新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が国のマスコミの姿勢を問う

2013-10-22 14:35:25 | コラム
誰のため、何のための報道か:

10月22日の昼前に、調剤薬局でも待ち時間にボンヤリとテレビの国会中継(だったのだろう)を見ていた。そこには維新の会の松野が居丈高に甘利茂木両大臣に福島での汚染水問題を追及している場面が映しだされていた。実はこういう場では音声を聞き取りにくくしてあるのだが。この案件はマスコミが今国会で野党が追及するだろうと予測していたもので、その限りでは新鮮味がなかった。流失しては良くないことは誰だって解ることだ。

私はずっと以前から、何事につけても我が国のマスコミの報道の姿勢に疑問を感じていた。それは総理大臣が靖国神社を参拝するかしないかであるとか、または何人の国会議員が参拝したかであるとか、汚染水の流失のためにどういう事態が生じていたとか、小泉元総理が原発不要論を唱えたとか、原子力何とか委員会が活断層について何を言ったとか、菅直人の悪しき遺産である何ミリシーベルトだったとか、東電の態度がどうだったか等々で、それを報じて何のためになるのかが私には理解できないのだ。

彼らは何かと言えば、中国の報道官が我が国を非難してこう言ったであるとか、韓国の大統領が歴史認識がどうのと発言したかなどを、鬼の首でも取ったかのように報じる。だが、彼らの多くはこの手の発言に対して真っ向から反論するような姿勢は採らず、官房長官が記者会見で何と言ったかや、某大臣がこう言ったといった類いのことしか報じない。勿論、戦う姿勢を見せている新聞も出版社もあるとは言っておくべきだが。

それだけではなく、そういうことを報じているのは、某新聞が代表するような中国や韓国に阿っているだけで、少なくとも国民の一人である私には何らの価値を見出させてはくれないものなのだ。回りくどいことを言わないようにすれば、あの姿勢では何処かの国の回し者だろうとしか言えないのだ。例えば、今更、東京電力の態度や姿勢を採り上げて批判したところで、あの会社が前非を悔いて福島の諸問題を一気に解決するように、全社を挙げて努力するように変わるものでもないだろう。

確かに、私はIOCでの安倍総理のスピーチを聞いた時には、言い過ぎではないかと危惧した。だが、総理が目指しておられた方向は決してお国のためにならないことではなく、そうあって欲しいものである。故に、「そういう方向を官民挙げて目指そう」とでも言うかと思えば、国会での野党の安倍内閣を攻める材料になるだろうとか、如何にも総理の失言であるが如くに扱っている。社会の木鐸であるとか何とか言うのならば、もう少し姿勢を正して、お国のために、国民のためになる報道姿勢を採って貰いたいものだと言いたくなるではないか。

日米間の球種の見極め方の違い

2013-10-21 12:10:14 | コラム
上原浩治が活躍できる理由(わけ):

このところ、NHKのBSで日米の野球の解説を聞いているようになって、誰が信頼するに足るプロ野球のOBかが解るようになって来た。換言すれば、好みの解説者が出てきたということかも知れない。監督ないしは指導者として野球を見ているという点で確かなのが元日ハム監督だった梨田だと思う。次に信頼するに足るのが、元は日ハムの投手だった武田だ。

偶々3日連続で聞いたレッドソックス対タイガースの解説は、この武田に川崎宗則(トロント・ブルージェイズ所属)が加わっていた。私は野球選手としての川崎をそれほど評価していなかったし、MLBで内野手のポジションを確保するのは至難の業だと思っていた。野村克也もそんな風に見ていた。しかし、補助の解説者としては暴露的発言が多い点をマイナスしても、かなり聞かせどころが多く、面白いと思って聞いていた。

その川崎が(先だったと記憶するが)先ず「アメリカではピッチャーの球の出所(リリース・ポイントで良いと思うが)の見極めは、ワインドアップないしはモーションで球がグローブから離れた瞬間にせよと教えられた」と語った。更に「上原さんはその後のテークバックが短くて、アッと言う間に球が来てしまうので、バッターにはあの球速のストレート(誤ったカタカナ語で「ファストボール」である)でも150キロ以上に感じて振り遅れるか当て損なうのだ」と指摘した。

これには武田も同調して「確かにリリースポイントというか球離れの見極めをそう教えている。そこが問題で、上原は謂わばキャッチャーのような投げ方で腕を後ろに引く距離が極端に短くて、しかも上が下に下がらず、グローブから離れたと思った瞬間に来てしまうので、精々143キロ前後でも打つ方は150キロ以上に感じてしまって、タイミングが取れないのだろう」と補足した。

