新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本シリーズ第一戦の観戦記

2013-10-27 17:34:33 | コラム
則本君、5回まで楽しませてくれて有難う:

「今年の日本シリーズは残念ながら巨人のものになる確率が高いな」と思いながら、26日夜の如何にも寒そうな仙台からの中継を見ていた。しかも、楽天の星野監督が田中ではなく則本を先発に使ったことを、古田と工藤二人の解説者もアナウンサーも懸命に弁護しているような状態だったのは痛々しかった。私は則本と聞いた時点で、最悪楽天の四連敗もあるかと危惧していた。

試合は楽天が「残念にもチャンスを逃し、巨人に対して新人でも15勝もした則本が果敢に挑み、三振を穫りまくっている」形で進行した。だが、冷静なる評論家は「楽天の実力では何処までこの状態が続くか」という程度で、巨人が先に点を取ったならば、勝負はそこまでだろうと見ていた。もっと直接に表現すれば、楽天の力では総合的に巨人を圧倒することなく、「もう一寸のところだったのに残念」に終わると言いたいほど差があったということ。

5回にあそこまで耐えていた則本が長野に一二塁間を抜かれたところで、「則本君、ここまで楽しませてくれて有難う」と感謝の意を表して観戦を中止した。左の内海が出てくると解りきっていても、あれだけ数多くの左打者を並べた星野監督が如何に「君らを信じているぞ」という姿勢を見せても、遺憾ながら、ここという時に古田だったかが指摘したように、守備位置をライン寄りに変えていたレフトの正面に良い当たりが行ってしまったように毎回「もう一寸」に終わったのだった。

楽天は打つ方でも確かに善戦健闘だったし、則本君も良く投げたのだが、結果が出なければ何とも仕方がないのだ。「あそこまで良くやってくれた」とだけしか褒める言葉を知らない。今日27日は田中将大の先発のようだが、相手は巨人にしか入らないと1年を棒に振った菅野だが、遺憾ながらかなり良い投手なので、余程打つ方がここというチャンスに奮起しないと、田中に今年初の負けがつくかも知れない。

アナウンサーも解説もMLBから来たジョーンズとマギーが打つようなことを言うが解説のどちらかが指摘したようにジョーンズは「大振りで引っ張り」の一点張りだし、マギーも如何にもアメリカ式の「目にもの見せてやる」の自己顕示欲が強く、謂わば雑であると思っている。両名とも巨人のスカウティングにしてやられたかの感があった。

ところで、テレ朝に苦言を呈したいことがある。それはあの工藤公康を解説に使うことだ。彼は何故にあそこまで気を遣うのかと不愉快になるほど後輩になる選手たちを褒めあげることが多過ぎるのだ。彼の解説の内容は決して悪くはないのだが、あのオベンチャラに近い物言いは何とかして貰いたい。大体からして解説者同士が「さん」づけて呼び合うのも野球界の年功序列制度からすればおかしいのではないかとすら言いたくなる。

というような理由で、今夜(27日)は誰が解説するのか知らないが、テレビ観戦はNHKのBSにする。解説者は梨田元監督であれば良いのだが。

世界各国の紙・板紙の消費量、2012年度版

2013-10-27 07:59:14 | コラム
先進国で落ち込み新興国で上昇:

アメリカの専門機関・RISIが発表した2012年の統計では、「全世界の紙・板紙の消費量が対11年比で0.4%の増加で4億1,490万トンと、遂に史上初めて大台を超えたが、生産量は0.2%増の3億9,999万トンに止まった」とあった。

以前にも指摘したが「紙・板紙の消費量が一国の文化・文明の高さの度合いのバロメーターとなる」と認識されていた時代があった。しかし、近年のように先進国であろうと新興国だろうとIT化が著しく進めば、残念ながら紙類の消費量が伸び悩むか減少傾向となってくる。

RISIの統計によれば、地域別に見ると新興国というか途上国の成長率が高く、アジア(30ヶ国)では消費が1.8%で生産が2.0%の成長だった。だが、欧州(42ヶ国)では消費が△2.0%で生産は△1.2%、北米(2ヶ国)は消費△0.8%で生産が△2.4%となっている

