新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月31日 その3 StatesmanかPoliticianなのか

2021-08-31 17:27:19 | コラム
私の感性から言わして貰えば:

先ほど「また先手を打てなかった」と題して、菅義偉首相のことを(初めてだと思うが)かなり批判的に語って見た。その時に閃いていたことがあったのだが、何かがそれを書くことを躊躇わせてくれた。それは「二階俊博氏と菅義偉氏は来たるべき総裁選に勝つための戦略として、岸田文雄氏を幹事長に任命しようとするのではないか」だった。これぞ私が避けて貰いたいと指摘した「この国の内外に問題山積の折にかまけていてはならない党内のみみっちい小細工」以外の何物でもなく、二階・菅両氏は“politician”即ち策士に過ぎないと自ら名乗りを上げることになるのだ。

私は政治や政界の事など全く知識も何もなく、単にマスコミ報道に基づいて、私独特の感性から閃いたことを書き記しているだけだ。だから、自民党内で何が起きているかの報道を見て論じているだけだ。そうだから「岸田幹事長説」などは冗談に過ぎないかと怖れて書かなかっただけのこと。ところが、先ほどTBSの「ゴゴスマ」を見ていれば政治ジャーナリスト・角谷浩一氏がその可能性を取り上げて論じていたのだった「究極の岸田潰し案である」と。角谷氏は「万が一にも岸田氏が受ければ、そこで政治生命が完全に断たれる」とも指摘していた。

報道では二階・菅両氏は官邸でも会談されたそうだ。私にはもう何も閃いては来ない。両氏に望むというか期待したいことは「Statesmanであって欲しい」のであり、ジーニアス英和には「策士」と出てくる“politician”では困るのだ。だが、菅氏は既に下村博文政調会長に「総裁選に出るなら辞任してから」と言って降ろした後で、幹部役員の交代を言い出している。これは悪い言い方をすれば、人事権の恣意的な行使であり、politician的な手法に見えるのだが。

8月31日 その2 菅義偉首相はまた先手を取り損なった

2021-08-31 09:32:38 | コラム
二階俊博幹事長は菅首相の党役員人事を許可したのか:

菅義偉氏は、またもや先手を取り損なったとようにしか見えないのだ。先日、菅義偉氏が自民党本部に二階俊博幹事長を訪れて会談したと報じられたと聞いた私は「本末転倒」と言ってしまったが、あれは「主客転倒」だったと思う。

二階俊博幹事長は岸田文雄氏の「党役員の任期を1年として3年を限度とする」との公約(なのだろう)に不快感をお示しになったかと思えば、今度は菅義偉総理・総裁の党役員人事を進めるとの意向を承認すると仰せになった。矢張り、CEO(最高経営責任者)がCOO(最高業務執行責任者)の許可無く経営の実務を執行できないと明らかにしたと同様だと思えた。二階俊博幹事長の記者会見(ぶら下がりのように見えた)での不機嫌な答え方を見ると、先日の党本部での会談は矢張り「岸田対策」だったのだと追認できた。

ある観測報道では「二階氏は石破茂氏を担ぐ」とまで言っている始末だ。私は誰が次期総理・総裁になられても結構だと思う。そのお方が中国との関係を「お国のため」になるように調整できて、アメリカの民主党政権とも堅実に巧みに歩調を合わせ、強力なCOVID-19制圧策を推進され、医師会や分科会長傘下の病院にも感染者を十分に受け入れさせるような方向等々に持って行って頂ければ、それで十分である。みみっちい党内の小細工やコップの中の嵐への対処を第一義に置かない人させ選んでくれれば、誰が幹事長でも結構だ。

菅義偉首相は新たに浮かんできた難問に対しては、これまでに先手を取り損なってはいるが「やる」と「やろう」と唱えたことは実行・実施してこられた。だが、「やったぞ」と周知させる広報宣伝活動が不十分で支持率の低下を招く一因になっていた。今回もまたもや岸田氏に先手を取られて、二階俊博幹事長に巻き返し策の指示を仰ぎに行ったというような印象を与えるのは、一寸無策に過ぎると思う。だから、私は二菅内閣と揶揄したのだ。この儘では「菅さんはもう解ったから、他の誰かにやらせてみれば」となることを防ぎきれなくなるのではないのかな。