そう聞いてみていると、上原以外の投手は田澤も含めて一旦ボールを持った手が下まで下がってから、あらためて上から投げる形になっていることに気が付いた。こう書けばリリースまで如何にも長い時間がかかっている動作のようだが、恐らく1秒の何分の1かの違いだろうが、その違いが決して速くはない上原の直球を威力があるものにしているのだろう。

しかし、上原が川崎に「また要らんこと言うたやろ」と怒鳴ったのは、この暴露的解説の前日の発言を指しているので、このリリース・ポイントの日米間の見極め方の相違点は未だアメリカのメディアが採り上げる機会がなかったはずだろう。上原が気に入らなかったのは第4戦で何か川崎が触れた別は話題だだっただろうと思って聞いていた。言うなれば、「矢張りプロは見ているところが違う」なのだが、それは当たり前ではないか。

この手の解説はある程度以上野球を経験したか、沢山の試合を観戦してきたファンには興味があることかも知れない。だが、1970年代だったかに元早稲田大学・野球部の一軍に在籍されたY氏と共に、会社を抜け出して日本シリーズをテレビ観戦したことがあった。Y氏の言われることは謂わば全てそこまでの次元の野球を経験されていなければ到底出来る訳がない解説だった。「なるほど、彼らはそう考えて野球をやっているのか」と非常に勉強になった。

そこでY氏に「何故テレビにで来る解説は貴方のように本当のことを言わないで、おざなりで解りきったような表面的なことしか言わないのですか」と尋ねてみた。答えは「本当のことを言って、ファンの人たちが野球の裏表までを知ってしまったら、解説者が要らなくなってしまうではないか。だから、彼らは自分たちの職の確保のためにあの程度のことしか言えないし、また言わないものなの」だった。何かマスコミ全体に対する批判のようにも聞こえたのだが、如何。

アメリカの野球も面白い

2013-10-19 13:43:36 | コラム
上原は「要らんこと言うな」と怒鳴った:
昨18日の昼頃は午後2時半からの約束があったのを忘れたいほどMLBのリーグ優勝決定戦、ボストンレッドソックス対デトロイトタイガースの第5戦に見入っていた。先ず凄いなと感じた点はミシガン湖の南側にあるデトロイトでさぞかし寒いだろう10月半ばの夜に外で野球をやっているのに、半袖のユニフォームを着ている選手がいる一方で、満員の観衆もさして厚着とは見えないことだった。

この辺りが以前にも述べたが、アメリカ人と我々との暑さと寒さに対する感受性の違いとでも言いたい差があるのだ。何しろこれから本格的なシーズンになるフットボールのリーグ優勝決定戦辺りなになると、屡々0度以下という想像も出来ない条件の下で凍ったフィールドで選手は何事もないようにプレーするし、観客も全く寒さを厭う様子が見えないのだから、凄いという以外ない。時には雪が降っている中でも平然としてやっている。

さて、野球である。解説者の武田一浩が「アメリカの野球もここまで来れば面白い」といみじくも張本勲も真っ青とでも言いたいような批評をしたほど、微妙な駆け引きある緊張感溢れる試合だった。何度も言ってきたことが南米系のプレーヤーが増えて以来MLBの野球は粗雑になり身体能力ショー的な要素が濃厚になってしまった。だが、昨日(アメリカ時間は金曜日のはず)の試合ではレッドソックスの日本人2人を含めてけ比較的に南米系が少なかっただけに、それなりに内容が精密で良かったと思っている。

また、武田の選手、特に投手の心理面に触れる解説も良い方だし、レッドソックスのクローザーとして試合を締めた上原が終了後のNHKのインタビューに答えて、東京での解説のゲストで参加していたブルー・ジェイズ所属の川崎宗則の労いの言葉に対して「また要らんこと言ったん違うが。昨日もメール言うなと言うといやないか」といきなり言ってのけたのが大変興味深かった。実は、ネット上では川崎のコメントは意外に好評のようなので、当方も関心があった。

なるほど、実際にMLBでプレーして彼我の違いを痛いほど体験させられていなければとても言えるものではないとでも言いたいようなコメントが出たし、「なるほど、MLBではそういう考え方で野球をやっているのか」と解らせてくれたことを言っているのだ。しかし、その我々が聞いていて興味あるコメントが、実は上原なり田澤なりの手の内を暴露しているのでは言いたいほど微妙なことに触れている場合があった。だからこそ、上原が開口一番「要らんこと言うな」と厳しい表情で怒鳴ったのだと思う。

