立教大学のFWが1人に私という顔ぶれ)で本当のサッカーやフットサルをやって楽しんでしました。終了後には皆で現代のサッカーの至らざるを嘆いていました。

という具合で、古き良き時代の視点から現代のサッカーを見ているので、ついつい批判的になっているのだと思います。勿論、時代も技術水準も違うとは解りきってしますが、矢張り「俺たちに言わせろ」となるのでしょう。高齢者の繰り言かも。

私は確か48歳まで藤沢市の四十雀クラブでやっていましたが、肋骨骨折等事故があったし、アメリカの会社の仕事が非常に忙しくなって身を引きました。考えないでも解ることですが、現代のサッカーを批判して溜飲を下げているようです。だが、森保監督の采配と選手起用には疑問を感じます。

COVID-19がなければ、藤沢に集まってあの優勝し損ないの会が開催できて、往年の名手たちの意見が聞けるのですが、それも最早無理でしょう。あの時の生き残りもキャプテン他3名になってしました。

線状降水帯の恐ろしさ

2021-08-15 11:29:07 | コラム
何と言う豪雨の連続だろう:

最早毎年のことのようになってしまった、豪雨と言うだけでは表現しきれないような降水が全国で続いている。その結果で「線状降水帯」という言葉が珍しくなくなったし、天気予報で現在のような降雨が遙かインドから続いていると聞かされて初めて納得するように、言わば「馴れっこ」になってしまった感覚が恐ろしいのだ。テレビのニュースで西日本だけではなく全国で発生している水害(と言って良いのだろうか)を見る度に、被害を受けておられる方々の心中は察するに余りあると思っている。お気の毒だと痛感して心が痛む。

救済策:
先ず思う事は「家も家財も失われた方々は、今後どのようにして生活されていくのだろう」なのだが、その「どのように」は想像がつかないのだ。恐らく衣食住の全てが流されたか、泥水の中に沈んでしまったのだろう方が多いのだろうとお察ししている。その損害は保険がカバーするのだろうか、仮設住宅が速やかに準備されるのだろうか、政府や地方自治体から某かの援助があるのだろうか、地方では必須である軽自動車等を失われては、被災されていなくても身動きも出来なくなってしまったのではないのか等々が思い浮かんできていた。

医療は逼迫しないか:
しかも、現時点では全国的にCOVID-19の第5波が猛威を振るい始めているのだ。その面の防御策が遅滞なく講じられるのだろうかなどと考えてしまう。何処だったか「順天堂」という病院が冠水している画がでていた。それを見れば、医療の態勢が速やかに整うというか十分に取れるのだろうかと心配になってしまう。より大袈裟な心配をすれば「政府は救済対策を取れるだけの十分な予算を速効で用意できるのだろうか」とも考えてしまう。しかも、年内に解散選挙が控えているこの時期にだ。要するに、被災者の方たちをどのようにして感染拡大から守るのかだ

コンクリート住宅が少ない:
九州から中国地方の水害の状況を見ていて感じることがある。それは「堅牢な建物に避難を」と言われても、都会風の高層建築の集団住宅は殆ど見当たらない事だ。その点は在職中に都心を離れた工場を屡々訪問していたので認識できていたことで、地方には土地も十分にあって何も集団住宅に依存する必要もなく農家等は大きな一戸建てを構えておられるのだった。この点は行動を共にしていたアメリカ人たちが美しい庭を持つ住宅の豪華さに感心していた。その大きな住宅が今や線状降水帯の被害に遭っておられるようなのだ。

屁理屈を言えば「今や毎年の事になったのだから、地方都市にも集合住宅を建設してお備えておくべし」などという議論も出るかも知れない。だが、1年という期間にしっかりとした地盤というか基礎を固めた中層乃至は高層の集団住宅を建設せよというのは物理的に無理ではないかと思ってしまう。また、今更小高い丘や崖の下に住むのは危険と言われても、「はい、そうですか」と言って先祖代々の土地を離れて引っ越せるかということではないだろうか。

甲子園の野球:
次に優先度は高くないと思った案件があった。それは経営不振と聞く朝日新聞肝いりの甲子園の野球である。2日間開催できただけで雨天順延を続けている。天気予報では本15日の午後は小康状態で、後は19日まで降るという。そういう状況が続けば、何れは甲子園を譲っていた阪神タイガースが帰ってくるだろうし、現時点でも大阪市内のドーム球場は阪神が使っているので、高校野球は行き場がないのだ。それも去ることながら、未だ一試合もしていない高校が多数ある訳で、その滞在費はどうなってしまうのかと、他人の疝気を頭痛に病んでいる次第だ。

結び:
色々と述べてきたが、この線状降水帯がもたらす事態が本当に地球温暖化なる現象が原因であれば、スーパーのレジ袋を有料化するとか、ストローを紙に変えるくらいで防ぎきれることではないと思うのだ。政府に採って頂きたい措置は「起こってしまった現象に速やかに対応して、被災された方たちを如何なる形ででも救済すること」だろうと思う。その政府が背負っている重荷の中に「新型コロナウイルスの制圧か、経済を可能な限り回すのか」との課題がある。私は菅内閣の力量が問われる事態にならないように、最善を尽くして頂きたいと思うのだが。