英語を学ぶ事は基礎を固めるという事:
導入部:
私はこれまでに繰り返して「旧制中学から大学までの英語の勉強に加えて、終戦の年からGHQの秘書の方から『英語で話せるようになるには』を個人的に厳格に教えられてきた」と回顧して、英語の勉強法を語って来たし、カタカナ語の濫用も戒めてきた。だが、非常に残念に思っていることがある。それは、このブログでは英語論とカタカナ語排斥論を取り上げるとアクセスが伸びなくなることだ。
敢えて後難を恐れずに言うと「私がアメリカの大手企業の一員として、1年365日、極端に言えば英語でしか読み、書き、話す事がない状態で仕事をしてきた英語力を、どのようにして身につけたかを述べてきたのだ。だが、その方法が学校教育の英語授業と違い過ぎていた為か、信じて頂けなかったような事態がとても残念」なのである。読者諸賢にお考え頂きたい事は「学校教育では得られなかった実用性を私は供えていた点」なのだ。
私は大学を卒業する1954年のあの就職難の時代に「英語を使う職業」を選択する気など皆無で、何とかごく普通の我が国の会社に採用して頂けて、17年間全く英語とは無縁の紙パルプ産業界の国内市場向けの営業担当者として過ごしてきた。だが、後述することもあるかも知れない偶然と運命の流れで、17年目に大恩ある会社を離れてアメリカの会社に転職したのだった。その切掛けとなった出来事では、17年間も使ったことがなかった英語の意志疎通が全く何の躓きもなく出来たことだったのだ。
敢えて自分から言えば、中学校1年の時からひたすら英語の基本の勉強に専念してきたことのお陰で、17年間の空白があっても、言うなれば「三つ子の魂百まで」のようなことで、英語は昨日まで話し続けていたのと同じように、スラスラと口から出てきたのだった。自分でも「意外だった」と感じたほど自然に、初めて出会うUKの人との会話は成り立っていたのだった。
基礎の勉強法とは:
では、その基礎をどのように固めていたかを、あらためて振り返っていこう。この点はこれまでに何度も回顧した事で「私が手抜きをした結果」だったのだ。学校で教えられているように英文解釈をするとか、和文英訳や文法の参考書を読んで試験に備えるとか、単語を覚える為に単語帳やカードを作るのが面倒で、全く手を付けなかった。そして、何となく教科書をただひたすら音読していたのだった。
重要なことは「音読を10回、乃至はそれ以上でも続けていると、自然にそこに出てきている英文の意味が解ってくるようになるし、文章を何処で切って休みを入れる(pauseだが)のかが見えてくるのだ。これを学校教育式に難しく言えば『構文』が解ってくるようになるのだ。しかも、音読し続けていると暗記できるようになることも解ってきた。そして、矢張り何となく試してみると「一レッスン」くらいは簡単に暗唱できるようになったのだ。そこまで行ってから試験に臨むと、何時でもチャンと90点以上が取れたのだった。
単語カードも単語帳も造らないと言ったが、この点を補う為にやったことは「知らないか、解らない単語に出会った時には、兎に角辞書をひいて意味を確かめる」のだった。そして、面倒だからと教科書には絶対に書き込みはしなかった。このようにして結果的に覚えたことは「単語をそこに使われている意味だけを覚えるのではなく、流れの中でどのように使われているか」を覚え込んだことだった。これは非常に重要で、後に「単語という部品をバラバラに覚えて置いたとして、何らかの完成品という形にはならない」と指摘するようになった事だった。
この「音読・暗記・暗唱」は高校3年時の英語の担当だった鈴木忠夫先生に「それは良い学習法だった。完全に文章として記憶してあれば、それ以後には必ず文法的にも間違いのない文章が口から出てくるようになるから」と承認して頂けたのだった。この「音読・暗記・暗唱」の勉強法は、大学で出会った脱帽的な英語の天才とも言いたい横須賀高校から来たK君も全く同じだったので大いに意を強くしたものだった。K君が英語で話しているのを聞けば「アメリカ人だ」と思ったほど発音も完璧だった。彼は大学推薦で留学に行ってしまったほどの英語力だった。
