新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月1日 その2 「砂谷牧場がガラス瓶を廃止」の訂正版

2024-04-01 08:11:49 | コラム
何事かと困惑させられた(時代錯誤的な)ニュースだった:

先週だったか、テレビでは「森永乳業が最後まで残していたガラス瓶詰めの牛乳等を廃止するので、銭湯で入浴後に牛乳やコーヒー牛乳を飲む楽しみがなくなってしまう」という情緒たっぷりのニュースが流されていた。偽らざる感想は「何を今頃」だった。ズバリと言えば「不勉強な報道だ」なのである。

そこに加えるに、昨日から「広島県の砂谷牧場がガラス瓶の900と500mlの牛乳の製造を停止することを決定した」と報道されるようになった。理由は「充填機と洗瓶機が老化したが、入れ替えれば億の単位の費用が生じるので、止むを得ず廃棄と決めた」というものだった。このニュースもかなり感傷的だったのには、驚きと嘆きを禁じ得なかった。

1975年からウエアーハウザーで液体容器原紙(解りやすく言えば牛乳パック用紙)の日本向け輸出を担当してきた私は「我が国の報道機関は何故牛乳の容器がガラス瓶からアメリカから導入された紙パックに切り替わっていったのか」という歴史を未だに認識できていないのか、あるいは知らなかったのかと驚かされたのだった。

紙パックに切り替わっていった理由は多々あったが、中でも重要だったことは「空になったガラス瓶を回収する手間と費用」と「回収したガラス瓶を洗浄する際に流れ出す洗剤を含んだ水を下水道等に流すことが水質汚染に通じる」があった。しかも、回収から洗瓶の過程でガラスが割れることもあって経費が嵩むというのもあった。即ち、価格が高いガラス瓶を補填すればコストが上昇するのだった。

だが、紙パックという容器に転換してそれ用の充填機を導入すれば洗瓶の費用もなくなるし、紙パックが「ワンウエイ」であるから回収の必要もなくなるという諸々の利点(間違っているカタカナ語では「メリット」だが)がある。確か1960年代半ばからアメリカのEX-CELL-O社(エクセロ社、現ELOPAK社)が開発した紙容器(Pure-Pak)が導入され、十條製紙(現日本製紙)がライセンスを取得して製造販売を開始した。

だが、当時は昭和26年に厚生省が施行した「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」に「牛乳容器はガラス瓶」と規定されていた。その為に、紙パックを採用する乳業会社は厚生省に「例外容器使用の許可」を、原紙とその両面にラミネートされるポリエチレンのペレットを添付して申請していたのだった。しかも、製紙技術が世界最高水準にある我が国でも、液体容器用原紙は経済性の点からアメリカと北欧からの輸入に依存せねばならなかった。

紙製の牛乳パックは上記のメリットがあることでもあり、4面体の容器の全面は美麗な多色印刷で飾れたし、広告も採用できたので、時流にも乗って瞬く間にガラス瓶を置き換えていった。何時の頃だったか今となっては記憶も定かではないが、ガラス瓶は一部の特殊な用途を除いてはほぼゼロとなり、紙パック時代が出現していた。また、紙パックの牛乳が学校給食に採用されたことも後押しになっていた。

テレビ局は森永乳業や砂谷牧場のガラス瓶からの撤退を報道するのであれば、日本製紙かスウエーデンの多国籍企業の日本法人である日本テトラパックに取材すれば、この程度の時代の変遷は知り得たはずである。そこに触れずして、いきなり感傷的に去りゆきガラス瓶を惜しんで見せていたのは片手落ちであろう。

さらに言えば、「優れた原木の繊維が使われている紙パックをワンウエイで捨てさて去ってしまうのは勿体ない、貴重な天然資源の浪費だから回収して紙に再生しよう」という運動を起こした方もおられた事実も紹介したら意義があったかも知れない。

だが、この使用済み容器の回収・再生は想像以上のエネルギーの消費と労務費と輸送コストがかかって採算が取れないという現実は、既に製紙産業界では公知の事実である。ガラス瓶を惜しむのならば、こういう点も報じておいても良かったのではないか。何の事はない、テレビ局批判になってしまった。なお、この回収から再生の問題は何時かは別途論じた方が良いと思う