試合の結果は皆様ご承知のように上原が田澤がリリーフが不成功で2点を献上して1点差になった場面を切り抜けたのだが、上原はNHKのインタビューに「もう休ませて欲しい」と7試合だったかの連続出場の疲れを訴えて「今でも膝がガクガクしている」と緊張感を語っていた。それほどの緊張感がある試合運びでは両ティームとも思うようにチャンスを活かせず、解説者が振ってはいけないと指摘してあった球を振っては凡退を繰り返したのが、その「勝ちたい」との願いと狙いが空回りする様が画面を通じても良く解った。同時にそこにスリルがあったのだ。

あそこまで来ると、野球の上手い下手もさることながら基本的に体力と身体能力が何処まで鍛えられてあったかが勝敗を左右するだろうと思わせるほど、シーズン終了後も試合が続くのだ。その先にアメリカン・リーグの場合には優勝決定までもう2試合も残っている計算で、ワールド・シリーズに出ればそこでは最大7試合もあることになる。

上原が「休みたい」と言った気持ちは解るが、私があれを聞いて気になったのは「もしもあのまま何も考えずにただ単に『もう休ませて欲しい』という英語にした場合に、それが『監督さん、私を酷使しないで下さい』と願っている」となりかねないのだ。アメリカ人はそういうコメントの裏を見ずにそのまま取るので、監督批判になるかなと余計な心配をした次第。

事実、MLBには投手酷使率というのがあり、Darvishは2年連続でその第3位に入っているそうだ。上原は今年だけで70試合に出ているとか。だからこそ、体力勝負になると指摘したいのだ。会社で勤務でも同じことだが。

川崎は言っていた。「MLBは両リーグのティーム数が多く、地区間とりーぐ間の交流試合があるので、同じリーグでも相手のティームの同じ投手に1年に1~2度くらいしか当たる機会がなく、その癖とか持ち球などを覚えきれない。言うなれば初対面同様で苦労させられる。だからこそ、デトロイトとボストンでは近いのだが、日頃馴染みのない投手と打者の駆け引きと勝負を見る点に興味がある」と。中々新鮮なコメントだった。

10月16日の経験

2013-10-18 07:44:15 | コラム
石原慎太郎君老いたり:

午後になって何気なく1チャンネルというのかNHKを見ると、国会の中継で石原慎太郎君が質問に立っていた。脳梗塞を患ったという噂も聞いたが、上から撮った画像では頭髪が薄くなっていたのが見え、何とも言いようがない悲しさのようなものを感じた。それだけではない、以前の語り口とは異なって、つかえてばかりだっただけではなく声にも全く張りがなく「(中・高の同期である)石原老いたり」の感を禁じ得なかった。

それは、私自身が去る8月29日の退院後に悲しいほど自覚している衰えが、懸命に声を張り上げて横田の返還を政府に迫っている彼にも、病後と年齢による老化が余りにも明らかだったのだ。軽い脳梗塞が事実か否かは知る由もないが、あの質問振りを見せられては、果たしてと知事の職を辞して再び国会に打って出たことが得策であったかどうかの結論がそこにあるように見えた。何故に、橋下徹と組んだのかと残念に思えてならなかった。

その後、一大決心?の下に、16:30頃からある会合に参加すべく新大久保駅前のバス停に向かった。何故「決心」などと言うかと言えば、帰宅が夜になるという夜間の外出は退院以来初めてのことであるだけではなく、これ以前に夜間に外出したのが7月24日だったという生活状態である。元々、夜遊びをするタイプではなく、家の中は勿論、外で飲酒することが全くない習慣でもあり、もう何年間も余程のことがない限りというか、月例の会合以外に夜間に出ていくことがなかったのだ。

そこに、小心者の当方は気象病などと言う要らざる知識ないしは知恵がついたために、今年の猛暑による家の中と外との温度差を恐れる余り、夜間の外出などは考えても見なかったのだった。だが、「何事も試みようとしなければ前進がない」と悟りを開き、16日夜の会合には会長のS氏の激励もあって「やってみよう」と決意するに至ったのだった。実際には、会場に到着した時には「やったぞ」と快哉を叫びたい思いだった。

「何だ、たったそれだけのことの何処が一大決心か」などと仰らないようにお願いしたい。あの恐怖を7年間に二度も経験し、「君の病み上がりの体力が弱った状態で風邪でも引けば肺炎になって、生命の危機が」などと助言して頂ければ、「迂闊に夜風に当たったらどうなるか」と縮み上がっていたという情けない次第だった。

しかし、幸いにも台風一過の晴天で往路は快調だったしバスも乗り心地良く、帰路も心地良い夜風に吹かれて無事帰宅して、こうしてここに昨日の出来事を語っていられる次第だ。実は、23日の水曜日にも18:15からの会合が待っている。二度目は平常心で、決心などしないで臨めるだろうと希望的に考えている。

監督だけの問題か?

