トーナメントを勝ち抜く難しさを見た:
本日は一試合しか開催しない甲子園の野球の、近江高校対常に優勝候補の呼び声が高い大阪桐蔭高校の対戦を、3回までで後者が4対0とリードしたところまで見てから、激しく降っていた雨が折良く止んだので、定期的に診て頂いている掛かりつけのクリニックに向かった。大阪桐蔭高校の勢いを見ていれば、その優勢は揺るがないものだと思うべきだろうが、私はこれまでに何度か見た近江高校の力には侮りがたいものがあると評価していたので、「ひょっとすると」とは感じたが「まさか、そんなことが」と否定して出掛けたのだった。
体調には異常がなかったが、先週の金曜日と土曜日の強行日程の為にやや心身共に過労気味だったので、先生にお願いして何時ものビタミン注射をして頂いて「これで良し」と意気揚々と帰宅した。そこで、何気なく甲子園の野球にチャンネルを合わせると、何と近江高校の生徒たちがホームプレートのところに整列して校歌を歌っている画が出てきた。これは先日のことで、9回裏で横浜高校は負けたと見切って我慢していた手洗いに立ち、戻って見たら聞き慣れた横浜高校の「商港横浜」と歌う校歌が聞こえてきて、大袈裟に言えば仰天したのと同じ光景だった。
勝ち抜きのトーナメント制の試合では全員のその日の調子が上手く噛み合わないと、俗に言う「実力を発揮できずに」という状態が出現することが屡々あるものだ。私は近江高校の力を上記のようにある程度の評価はしていたが、まさか0対4の劣勢をひっくり返すとまでは読み切れなかった。追い越すまでの経過をビデオテープでもう一度では見たが、4点も取られた先発投手が立ち直って、救援投手と共に大阪桐蔭を3回以後ゼロに押さえ込んだところは見られなかったのは残念だった。
近江高校がリーグ戦形式で大阪桐蔭高校と10回勝負をしたら何回勝てるかは予測しようがない。だが、甲子園で出会ったたった一度の勝負で勝った近江高校の方が実力があったということになると思う。ここには勿論「勝負に番狂わせなどない。強い方が勝つのだ」という往年の湘南高校蹴球部の岩渕監督さんの至言が当てはなると思うし、故野村克也氏が言い続けた「勝ちに不思議あり、負けに不思議なし」であって、負けた大阪桐蔭が弱かったと決めつけて良いだろう。
終わりに、記憶を頼った上でWikipediaで確認したが「近江高校は往年の近江絹糸(現オーミケンシ)が設立した学校」だった。何となく記憶していた夏川嘉久次氏は初代理事長だった。そのアパレル部門の別会社である「ミカレデイー」の売店が、銀座一丁目の高速道路の下にあったと記憶している。近頃はついつい本筋から離れた回顧談になりがちなのは、やや残念な気もするのだが。
本日は一試合しか開催しない甲子園の野球の、近江高校対常に優勝候補の呼び声が高い大阪桐蔭高校の対戦を、3回までで後者が4対0とリードしたところまで見てから、激しく降っていた雨が折良く止んだので、定期的に診て頂いている掛かりつけのクリニックに向かった。大阪桐蔭高校の勢いを見ていれば、その優勢は揺るがないものだと思うべきだろうが、私はこれまでに何度か見た近江高校の力には侮りがたいものがあると評価していたので、「ひょっとすると」とは感じたが「まさか、そんなことが」と否定して出掛けたのだった。
体調には異常がなかったが、先週の金曜日と土曜日の強行日程の為にやや心身共に過労気味だったので、先生にお願いして何時ものビタミン注射をして頂いて「これで良し」と意気揚々と帰宅した。そこで、何気なく甲子園の野球にチャンネルを合わせると、何と近江高校の生徒たちがホームプレートのところに整列して校歌を歌っている画が出てきた。これは先日のことで、9回裏で横浜高校は負けたと見切って我慢していた手洗いに立ち、戻って見たら聞き慣れた横浜高校の「商港横浜」と歌う校歌が聞こえてきて、大袈裟に言えば仰天したのと同じ光景だった。
勝ち抜きのトーナメント制の試合では全員のその日の調子が上手く噛み合わないと、俗に言う「実力を発揮できずに」という状態が出現することが屡々あるものだ。私は近江高校の力を上記のようにある程度の評価はしていたが、まさか0対4の劣勢をひっくり返すとまでは読み切れなかった。追い越すまでの経過をビデオテープでもう一度では見たが、4点も取られた先発投手が立ち直って、救援投手と共に大阪桐蔭を3回以後ゼロに押さえ込んだところは見られなかったのは残念だった。
近江高校がリーグ戦形式で大阪桐蔭高校と10回勝負をしたら何回勝てるかは予測しようがない。だが、甲子園で出会ったたった一度の勝負で勝った近江高校の方が実力があったということになると思う。ここには勿論「勝負に番狂わせなどない。強い方が勝つのだ」という往年の湘南高校蹴球部の岩渕監督さんの至言が当てはなると思うし、故野村克也氏が言い続けた「勝ちに不思議あり、負けに不思議なし」であって、負けた大阪桐蔭が弱かったと決めつけて良いだろう。
終わりに、記憶を頼った上でWikipediaで確認したが「近江高校は往年の近江絹糸(現オーミケンシ)が設立した学校」だった。何となく記憶していた夏川嘉久次氏は初代理事長だった。そのアパレル部門の別会社である「ミカレデイー」の売店が、銀座一丁目の高速道路の下にあったと記憶している。近頃はついつい本筋から離れた回顧談になりがちなのは、やや残念な気もするのだが。