。因みに、2,608万トンという世界第3位の生産量を持つ我が国は消費が△1.0%で生産が△2.0%だった。今や世界最大の生産国になってしまった中国は消費が2.8%、生産が3.3%の伸びだった。なお、中国の生産量の1億2,500万トンは全世界の25.6%を占めるに至った。

私が毎年最も興味を持ってみている数字は、各国の1人当たりの名目消費量である。12年度でも第1位はベルギーで、300.2キロの△0.3%でその位置を確保した。以下187.1キロで第10位の韓国まで、トップ10の諸国で伸びを見せたのは第10位から6位に躍進したフィンランドの201.6キロのみだった。

第2位以下はオーストリア、ドイツ、アメリカ、日本、フィンランド、スウェーデン、デンマーク、オランダ、韓国の順となっていた。2年連続で第5位の我が国は218.5キロで△0.8%、アメリカは226.0キロで△1.6%となっていた。第30位が107.8キロのポルトガルで2.6%の成長だった。

全世界175ヶ国の平均値が57キロで、これを超えていたのは54ヶ国だけだった。なお、アジアからは台湾が174.2キロの△1.5%で第12位、香港が142.4キロの△2.5%で第20位に入っていた。

そこで中国はどうかといえば73キロに達していたが、順位は不詳で世界最大の生産量ではあっても1人当たりの消費量では未だ日米の3分の1である。この調査での人口は13億7,656千万人となっている。そこで、この中国の数字を見て大いなる可能性を秘めていると解釈するか、今後とも世界に向かっての一大輸出国であり続けるかは意見が分かれるところかと思うのだが。

資料:紙業タイムス社刊 “Future” 13年11月11日号 R&D情報

高齢者と医療費負担を考えると

2013-10-26 09:43:05 | コラム
死亡率75%:

25日夜のTBSの番組では脳内出血という深刻な大病を「死亡率75%」と表現した。この数字を見て生存率25%の二度の心筋梗塞を経て、お陰様で生きながらえさせて頂いている私は大きな衝撃を感じた。感覚的には「これではほとんど生存できる確率がないのではないか」と思わせられたからだ。だが、良く考えれば「生存率は25%」と同じことなのだ。または「4人に1人しか生存できない」とも解釈できる。

私が「25%の生存率」を言い出した理由は、2006年1月に第一回目の強烈な痛さで失神した際に救急車で送られた国立国際医療センター(当時の名称)での病棟での主治医だった女医さんが「心筋梗塞は発症後救急車での輸送を依頼する等の間に50%の方が死亡し、また救急病院に到着しても『遺憾ながら手遅れでした』となる確率がまた50%で、その患者さんの究極的には25%の生存率である」と教えて下さったのである。私は発症した患者の75%が亡くなることとは思わずに承っていた。

昨夜のテレビにヴィデオに収録された形で出られたのは女優のJMさんで、脳内出血、二度の心不全(実は、「何が原因で」がなかったので何の説明にもなっていないと懸念するが)、動脈瘤という大病を経験され、半身の麻痺と言語障害を懸命にリハビリで克服に努められた後、車椅子で登場されたのだった。6.25%の生存率を持つ私は「偉いな」と尊敬したくなったと同時に「凄く且つ素晴らしい精神力をお持ちだな」と畏敬の念を持って眺めていた。

脳内出血や脳梗塞と心筋梗塞はやや病後の形が異なっているようで、私の場合は二度目の今回は主治医の先生に22日に「元の身体に戻せたからお返しした。以前の通りに行動して貰わねば」と穏やか且つ強烈に諭された。私は幸運であると自覚している。実は退院以降、精神的だったと当人が自覚しているが、そのショックによる鬱ぎ方を見た久し振りに会った愚息に「何を恐れているのか」と質されて「その何かが解らないので」と答えたように、見えざる「敵」と戦っていたという遠回りをしていたのだった。

