3日のPrime Newsに緊急出場した河村建夫議員に思う:
冒頭に登場した河村建夫元官房長官(74歳、慶大商学部卒)はソウルを訪れて知日派とされている李洛淵(イ・ナギョン)国務総理(=首相)との懇談の結果を語っておられた。私の結論から申し上げれば「河村建夫氏のように議員経験が長く党内でも重きをなしておられる方でも、現在のようにねじれ切った対韓国関係の修復というか改善の為の交渉役には適材だったとは思えない」のである。確かに「戦中の半島出身労務者問題の解決」こそが我が国の最優先である事を強調されてきた由だったが,その代替に「1+1+α」という訳が解らない提案をされそれを総理にも報告したそうだった。
永年アメリカ側の一員として精神的にも厳しい負担となる重要且つ難しい対日輸出交渉に従事して経験から言わせて貰えば「この一線を譲ること」即ち「妥協点や落とし所を探る」であるとか「先方の主張を聞き入れようとする」ような姿勢を採ることなどあり得ないのだ。感情を一切排して、時には「論争と対立を恐れず」に自社の主張を通りとなるように説得するのが、ごく普通の交渉術なのである。更には「これを言うことで失うものはない」という、我が国から見れば高飛車の姿勢で臨む戦法に出る同業他社もあると聞いていた。
自慢話として受け止められても結構だが、私は本部から日本に交渉にやってくる者たちに言ったことは「“Be a good listener.”であって、一方的に会社の意向の代弁者にならずに得意先の主張も聞くようにしよう」だった。これは既に指摘したことで、対日交渉では「先方の主張を聞くことが良い結果をもたらすことになる」からである。だが、韓国の主張を聞くのはこれとは別個のことであろう。
上記を換言すれば「アメリカ式交渉術は概ね先手必勝方式」であって、先ず自社にとって最も有利な条件を提示してから先方か取引先とのnegotiationと言うか交渉に入っていくのだ。交渉役として派遣されてきた者が事業部の責任者でない場合には「譲歩」や「妥協」などの権限は元から与えられておらず、不調に終われば「残念でした。また会いましょう」という次第で物別れに終わってしまうのだ。こういう交渉を感情的(emotional)にならずに出来るのは、国民性と恐らく学校教育でdebateを学んできた結果だろうと思って見てきた。韓国の交渉術にはかなりアメリカ式に類似した点があると思う。
そういう点から昨夜の河村建夫氏の穏やかな口調の帰朝報告を聞いていて感じたことは「ごく一般的な国会議員の姿勢として、一切のアメリカ式先手必勝の議論を排して自国の主張も十分且つ日本的で礼儀正しく控え目に主張されただけではなく、李洛淵氏の主張をも誠意を以て聞かれたのだろうと察している。私は敢えてこの礼儀正しい交渉術を批判する気はないが、少なくとも韓国側に我が国の正当性と彼らの数々の国際法違反を如何なる口調かは別にして、真っ向から順々説き聞かせて,妥協を求めるような提案など受け付けて欲しくはなかった。
私が危惧する点は「1+1+α」を持ち帰ったと韓国側が知った時点で「日本は未だ与し易し」と判断しただろうことなのだ。私がヤンワリと国会か政府を批判することをお許し願えば、河村建夫氏のような対外国との(私が在職中に屡々友人や知己に語った「命の遣り取りのように感じた」)国際的な交渉不慣れだとしか思えない方をあの場に送り込んだことが適切だったのか)という点である。更に後難を恐れていえば「長期の議員経験と国際的交渉能力とは同じではない」と指摘したくなるのだ。
終わりに、一般論をも兼ねて言えば「その場に臨むことで背負う責任の重大さを感じる時に、思い切ったことを言い出して万一にも不発に終わった場合の怖さを味わっていない人物に委任すべきではなかったのでないのか」なのである。私は20年以上も経験したが,その場に臨む時の並々ならぬ緊張感を思い出しながら、河村建夫氏の報告を聞いていた。「河村様、ご苦労様でした」で締め括って終わる。