砂谷牧場がガラス瓶を廃止

2024-04-01 07:58:48 | コラム
何事かと困惑させられた(時代錯誤的な)ニュースだった:

先週だったか、テレビでは「森永乳業が最後まで残していたガラス瓶詰めの牛乳等を廃止するので、銭湯で入浴後に牛乳やコーヒー牛乳を飲む楽しみがなくなってしまう」という情緒たっぷりのニュースが流されていた。偽らざる感想は「何を今頃」だった。ズバリと言えば「不勉強な報道だ」なのである。

それに加えるに、昨日から「広島県の牧村牧場がガラス瓶の900と500mlの牛乳の製造を停止することを決定した」と報道されるようになった。理由は「充填機と洗瓶機が老化したが、入れ替えれば億の単位の費用が生じるので、止むを得ず廃棄と決めた」というものだった。このニュースもかなり感傷的だったのには、驚きと嘆きを禁じ得なかった。

1975年からウエアーハウザーで液体容器原紙(解りやすく言えば牛乳パック用紙)の日本向け輸出を担当してきた私は「我が国の報道機関は何故牛乳の容器がガラス瓶からアメリカから導入された紙パックに切り替わっていったのか」という歴史を未だに認識できていないのか、あるいは知らなかったのかと驚かされたのだった。

紙パックに切り替わっていった理由は多々あったが、中でも重要だったことは「空になったガラス瓶を回収する手間と費用」と「回収したガラス瓶を洗浄する際に流れ出す洗剤を含んだ水を下水道等に流すことが水質汚染に通じる」があった。しかも、回収から洗瓶の過程でガラスが割れることもあって経費が嵩むというのもあった。即ち、価格が高いガラス瓶を補填すればコストが上昇するのだった。

だが、紙パックという容器に転換してそれ用の充填機を導入すれば洗瓶の費用もなくなるし、紙パックが「ワンウエイ」であるから回収の必要もなくなるという諸々の利点(間違っているカタカナ語では「メリット」だが)がある。確か1960年代半ばからアメリカのEX-CELL-O社(エクセロ社、現ELOPAK社)が開発した紙容器(Pure-Pak)が導入され、十條製紙(現日本製紙)がライセンスを取得して製造販売を開始した。

だが、当時は昭和26年に厚生省が施行した「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」に「牛乳容器はガラス瓶」と規定されていた。その為に、紙パックを採用する乳業会社は厚生省に「例外容器使用の許可」を、原紙とその両面にラミネートされるポリエチレンのペレットを添付して申請していたのだった。しかも、製紙技術が世界最高水準にある我が国でも、液体容器用原紙は経済性の点からアメリカと北欧からの輸入に依存せねばならなかった。

紙製の牛乳パックは上記のメリットがあることでもあり、4面体の容器の全面は美麗な多色印刷で飾れたし、広告も採用できたので、時流にも乗って瞬く間にガラス瓶を置き換えていった。何時の頃だったか今となっては記憶も定かではないが、ガラス瓶は一部の特殊な用途を除いてはほぼゼロとなり、紙パック時代が出現していた。また、紙パックの牛乳が学校給食に採用されたことも後押しになっていた。

テレビ局は森永乳業や砂谷牧場のガラス瓶からの撤退を報道するのであれば、日本製紙かスウエーデンの多国籍企業の日本法人である日本テトラパックに取材すれば、この程度の時代の変遷は知り得たはずである。そこに触れずして、いきなり感傷的に去りゆきガラス瓶を惜しんで見せていたのは片手落ちであろう。

さらに言えば、「優れた原木の繊維が使われている紙パックをワンウエイで捨てさて去ってしまうのは勿体ない、貴重な天然資源の浪費だから回収して紙に再生しよう」という運動を起こした方もおられた事実も紹介したら意義があったかも知れない。

だが、この使用済み容器の回収・再生は想像以上のエネルギーの消費と労務費と輸送コストがかかって採算が取れないという現実は、既に製紙産業界では公知の事実である。ガラス瓶を惜しむのならば、こういう点も報じておいても良かったのではないか。何の事はない、テレビ局批判になってしまった。なお、この回収から再生の問題は何時かは別途論じた方が良いと思う。