実は、現職時代は「体力が強く、年に6~7回も日米間を往復し、日本国内を飛び回っているビジネスマンで健康状態には何の憂いもない」かの如くに見事に誤認識されていた。現実は知らぬ間に限度一杯だったのだった。2005年10月まではフットサルなどを何事もなくこなして楽しんでいた。結果的にはこれが2006年1月の心筋梗塞に始まって今年の2度目、前立腺肥大症、皮膚ガン切除、消化器系の問題、年齢的なものがあるとは言え白内障の手術、2種類の血液サラサラの薬を服用している状態での痔からの出血等々、病気の小規模小売店の如き有様を招いたとも言えるのである。

困ったことにと言うか有り難いことにと言うべきか、今回の心筋梗塞から復活できた後でも精神面とは別に、私の顔付きに余り弱った跡が見えないらしいのである。だから「暫く見かけなかったが、またアメリカにでも行っていたのか」等と言って下さった方が何人かおられた。実際には「もう少し遠いところに75%の確率で行きかけたが幸運に飛行機は成田だった羽田だったかに引き返した」のだった。

このようにして、私は国立国際医療研究センター等々の病院で過ごす時間が増えてきた。そこには早朝から多くの患者さんが順番待ちされているし、機械による治療に順番待ちをされている方もおられるし、リハビリ室等は何時も多くの患者さんで賑わっている。皆高齢者である。後期高齢者医療制度の下にある私から見れば、年齢を経ればそれまでの活動と活躍も原因となって抵抗力も落ちて、難しい病気になるのを防ぐのは大変難しいと思う。

しかし、政府は何かと言えば高齢者の医療費が嵩むので高齢者の負担を増やしたいと言う。「それを下の年齢層に負担させるのは如何なものか」との世論という名のマスコミ論調もある。私はそれに抵抗できる立場にはいない。健康状態の維持には出来る限り努力してきた。だが、一般論的にはそれでも防止しきれなかった病もあるのではないだろうか。

安倍総理も田村厚労相も、一度でも大病院や開業医院等を実際に視察する時間を作って、官僚から上がってくる負担増案が如何なる結果をもたらすかを検討されたらどうだろう、野党議員も同行させて。同時に、オバマケアが何故あれほどの騒ぎになるかを、ジックリと検討されたらどうだろう。我が国にはアメリカのように国民の7人に1人が貧困層という状態ではないが、生活保護は増加傾向にあったのではないのか。

謝罪の文化の考察

2013-10-25 13:13:31 | コラム
阪急阪神ホテルズの社長の記者会見に思う:

あの社長さんは終始一貫「偽装ではなく誤表記だった」と主張して、記者が如何に追求しても立ち上がって頭を下げる所謂「謝罪」」はしなかったのが非常に印象的だった。おそらくご当人は目一杯のお詫びをしたつもりだったのだろう。私は長い間「我が国には欧米諸国にはない謝罪の文化がある」と唱えてきた。だから、彼ら欧米人が"I regret."と言えば最大限の謝罪の表現だとも言ってきた。

しかし、これまでに後難を恐れて言わなかったことがある。それは「謝罪の文化は大きく分けて関東のもので、関西に行けば話が違ってくる」という点である。あの社長は絶対に「我が方に非があってお詫びする」という類いの言質を取られることを言おうともしなかった。日本の会社の時に大阪の支店に勤務したことがあり、W社でも関西文化圏に客先があり、こういう違いは承知していた。故に、あの社長の(不遜な?)態度には何らの違和感を覚えなかった。

これも何度も言ってきたことだが、「アメリカ人かアメリカの会社に向かって潔く"I am sorry."等と言ってはならない」のだ。この表現は学校教育の英語では何でもなく採り上げているように思えるが、その意味は「非は当方にあり、如何なる経済的ないしは精神的な補償に応じます」という手形を切ったことと同じになる」から怖いのだ。これが英語圏の国の「謝罪しない文化」である。

私には「非は当方にあり」と認めることが当人の金銭的な補償を意味するのか、あるいは会社として認める訳にはいかないのかの何れかを確かめたことはない。だが、彼らは、兎に角誤らないので、日本的ないしは関東的に考えれば潔くないし、態度が悪いのである。だが、これ即ち文化の違いであって、謝罪しないからといって彼らが責任を感じていないことはないし、深刻に事態の処理方法で悩んでいることは間違いないのだ。

