新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月30日 その2 早起きは三文の得

2020-12-30 15:49:28 | コラム
我が国には8万人のネパール人が:

昨29日の朝も4時過ぎに目が覚めて、3度寝も無理だと知って起き上がってテレビをしようこと無しに眺めていた。言って見れば「三文の得」かも知れない新知識だったが、早起きのお陰で、我が国にはネパール人たちが8万人もいると知り得たのだった。

それは、何気なくNHKのBSにしてみると、見出しのように我が国における大勢のネパール人の動静について報じていた。そこに採り上げられた一家は、父親が呼び寄せたもののようだったが、その長である父親が如何なる在留資格で来ているのかは解らなかった。その一家の長女(9歳)をネパール人学校に参観に連れて行き、是非入学しなさいと校長と共に説得するのだが、長女は「ネパールに帰る」と言い張って肯んじなかった。

そこで驚愕させられたことは、ネパール人学校にはスクールバスまであり、その側面には“International School”と表示され,所在地なのだろうが“Okubo”とあったのだ。将に「知らなかった」だったのだ。確かに大久保通りにはネパール料理屋が増えてきたし、3~4年ほど前だったかにイズラム横町の中にネパール居酒屋の1号店の如きものが出店していた。因みに、ネパールはヒンドウ―教の国にはずだ。大体このような店は同国人向けなのと承知して試しに入って見れば,何処からやって来たのかと思わせられたほどネパール人が溢れていた。

2年ほど前だったかに、ジムで顔馴染みになっていたネパール人で飯田橋付近でアジアンダイニングを経営しているという人物が、大勢のネパール人たちと共に何か作業をしていた。そこで「何をしているのか」と尋ねた。答えは「ネパールをより良く広く知って貰う為に、お祭りの準備をしている」だった。彼らが如何なる在留資格でレストランを運営できているのか知る由もないが、宣伝広報活動までする意図は理解できなかった。ただ、明らかにネパール人が増えているという感覚はあったが、全部で8万人もいて、ネパール人学校を大久保に設けていたとは想像もしていなかった。

その番組では,結局は9歳の女児は単独でネパールの帰ることになり、大勢のネパール人たちが空港まで送っていったのだった。故郷に帰ってからは祖母の家に暮らし、徒歩で1時間だったかの学校に通うようになっていた。先日は大久保ではなく百人町にベトナム人専用の恐らく非合法なのだろう床屋が出てきたいたことを採り上げたが、ネパール人学校は我が国の法律に従っているのかなと思ってしまう。私が危惧することは「彼ら異邦人に余程しっかりと我が国の法律とその規制」を知らしめておかないと、新宿区は治外法権の街と化してしまうのではないか」という辺りだ。



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