新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

続:英語の面白い表現を紹介しよう

2024-09-22 07:58:11 | コラム
今回は英文和訳方式で:

主に会話体から拾っていこうという企画なのだが、native speakerたちが現実に使う表現には口語体(俗語も含めて)と慣用句が多いのである。敢えて指摘しておくと「単語の意味だけ覚えていて、文章の中でどのように使われるのかを心得ていないと『何を言っているのかな』と悩まされることが多い」のである。そこで、思い付くままにそういう表現を取り上げていこう。

*Now, we are home free.:
解説)要点は“home free”である。初めてこの言い方に遭ったときには「何の事」と聞き返してしまった。それは大阪行きの新幹線の車中でのことだった。三河安城辺りだったか豪雨で鉄橋が冠水しそうなので停止すると1時間以上待たされた。漸く運転を開始するとのアナウンスが流れると、一緒にいた技術サービスマネージャーが“Now, we are home free.”と言ったのだった。「家がタダ」とは何だという事。

彼の説明は「もうこれで最悪の事態が解消されたので心配ないと言うか、勝ったも同然という意味」だった。後になって調べれば「当選確実」などと言う意味でも使われているのだった。二つの単語の夫々の意味とはまるでかけ離れた表現になるのが怖い。

*It’s a piece of cake.:
解説)以前にも取り上げたことがある「容易いこと」か「簡単なこと」または「朝飯前」という事を表している。例えば“Could you answer the question?”と訊かれて“Oh yes, It was a piece of cake.”のように言うのだ。他にも同じような意味で使われる“cinch”がある。

*home work:
解説)「何だ。宿題じゃないか」と言われそうだが、例文を挙げてみれば“It looks obvious that he has done the home work.”と言うと「彼は事前に充分に準備してきたのは明らかなようだ」となるのだ。

*Are you with me?:
解説)このような“with”の使い方があるという例。これで「私の話が分かっていますか」乃至は「付いてきていますか」なのである。こう講師に尋ねられた未だ英語に慣れていなかった人が“Yes.”と言って立ち上がって、講師の隣の席に座った事があった。実話である。“with”を前置詞としての「〜と共に」か「〜と一緒に」とだけ覚えておくと、こういう事態になるので要注意。

“with”の使われ方をもう一つ。実は、何を隠そう、この私は生まれて初めてアメリカのホテルにチェックインした時に係員に“Are you with Mead?”と確認されて「???」となった。これで「Meadの社員ですか」だったのだった。

*It’s up to you.“:
解説)“up”という前置詞もこのように使えるので困る。「上げる」とか「増やす」というカタカナ語とは全く違う。“up to”となれば「貴方次第」か「貴方の責任で」となる。“It’s up to you whether we will keep going or not.”のように「進み続けるかの決定は貴方次第だ」となる。

*name of the game:
解説)「試合の名前」とは何だろうと迷った。これで「事の本質」か「最も肝心な事」という意味になるのだ。例えば“The name of the game is to get the job done.”のように言う。「最も肝心なのは仕事を成し遂げる事」になる。

*He is not much of a salesman.”:
解説)これで「彼は余りたいしたことがないセールスマンなのだ」という意味になる。「セールスマン」を他の言葉に入れ替えて使えるので、お考え願いたい。

*Let’s sit down to have a chat.:
解説)これで、「一寸話をしようぜ」と誘う時に使えるが、別に着席して語り合おうという意味ではない。実は、私が初めてこう言われたときには、余り良い話ではなかったという苦い思い出もある。

*We will keep him at arm’s length.:
解説)このような言い方を初めて聞いたときには矢張り「何の事?」と迷った。「彼を寄せ付けないようにする」か「よそよそしくする」か「彼との間に一定の距離を置く」となるのだ。

*筆者注:
未だ未だ幾らでもあるが、汲み取って頂きたいことと言うか肝心な点は「単語の代表的な意味だけを覚えて、例文というか実際の会話または文章の中でどのように使われているかを知らないと、中々英語という言語を理解できなき成ってしまうのだ」という事である