阪急阪神ホテルズは既にお客様の求償に応じると言ったと報道されていたと思う。これ即ち「済みませんでした」までは認めていることだろうと思う。だからと言って「申し訳ありませんでした。お詫びします」などと記者会見で言ってしまえば「ぐつ悪い」のと違いますか。「追求していた記者もそれくらいは弁えていただろうに」と思いながら、あのニュースを見ていた。

アラビア料理店も出現してしまった

2013-10-24 17:08:28 | コラム
ここ百人町の文化通りに変化が:

今週は8月29日の退院以来の多忙振りで、22日が国際医療センター(NCGM)の循環器科での定期検診、23日が歯科と夜の勉強会、今日24日がNCGMの消化器科での再診、明25日が直ぐ近くの病院のX門科での予約という具合で、連日出歩いている。即ち、我が家を出て大久保通りから明治通りを抜けて戸山町までを忙しく往復しているのだ。

大久保通りに出るまでの路地は「文化通り」と名付けられていて、そこにはつい先日までハラルフードを売る外国人の店が5軒あった。だが、駅から最も遠いところ、即ち我がアパートに近い場所にあったものはヒッソリと閉店していた。しかし、その代わりにと言うか何と言うか、Kebabを売っていたカウンターだけの店が業容を拡張し、隣にあった韓国料理店の後を受けてクスクスを売り物にするアラビア料理店になってしまった。その直ぐ近くにはネパール料理店もある。要するに、イスラム教圏の国々の人たち向けの店が増えたとでも言えるだろうか。

私はこのように3日連続で大久保通りを早朝と夕方にバスで通っていたことになった。何度か採り上げてきたが、あの暑い夏の間でもここと職安通りを訪れる女性はある程度は多かったが、今や昨日の午後5時頃には閑散としていて売り手の方が多いのではと思わせ、私が予測してきたKoreatownの最盛期が終わろうとしているように思えた。「その後」を考えると、決して明るい見通しとはならないのだ。

文化通りには、私には何処の国の人たちかを推定するしかない外国人たちが増える一方である。彼らの文化では通りの好きなところに大勢で集まって立ち話をすること等は、何の妨げにもならないということらしい。それでなくても狭い路地に外交官ナンバーをつけた車も駐車するし、立ち話をされたらどうなるか等は、考慮の外であるようだ。女性も明らかに増えてきて一見インドネシア人風だが、確かめる術もないし、インドネシア人が増えたというニュースも聞かない。

何度か触れたが、大久保通りを歩いているアジア系の若者の話している言葉は韓国語以外が圧倒的に多くなってきた。日本語学校は相変わらず繁昌している様子だ。彼らは何の目的で如何なる収入源を確保して、彼らの国よりも明らかに物価が高い我が国で活動できるのだろうか。昨夜は勇気を出して退院以来二度目の夜間の外出を果たした後で立ち寄ったコンビニで店番をしていた男女の若者2人は、韓国語で語り合っていた。だが、日本語は達者だった。

私が気にしているのは「円安に振れて以降、アジアの諸国からの観光客が増えた」等という報道があるが、あの若者たちはvisaを免除した結果かな等ということ。09年と10年に旅したカリフォルニア州ではコンビニでもスーパーでも、小売店のレジで働いていたのはほとんど英語を操る韓国人だったことを想起させられる。マスコミは外国人が我が国の土地を買収すること懸念していたが、こういう現象には余り触れてこない。彼らの眼中にはヨーロッパの諸国で外国人労働者が増えてきた問題はあるらしいが、足下の新宿で起こっていることには関心は無いのだろうか。

私は常に「アメリカで起こったことは何時かは我が国に波及してくる」と言ってきた。アメリカでは総人口に占める白人の比率が50%を切る日は遠くないとも言われている。そうであれば、アメリカや欧州の諸国の次に移民が増えるのが、何処の国とも国境がない我が国になってしまうのか、それとも既に彼らの視野に入ってしまったのかと危惧しているのだが、考え過ぎでないことを望んでいる。