お断りしておくと、私は菅義偉氏支持でも岸田文雄氏も結構とも言う気はない。何方がなろうとも、先手でも後手も構わないが、現在の内外に山積する重要課題を「我々国民のためになるように裁いてくれさえすれば、それで結構だ」としか考えていない。但し、媚中派の党幹部だけは願い下げにしたい。



「日はまた沈む」のか

2021-08-31 08:46:51 | コラム
アメリカの製紙産業はまた沈んだか:

件名の「日はまた沈む」はアメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)の「日はまた昇る」(The Sun Also Rises)のもじりである。これで極めて不勉強だった英文学科出身者であることを、少しだけ披露したつもりである。以下にはかなりの部分「個人的な感傷」の要素があるとご承知置き願いたい。

2005年に我がウエアーハウザーは同業他社に先駆けて印刷(紙)媒体の行く末を素早く見切りを付けて、洋紙事業部の中でアメリカ最大級の上質紙(我が国では模造紙として知られている非塗工印刷用紙のことで、コピー用紙のような白い紙である)生産部門を切り離して、カナダに本社を置くドムター(Domtar Corp.)に譲渡した。私はこの事業部の日本市場進出を1987~88年に手伝っていただけに「時代の急速な変化」を痛感させられていたものだった。

その後、アメリカにおける印刷媒体の衰退は、それこそ余りにも順調に進み、塗工・非塗工を問わず印刷洋紙と新聞用紙の需要は年を経る毎に急激に衰退し、世界最大のインターナショナルペーパーも塗工印刷用紙事業を2007年に売却し、私が最初に転進したミードも続いた。多くの印刷用紙メーカーは新聞用紙メーカーと共にChapter 11(我が国の民事再生法とほぼ同じ)の保護を申請する事態となったことは、今日までに何度も解説してきた。ウエアーハウザーも日本製紙との合弁事業だった新聞用紙メーカーのノーパック(NORPAC)を売却した。

そこに、紙業タイムス社が発行するFuture誌の21年9月13日号に「日はまた沈む」と形容したくなったニュースが出ていたので紹介しようと思う。それは「ドムター社の株主は同社をアジアパルプ&ペーパー社(APP)のグループ企業ペーパー・エクセレンス社(PE)への売却に同意した」というものだった。紙パルプ業界の実務から離れて早27年の私にとっては驚きでも何でもないことではあるが、自分が縁があった会社が売買共に関係していることには、何とも言えない感にとらわれていた。

念の為に少し解説しておくと、APPはシンガポールに本拠を置く華僑財閥シナルマス(Sinar Mas)のグループ企業で、インドネシアと中国他に最新鋭の世界最大級の抄紙機を数多く揃えた、恐らく現在では世界最大級の紙パルプメーカーである。我が国では90年代後半に伊藤忠商事も資本参加していたし、私もリタイア後には少しは販売促進のお手伝いをした時期もあったのだ。北アメリカの製紙会社は必ず原料になる森林を保有しているので、市販パルプ事業部門も保有している形になるのが普通だ。

APPは製紙原料確保のために以前からアメリカの経営状態が悪化した企業の買収を手がけていたが、私が知る限りではドムターほどの実際に営業している会社の買収まで出ていった例は知らなかった。しかも、今回の買収が1980年代に自分が関係していた事業部の生産設備だったとなれば「今昔の感」があるし、最早新興勢力などと呼ぶのは相応しくないと見ているAPPがドムターを買収するとは「アメリカの製紙産業はまたもや沈ませられるのか」としか受け止められなかった。感傷的にもさせられたが「日はまた沈むのか」と痛感している次第だ。

この買収の件を見ていて感じることは「APPは今や衰退するだけの印刷媒体の行く末を、どのように評価しているのだろうか。もしかすると『そして、誰もいなくなった』分野を独り占めにでもして、全世界の市場占有率100%でも目指しているのかな」などと考えさせられた。先頃、大手の銀行2社が「ペーパーレス化を目指す」と表明していたが、この広い世界には未だこれからペーパー化に指向している市場があるのだろうか。オウナーのテグウ・ガンダ・ウイジャヤ氏(Teguh Ganda Wijaya)に伺って見たい。

参考資料:紙業タイムス社刊 Future誌 21年9月13日号