新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私が不安に思うこと

2019-09-18 08:45:48 | コラム
我が国民は政治家も含めて純情過ぎないか:

私に言わせれば、韓国が1,000年経っても消えないと称する恨みに基づいて我が国との関係をこれ以上ないまでに意図的に悪化させた状況に鑑みて、畏メル友RS氏は「世界は日本人の思っている以上に腹黒く、我々日本人も清濁併せ呑むことも不可欠です。」と指摘されたことの引用から入っていく。誠にその通りだと心から賛成する。しかしながら、20有余年アメリカ側の一員として対日交渉を担当してきた者に実感を込めて言わせて貰えば「我が同胞は余りにもフェアープレー重視であり、小汚い駆け引きもされない点は評価すべきだが、如何せん外国慣れしていないというか世慣れていないのは芳しくないのだ」と思わせられた。

換言すれば「外国人も自分たちと同様に純情で、清く正しく美しくの精神で交渉に臨んできている」と信じておられるのではないかと思わせられたことが多々あった。私はアメリカ人たちは我が国で屡々誤解されているような国際人でも何でもなく、外国慣れしている訳ではないのだと敢えて指摘する。その交渉術は私が繰り返し指摘して来た「これを言うことで失うものはない」と「論争と対立を恐れない姿勢」と「感情論に陥らないこと」と「学校教育でdebateの教育を受けていること」と「妥協することは頭から考えていない」との姿勢で臨んでいるだけなのだ。但し、英語という言語の性質上、論旨の構築は巧みで常に断定調である。

言ってみればそれだけのことなのだ。だが、ともすればその交渉で妥協点を探ろうとするか落とし所を見つけようとする我が国の交渉術とは、歴とした文化の違いがあるので我が国では「アメリカ人の交渉術は国際化されている」との錯覚を起こしているだけだとすら考えている。W社の日本人代表者だった商社時代に10年以上も北アメリカの駐在経験があった国際的交渉の経験十分なN氏は「時々、こんな大したことがないアメリカ人の言うことに屈服しないで欲しいと感じたことすらあったほど我が同胞は純真だった」と述懐されていた。

私は22年半に及んだアメリカの会社勤務では、彼らがその二者択一的思考体系に基づいて,我々から見れば「良くそこまで割り切った決断が出来るものだ」であるとか「何故そこまで冷酷な判断をしてくるのか」と恐怖を感じたほど厳しい姿勢を見せることがある。でも彼らはその割り切り方や冷酷な判断は飽くまでも我が国の思考体系から見ればそうなるだけで、彼らは冷酷だとも厳しいとも思ってはいないと言いたい。私なりに割り切って言えば、文化と思考体系の相違に過ぎないと思っている。いや、未だ未だ我が国は海外に馴れていないだけということかも知れない。

そこまでに思いを致せば、我が国は韓国の度重なる言いがかりと厭がらせに対して、もう少し果断な姿勢で臨み、彼らの言い分で否定すべきか反論の必要がある場合には真っ向から筋を通して主張して欲しいと思っている。既に述べたように現代はフェアープレー重視や純情だけでは通用しない世の中になってしまっているのだ。私はアメリカの会社に転じて部内の会議でも他部門とも打ち合わせでも、感情的にならず論旨を十分に構築して討論をすることの重要性を知らず知らずの間に習得していた。

我が安倍内閣にも、自民党内にも討論が主体であるアメリカの一流私立大学の大学院出身者がおられるではないか。そういう学識経験者の力を十分に活用すべき時代になっているのではないか。過剰に紳士的である外務官僚に任せておいて良い時代ではないとすら考えている。韓国のロビーイングや我が国を貶める広報宣伝活動に本腰を入れて対抗して貰いたいものだ。「何、英語力に不安がある」だと。その点は実用性に乏しい英語教育をしている文科省に反省を求めて欲しい。私はこと英語力に関しては野に遺賢はいくらでもおられると思うが。



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