新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月12日 その3 「マスコミの不勉強を責める」の訂正版です

2024-04-12 09:22:04 | コラム
何を今頃「ジョー、フミオの間柄」と間抜けな事を言うのか:

マスコミの連中には「もう少し英語圏の国の文化(言語・風俗・習慣等)を正確に視聴者に伝えようと努力せよ」と、事改めて言いたい。それは岸田総理がアメリカに国賓待遇で招待され、バイデン大統領との会談の際に「ジョー、フミオと呼び合って親密さを示した」というようなトンチンカンの事をヌケヌケと流しているのを聞いて、大袈裟に言えばその不勉強振り不正確な報道に「胸が悪くなった」のだから。

この「ファースネームで呼び合う事がどういう意味かを知らなかったのだろう」と好意的に解釈していた中曽根内閣の1980年代初期の「ロン、ヤスと呼び合って親しさを示した」の話ならば未だ看過してやっていたが、21世紀の今日に至っても「未だにファースネーム呼び合う間柄が何か特殊で、特筆大書すべき事のように扱う不勉強さ」には呆れる他ないのだ。

彼等の習慣では「名乗り合うか、名刺交換をした後で『どのように呼び合うか』を確認する」のが普通の礼儀である。また、そう言う手順を経ないでもファーストネームで語りかけ合う事など非礼でも不思議ではない。即ち、「特別に親しい間柄になったから、ファースネームで呼び合うのではない」のだ。ファーストネームベイシスが普通の事なのである。また、礼儀として自分から「こう呼んで下さい。貴方をどう呼べば良いのですか」と尋ねる事もする。

月並みな言い方をすれば、戦後70数年を経た今になっても、未だにそういう習慣の違いを弁えずに「岸田総理がジョーと呼べるような親密な関係を確立した(のはお手柄のように)」と言うとは、異文化を充分に学んでいないというお粗末さを内外に示した事になりかねないし、国民を誤解させてしまう所業なのである。

英語圏では「様」、「さん」、「君」、「呼び捨て」(ため口?)のような段階制はないのだ。であるから、何かに気を遣ってMr.を付けるのなどは「よそよそしい」ことになるのである。この程度の事を未だ言わねばならないとは、学校では誰が何をどのように教えているのかと言いたくなる。

念のために補足しておくと「偉い人の中には名字にMr.を付けて呼ばせる事もあるし、George Weyerhaeuserのように自分は普通の人だからGeorgeと呼びかけろと言う人もいる」と認識しておく必要はあると思う。重ねて言っておくと「岸田総理がバイデン大統領とファースネームで呼び合ったから、何か非常に親密な関係を確立されたのではなくて、普通に親しい間柄だと示しただけの事」だ。

4月12日 その2 マスコミの不勉強を責める

2024-04-12 09:02:15 | コラム
何を今頃「ジョー、フミオ」の間柄と間抜けな事を言うのか:

マスコミの連中には「もう少し英語圏の国の文化(言語・風俗・習慣等)を正確に視聴者に伝えようと努力せよ」と、事改めて言いたい。それは岸田総理がアメリカに国賓待遇で招待され、バイデン大統領との会談の際に「ジョー、フミオと呼び合って親密さを示した」というようなトンチンカンの事をヌケヌケと流しているのを聞いて、大袈裟に言えばその不勉強振り不正確な報道に「胸が悪くなった」のだから。

この「ファースネームで呼び合う事がどういう意味かを知らなかったのだろう」と好意的に解釈していた中曽根内閣の1980年代初期ならば未だ看過してやっていたが、21世紀の今日に至っても「未だにファースネーム呼び合う間柄が何か特殊で、特筆大書すべき事のように扱う不勉強さ」には呆れる他ないのだ。

彼等の習慣で「名乗り合うか、名刺交換をした後で『どのように呼び合うか』を確認する」のが普通の礼儀である。また、そう言う手順を経ないでもファーストネームで語りかけ合う事など非礼でも不思議ではない。即ち、「特別に親しい間柄になったから、ファースネームで呼び合うのではない」のだ。ファースネームベイシスが普通の事なのである。また、礼儀として自分から「こう呼んで下さい。貴方をどう呼べば良いのですか」と尋ねる事もする。

月並みな言い方をすれば、戦後70数年を経た今になっても、未だにそういう習慣の違いを弁えずに「岸田総理がジョーと呼べるような親密な関係を確立した(のはお手柄のように)」と言うとは、異文化を充分に学んでいないというお粗末さを内外に示した事になりかねないし、国民を誤解させてしまう所業なのである。

英語圏では「様」、「さん」、「君」、「呼び捨て」(ため口?)のような段階制はないのだ。であるから、何かに気を遣ってMr.を付けるのなどは「よそよそしい」ことになるのである。この程度の事を未だ言わねばならないとは、学校では誰が何をどのように教えているのかと言いたくなる。

念のために補足しておけば「偉い人の中には名字にMr.を付けて呼ばせる事もあるし、George Weyerhaeuserのように自分は普通の人だからGeorgeと呼びかけろと言う人もいる」と認識しておく必要はあると思う。重ねて言っておくと「岸田総理がバイデン大統領とファースネームで呼び合ったから、何か非常に親密な関係を確立されたのではなくて、普通に親しい間柄だと示しただけの事」だ。

岸田総理のアメリカ議会での演説を聴いて

2024-04-12 07:05:21 | コラム
立派にやり遂げられたと思う:

岸田総理はテレビの画面に部分的に流された限りでは、原稿に視点を落とす事なく語り続けておられたのは、皮肉でも何でもなく、立派だったと思って聞いていた。内容も充分に練り上げられていたし、ユーモアも挟み込んでおられたのは素晴らしいと受け止めた。総理は我が国独特の英語教育で育てられたとは思うが、聞き取りやすい英語になっていたのも印象的だった。充分にこの日に備えて準備しておられたのだと察している。

聞き終わったバイデン大統領が“Good job!”と賞賛されたのも故無しとはしない。ただ遺憾だった事があった。それは、多くのテレビ局が「グッド・ジョブ」と字幕を入れた事。大統領が間違っても「ジョブ」という発音をされる事はないと保証しておく。好い加減に(このようなみっともない)英語の発音とは異なるローマ字式表記は止めろと、敢えて言っておく。

私はこの総理の演説と、バイデン大統領側の色々と工夫を凝らされたのだろう岸田総理の歓待振りを見て、我が国とアメリカの同盟関係は安泰だろうと再確認できた。アメリカ側がこの訪問で総理に色々と重荷を負わせるという観測もあるが、「ほぼトラ」ないしは「ほんトラ」に対する態勢を整えつつあるとも言えるアメリカ側の備えが見えたと思う。

私はPXKという各首脳の頭文字が示すように、我が国にとっては一時の油断も許さない国際情勢と、収支報告書不記載問題の処分に対する不満が依然として党の内外に渦巻いている等々の重苦しい状態が続く中で、総理が鮮やかにアメリカ議会に語りかけてこられた事は、心地良い話題を提供して下さったと感謝すると同時に、評価すべきだと思うのだ。