世界の情勢を変えた新興勢力の急成長:
このような見出しにはしたが、実際にはアメリカ産業界の問題点の指摘になってしまうだろう事をお断りして始めよう。
1997年1月にインドネシアのジャワ島に華僑財閥のSinar Mas Groupの、今や世界最大の製紙会社になったと言っても誤りではないAsia Pulp & PaperのThibikimia工場(チビキミア)を訪れる機会を得た。そこで見たその世界最新鋭の抄紙機の規模の大きさ、生産能力と抄紙の速度、完璧なコンピュータ管理の生産工程には、大袈裟でも何でもなく「腰を抜かす」程驚かされたのだった。
それは悲しいことに長い間アメリカの過去の遺物のように成り果ててしまった、嘗ての大型マシンに慣れてきた私にとっては、信じられない程驚異的な最新鋭の設備だったからだ。しかも、その最新鋭の抄紙機は三菱重工が製造したものだったのも驚かざるを得なかった。
現代に「後発乃至は新興勢力の国の製紙産業界に見られる現象はと言えば、後発なるが故に世界最新鋭の原料の生産から製紙までの設備の導入が可能なので(と言うか、最早旧式の設備は入手できない時代なのだ)、先進国を凌駕する優れた品質の製品を、合理化された設備で生産出来るだけではなく、価格競争能力が非常に高くなるのだ。
その典型的な例が今や世界最大の製紙国になった中国であり、6位にのし上がったインドネシアなのである。念のために取り上げておくと、インドネシアの人口1人当たりの消費量はと言えば29.7kgだったのだから、自国内では消化できずにアメリカに輸出攻勢をかけたのは自然の成り行きだった。
つい先頃まで世界最大の製紙国だったアメリカが中国に大きく差をつけられた2位になり、我が国が3位に下がったのも、先進国というか先発だったが故に新規や合理化の投資が遅れた為だったのだ。即ち、生産設備は古く、遅く、小規模で古物化してしたので、中国やインドネシアのような新興勢力に対して品質でも価格でも競争能力が著しく衰えてしまったのである。
これは紛れもない事実であり、私はこのような現象は必ずしも製紙産業界だけに起きていることではないのではないと見ている。例えば、EVのように中国のBYDが世界の主導的存在になっている例があるではないか。
それならば「新規に設備投資をすれば良いじゃないか」となるかも知れない。だが、そんな簡単なことではないのが世界の実態である。何故ならば、アメリカ式の資本主義というか経済の考え方では「利益が上がらなければ再投資をしない」と言う思想から離れられずに、古物化した設備を我慢して使い続けていれば、高騰する原料コストを賄いきれず、価格競争能力が衰えてしまうからだ。古い設備を何とか改造して使っている状態では生産効率が上がらないのだ。
問題はこれだけには止まっていなかった。嘗ては世界を主導してきたアメリカ式の「少品種大量生産から大量販売方式」から産み出されたアメリカの市場だけにしか通用しない製品とその価格では、新興勢力の高品質で経済的な価格の製品との競争には勝てなくなってしまったのだ。アメリカの自社の設備を効率的に稼働させるスペックで造り出される量産品は受け入れられなくなったのである。
例えば、アメリカ特有の針葉樹の強力な木材繊維の特性を活かした荒々しいが印刷加工の能率は上がる印刷/情報用紙類は、我が国や新興国のように闊葉樹の繊維を活用した滑らかな表面状態と緻密な地合の紙に慣れた需要家には歓迎されないのだった。言い換えれば、折角の「優れた針葉樹繊維の紙は通用しなかった」という事になる。
そこに加えるに、既に繰り返して取り上げた「労働力の質の低さの為に、世界中何処に行っても受け入れられるような製品が出来ない」という労働組合の問題もあるのだ。職能別労働組合が強力で賃上げの要求が厳しくなる一方だったので、古い話を持ちだして恐縮だが、一部の産業界には「空洞化現象」まで起きていたのだった。
その弱りかけてきたアメリカ市場に国内の需要を遙かに超える過剰な設備を抱える事になってしまった新興勢力が輸出攻勢をかけてきたのだから、アメリカは防戦一方になったのも止むを得ないこと。結果的には嘗ての下請け工場的存在だった中国からの輸入の激増に、トランプ政権は高率の関税で対応したのだった。インドネシアからの印刷用紙などはその前に、既に超高率の関税で閉め出されていた。
私は古物化した設備を多くの分野で抱えているアメリカの製造業が衰退してしまった原因と言うか背景には、上述のような問題点があったと見ている。その他に忘れてはならない事がある。それはアメリカ市場の特性で「如何なる製品でも本質的に求められている機能を充分に果たしていれば十分だ」とする極めて合理的というか実用的な消費者の要求だ。彼等は例えば牛乳パックなどには我が国のような芸術的な美術印刷などは求めていないのだ。
だから、アメリカの製造業はアメリカ市場で通用し、受け入れられていた製品をそのまま海外の市場に流せるものと確信していたようだったのだ。だから、外国からの厳格な品質の要求に簡単に応じられず、容易に海外市場に浸透できていなかったと見ている。その悪い例が「未だに左ハンドルの車しか作らないにも拘わらず、トランプ前大統領のように「買わない日本が怪しからん」などと言うのだ。欧州では右ハンドルを作っているではないか。
私は20年以上もアメリカの大手企業に勤務して、彼等が「世界で最も品質にも価格にも厳格な要求をする国である」と言う日本向けの輸出を担当して、苦労もしてきた。その間に実体験して学んだ結果で知り得た、アメリカの産業界が抱えていると思う問題点を取り上げてみた次第。この辺りは大所高所から見ておられ、米国経済についての豊富な情報源を持っておられるエコノミストや評論家の方々の見解とは違うのは当然かと考えている。
アメリカの製造業界が世界の情勢の時々刻々の変化に遅れることなく付いてきて、設備の合理化の投資を怠ることがなければ、自動車産業があそこまで衰退せずに済んだのではなかったか。新興勢力が世界最新鋭の生産設備を導入して、先進国を追い抜いている状態をオバマ元大統領やトランプ前大統領が的確に把握しておかれるべきだったのではなかったか。だから、新世代の賢明な経営者たちはGAFAMに向かったのだと思って見ている次第。
私が上述のようにアメリカの製造業が衰退したと指摘できた理由は「米国の企業社会の中に入って、アメリカの実態を具に見て、アメリカの為に働いてきたから」なのだと思っている。我が事業部の副社長が指摘した“We are making the things happen.”と言ったように「我々は当事者であり、我々が事を起こしている」と言う世界にいたから言うのだ。
偉そうに後難を怖れずに言えば「高名なエコノミストやジャーナリストの方々とは違う立場と視点からアメリカの産業を経験してきたからこそ言えること」を述べてみた次第だ。一般の方々が簡単に踏み込める機会ないと思う世界を紹介しようと試みたのである。