2013-10-17 13:51:37 | コラム

日本代表サッカーが欧州で二連敗:

当方は時間の制約もあって、これらの2試合のテレビ観戦をパスした。実は本当の理由は他にあって、最早このザケローニ監督が指揮するこのティームには過大な期待が持てなくなったのだった。果たせるかな負け続け、セルジオ越後は監督の交代を主張していると、Yahooニュースで見た。私もある程度以上同感だが、あの弱体振りの責任は選手(の消極性)にもあるし、我が国のサッカーの在り方にもあると思っている。

これまでに何度も指摘し続けたことで、問題点は複数ある。先ずはFWと言うべきかポイント・ゲッター(意識)の不在と言うべきか知らぬが、MLBの野球に見られるような「ここで一発決めてやろう。存在感を見せてやろう」とでも言いたい自己主張ないしは積極果敢さが見えてこない消極性を上げたい。解説者が屡々「あそこで打っても良かったではないか」と言うように「自分でやろう」か「俺がやる」といった喩え失敗しても「責任は俺が負う」との気迫が感じられないのだ。

換言すれば、余程前が空くか、完全にフリーにならない限りシュートに持っていかず、言うなれば責任を取る気がなくて、近くにいる味方にパスしてしまう妙な「パス・サッカー」への執着である。あの姿勢はサッカーが上手いか下手かではなく、「俺がやってやる」という自己顕示欲を養わせなかった我が国のサッカー選手の育て方の問題ではないかとすら感じさせられてしまう。現実には彼らはサッカーが上手いのだから困る。

次は、相変わらず一寸相手のマークが厳しいか、前が空いていないと、折角ディフェンスが苦労して作ったチャンスで絶好のパスを貰っても、惜しげもなく絶好のバックパスをしてしまう弱気というか「俺が、俺が意識」の欠如である。釜本が言っていたが「今の選手たちはキープして相手を抜いてはいけないとは教えられているのか」という「何が何でも安全に」の姿勢を指摘したい。これが4人か3人か知らないが、バックス間での横パスの交換となって、相手のディフェンスが戻ってしまう余裕を与えている結果に繋がっている。あの監督さんはこのサッカーのスタイルを容認しているのだろうか。

当方は今の代表選手たちにはもうこれ以上進化するとか、変化する余地が残っていない気がしてならない。例えば「上手いことは喩えようもなく上手いのだが」とでも言いたい遠藤君などが突然変異を遂げて「鬼神もこれを避ける」というような荒業師になって絶妙なスルーパスではなく「隙あらば遠くからでもシュート」という選手に変わる可能性は限りなくゼロに近いのではないか。

主将の長谷部君が欧州を代表するような「当たりも強く、素早く上がってフリーになってパスを貰ってシュートチャンスを作り出す」可能性も高くはあるまい。GKの川島がマンチェスター・ユナイテッドに招かれるほど進歩するかと訊かれれば「ないでしょう」と言いたくなる。香川君が本田中心に作られてしまったあの混成ティームでドルトムントで輝いたような点の取り方が出来るか否か」も疑問だし、本田が「当たられても強い」以外の褒められ方がどれだけできるのかと言えば、彼の伸びしろももう大きくはないと言わざるを得ない。

即ち、彼らは我々の体力と、身体能力、運動能力としては限界に近いところまで上手くなってと言うか上達して、世界でも戦えるようになって来たことを褒め称えたいのである。だからこそ、私はつい先頃、MLBに行って何もかも磨り減らしてしまって帰国した西岡、福留、岩村を批判したのだ。言語・風俗・習慣・思考体系が異なる世界に入って、自己の能力を最大限に発揮することは容易ではないのだ。

そう思えばこそ、私は日本代表選手たちの上手さを褒めてはきたが、根本的な問題点を指摘しなかったのだ。ザケローニ監督も批判したが、何回でも言えることで「代表選手にまでなった者たちを基本から作り直すことは不可能で、監督の直接の責任ではない。だが、あの監督は今回の連敗を見てもハーフナーに拘るなどの例が示すようにティーム作りを誤っている」と指摘して終わる。