大学1年から2年ほど中学1年の男子の家庭教師をする機会があったので、親御さんのご了解の下にこの方法で徹底的にやってみた。週に2~3日は四谷での授業を終えてから藤沢の家に通った。ただただ音読だけで、教科書のレッスン1から当日の授業の所までを繰り返して音読させてから、教科書を伏せて暗唱させた。間違いなく出来るまで繰り返すだけが私のレッスンだった。彼はチャンと教科書1つを丸暗記できるまでになった。彼は高校を終えるまで英語は全部5だったそうだ。先生には「高校の勉強が英語だけだったら、君は間違いなく優等生だ」とまで言われたそうだ。
また、1997年からは某総合商社でアメリカの大手メーカーからの輸入業務を1人で担当している若手の、英語力と実務の個人指導を担当したことがあった。彼には必要になると思う英語の文章をひたすら自習で音読させ、暗唱できるまで記憶させることにした。そして、その成果を試す為に英語だけで会話をする時間を設けて、どれほど身に付いているかを厳しく追及した。また、彼には街中を歩いているときに目に入る光景をそのまま英語で表現するようにも命じた。そして言った「それが恥ずかしいなどと思うようでは、上達の望はないと思え」と。
彼の業務での外出の際に途中まで同行して、帝国ホテルなどのロビーの喫茶席で「英語だけの会話」も強制した。ここでも「誰かに聞かれて恥ずかしいなどと躊躇するな。出来る限り文法的にも正しいと思う英語で語れ」と押しつけた。そうこうする間に格好が付いてきた。彼から誇らしげに「課長からお前が課で一番の英語使いになった」と言われたときには、正直なところ「ホッ」とした。「俺の教え方は正しかったのだ」と再確認できたのだから。この辺りを、私は「英語で話せるようになる要素は、慣れと度胸だ」と表現してきた。
GHQの秘書の方の教え:
これも今日まで繰り返して述べてきたこと。第一は「英語だけで考えなさい。日本語は忘れなさい。」だった。次は「何か言おうとするときに、言いたい事を日本語で考えてから英語にしようとしては駄目。出来るだけ英語だけで文章を構成してみること」が来た。この2点の意味するところは「英語で意志を表現しようとするときは、頭の中を英語だけにしなさい」となる。三番目には「言葉が出て来ないときには“Let me see”とでも言って繋ぎなさい。また、如何なる時でも“you know”を会話に挟んではいけません」だった。
彼女は中学1年生の私が解ろうと分かるまいと、英語だけで話しかけてきた。また、私の応答に少しでも文法的な誤りがあるか、言葉の使い方が不適切である時には、返事をくれないか無視されたのだった。この方法の為に自然に文法的に正しい表現をするようになってきた。言ってみれば「素晴らしい教え方だった」だったのだ。この“you know”を挟んではならないという教えは、アメリカの支配階層の会社に入って良く解ったことで、決して知識階層の人たちが使うことがないphraseだと確認できた。
また、私が上司の奥方で最も尊敬しているMBAの女性には「そのGHQの方の“you know”は駄目だと言う教訓は素晴らしい」と、あらためて教えられた。この夫婦ともMBAである家庭で夕食会に呼ばれたときの夫妻の会話で、奥方が「今日会談した某氏が“Me, too.”と言ったのには幻滅した」と言うと、ご主人が「そうか。彼はそんな表現を使ったとは呆れた」と応じたのには、流石に驚かされた。アメリカの支配階層の家庭では、こういう言葉遣いまで厳しいのだと学んだのだった。我が国の学校でここまで手が届くのかを考えて見たら如何か。
未だ未だ述べておきたいことは沢山あるが、今回はここまでの基礎編に止めておこう。
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