冒頭に登場した河村建夫元官房長官(74歳、慶大商学部卒)はソウルを訪れて知日派とされている李洛淵(イ・ナギョン)国務総理(=首相)との懇談の結果を語っておられた。私の結論から申し上げれば「河村建夫氏のように議員経験が長く党内でも重きをなしておられる方でも、現在のようにねじれ切った対韓国関係の修復というか改善の為の交渉役には適材だったとは思えない」のである。確かに「戦中の半島出身労務者問題の解決」こそが我が国の最優先である事を強調されてきた由だったが,その代替に「1+1+α」という訳が解らない提案をされそれを総理にも報告したそうだった。
永年アメリカ側の一員として精神的にも厳しい負担となる重要且つ難しい対日輸出交渉に従事して経験から言わせて貰えば「この一線を譲ること」即ち「妥協点や落とし所を探る」であるとか「先方の主張を聞き入れようとする」ような姿勢を採ることなどあり得ないのだ。感情を一切排して、時には「論争と対立を恐れず」に自社の主張を通りとなるように説得するのが、ごく普通の交渉術なのである。更には「これを言うことで失うものはない」という、我が国から見れば高飛車の姿勢で臨む戦法に出る同業他社もあると聞いていた。
自慢話として受け止められても結構だが、私は本部から日本に交渉にやってくる者たちに言ったことは「“Be a good listener.”であって、一方的に会社の意向の代弁者にならずに得意先の主張も聞くようにしよう」だった。これは既に指摘したことで、対日交渉では「先方の主張を聞くことが良い結果をもたらすことになる」からである。だが、韓国の主張を聞くのはこれとは別個のことであろう。
上記を換言すれば「アメリカ式交渉術は概ね先手必勝方式」であって、先ず自社にとって最も有利な条件を提示してから先方か取引先とのnegotiationと言うか交渉に入っていくのだ。交渉役として派遣されてきた者が事業部の責任者でない場合には「譲歩」や「妥協」などの権限は元から与えられておらず、不調に終われば「残念でした。また会いましょう」という次第で物別れに終わってしまうのだ。こういう交渉を感情的(emotional)にならずに出来るのは、国民性と恐らく学校教育でdebateを学んできた結果だろうと思って見てきた。韓国の交渉術にはかなりアメリカ式に類似した点があると思う。
そういう点から昨夜の河村建夫氏の穏やかな口調の帰朝報告を聞いていて感じたことは「ごく一般的な国会議員の姿勢として、一切のアメリカ式先手必勝の議論を排して自国の主張も十分且つ日本的で礼儀正しく控え目に主張されただけではなく、李洛淵氏の主張をも誠意を以て聞かれたのだろうと察している。私は敢えてこの礼儀正しい交渉術を批判する気はないが、少なくとも韓国側に我が国の正当性と彼らの数々の国際法違反を如何なる口調かは別にして、真っ向から順々説き聞かせて,妥協を求めるような提案など受け付けて欲しくはなかった。
私が危惧する点は「1+1+α」を持ち帰ったと韓国側が知った時点で「日本は未だ与し易し」と判断しただろうことなのだ。私がヤンワリと国会か政府を批判することをお許し願えば、河村建夫氏のような対外国との(私が在職中に屡々友人や知己に語った「命の遣り取りのように感じた」)国際的な交渉不慣れだとしか思えない方をあの場に送り込んだことが適切だったのか)という点である。更に後難を恐れていえば「長期の議員経験と国際的交渉能力とは同じではない」と指摘したくなるのだ。
終わりに、一般論をも兼ねて言えば「その場に臨むことで背負う責任の重大さを感じる時に、思い切ったことを言い出して万一にも不発に終わった場合の怖さを味わっていない人物に委任すべきではなかったのでないのか」なのである。私は20年以上も経験したが,その場に臨む時の並々ならぬ緊張感を思い出しながら、河村建夫氏の報告を聞いていた。「河村様、ご苦労様でした」で締め括って終わる。
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