新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本代表のサッカーが二連敗

2013-10-17 07:14:19 | コラム
日本代表サッカーが欧州で二連敗:
当方は時間の制約もあって、これらの2試合のテレビ観戦をパスした。実は本当の理由は他にあって、最早このザケローニ監督が指揮するこのティームには過大な期待が持てなくなったのだった。果たせるかな負け続け、セルジオ越後は監督の交代を主張していると、Yahooニュースで見た。私もある程度以上同感だが、あの弱体振りの責任は選手(の消極性)にもあるし、我が国のサッカーの在り方にもあると思っている。

これまでに何度も指摘し続けたことで、問題点は複数ある。先ずはFWと言うべきかポイント・ゲッター(意識)の不在と言うべきか知らぬが、MLBの野球に見られるような「ここで一発決めてやろう。存在感を見せてやろう」とでも言いたい自己主張ないしは積極果敢さが見えてこない消極性を上げたい。解説者が屡々「あそこで打っても良かったではないか」と言うように「自分でやろう」か「俺がやる」といった喩え失敗しても「責任は俺が負う」との気迫が感じられないのだ。

換言すれば、余程前が空くか、完全にフリーにならない限りシュートに持っていかず、言うなれば責任を取る気がなくて、近くにいる味方にパスしてしまう妙な「パス・サッカー」への執着である。あの姿勢はサッカーが上手いか下手かではなく、「俺がやってやる」という自己顕示欲を養わせなかった我が国のサッカー選手の育て方の問題ではないかとすら感じさせられてしまう。現実には彼らはサッカーが上手いのだから困る。

次は、相変わらず一寸相手のマークが厳しいか、前が空いていないと、折角ディフェンスが苦労して作ったチャンスで絶好のパスを貰っても、惜しげもなく絶好のバックパスをしてしまう弱気というか「俺が、俺が意識」の欠如である。釜本が言っていたが「今の選手たちはキープして相手を抜いてはいけないとは教えられているのか」という「何が何でも安全に」の姿勢を指摘したい。これが4人か3人か知らないが、バックス間での横パスの交換となって、相手のディフェンスが戻ってしまう余裕を与えている結果に繋がっている。あの監督さんはこのサッカーのスタイルを容認しているのだろうか。

当方は今の代表選手たちにはもうこれ以上進化するとか、変化する余地が残っていない気がしてならない。例えば「上手いことは喩えようもなく上手いのだが」とでも言いたい遠藤君などが突然変異を遂げて「鬼神もこれを避ける」というような当たりまくる荒業師になって絶妙なスルーパスではなく「隙あらば遠くからでもシュート」という選手に変わる可能性は限りなくゼロに近いのではないか。

主将の長谷部君が欧州を代表するような「当たりも強く、素早く上がってフリーになってパスを貰ってシュートチャンスを作り出す」可能性も高くはあるまい。GKの川島がマンチェスター・ユナイテッドに招かれるほど進歩するかと訊かれれば「ないでしょう」と言いたくなる。香川君が本田中心に作られてしまったあの混成ティームでドルトムントで輝いたような点の取り方が出来るか否か」も疑問だし、本田が「当たられても強い」以外の褒められ方がどれだけできるのかと言えば、彼の伸びしろももう大きくはないと言わざるを得ない。

即ち、彼らは我々の体力と、身体能力、運動能力としては限界に近いところまで上手くなってと言うか上達して、世界でも戦えるようになって来たことを褒め称えたいのである。だからこそ、私はつい先頃、MLBに行って何もかも磨り減らしてしまって帰国した西岡、福留、岩村を批判したのだ。言語・風俗・習慣・思考体系が異なる世界に入って、自己の能力を最大限に発揮することは容易ではないのだ。

そう思えばこそ、私は日本代表選手たちの上手さを褒めてはきたが、根本的な問題点を指摘しなかったのだ。ザケローニ監督も批判したが、何回でも言えることで「代表選手にまでなった者たちを基本から作り直すことは不可能で、監督の直接の責任ではない。だが、あの監督は今回の連敗を見ても木偶の坊のハーフナーに拘るなどの例が示すようにティーム作りを誤っている」と指摘して終わる。

アメリカの富裕層を考える

2013-10-16 13:03:45 | コラム
先日、アメリカの富を独占すると言われている1%のことに触れた。しかしながら正直に言えば、私の経験範囲内にその1%の範疇に入っていた人がいたかどうかは解らない。だが、アッパーミドルないしはそれ以上と思わせる人たちには出会っており、その人たちの富裕さは少し我が国とは違っていたと思わざるを得なかった。

最初に転進したNYからオハイオ州デイトンに移したM社のオウナーでありながら、自分は海外担当副社長に止まり経営は他人に任せたネルソンさんには「違うな」と痛感させられた。デイトンにはアメリカのプロゴルフの公式トーナメントを開催できる36ホールのNCRカントリークラブがある。このゴルフ場はM家の敷地内にあるのだ。ネルソンさんに確認してみると「うちのback yard(裏庭)を貸しているのだ。自宅から何時でも公式戦を見に行けるので便利だ」という答えが返ってきた。

ネルソンさんは来日する度にオークラのスイート・ルームに宿泊され、日本のお客様にをそこ招待するようにされていた。私が謂わば面接試験を受けに行った時などは、ポロシャツにチノパンという余りに寛いだ格好で出てこられたのには驚かされた。だが、本社の彼のオフィスは靴が全部沈んでしまうほどの絨毯と豪華な調度に、ご案内した日本の某大手メーカーの常務さんがその雰囲気に気後れしてしまったほどだった。

アメリカの富裕層を語る際に前提として指摘しておくべきことがある。「それはあれだけ広大な国土があるアメリカでは土地代が我が国とは比較にならないほど安く、我が国の地価を基準にしてものを考えないようにすること」があると思う。カリフォルニア州だけでも我が国よりも広いのだ。

W社のワシントン州南部にある工場の謂わば在庫管理と輸送担当の課長がリタイヤーした後で、自宅を移転したので遊びに来いと招待されたことがあった。車を運転しない私は工場に常駐している技術サーヴィス・マネージャーと共に訪問した。すると車は小さな山に登って行きだしたのだった。不思議に思っていると頂上に到着し、周囲の景色と対比すると小さな家が建っていた。

聞けば、彼はこの山全体を買ってそこに僅か!130坪ほどの家を建てたのだと言うではないか。そこで敷地面積はと訊けば、6,000坪だと言ってのけた。そこで個人的な質問で申し訳ないがと断って「老後の趣味は」と尋ねると、遙か向こうを指さして「あそこに放牧してある馬が見えるだろう。こうやって馬を育てることだ」と答えてくれた。

実は、この時に案内してくれたマネージャーも奥方の要望で、幅が数キロもあるコロンビア川に面した自宅から川まで遮るものなき、彼らの理想とする家に住んでいる。敷地は僅かに1,200坪であるとか。

W社のオウナーW家の住まいは勿論広大だが、その庭内にはヘリポートがある。またシアトル空港の敷地内にはW社の格納庫があって常時社用の大・中・小の飛行機とヘリコプターが準備されている。即ち、CEOのジョージは自宅から自社の格納庫にヘリコプターで飛び、会社のジェット機で出張に出かける仕組みである。

私は上司にこの狙いが何かと尋ねたことがあった。すると、「これは贅沢ではなく、広いアメリカを効率的に速やかに移動するためでもあるが、時間給にすれば当時の為替で3万円にもなる彼を空港でチェックイン等の手続きに要する経費を節約する目的もある」と教えられた。

効率化という意味では1985年10月に朝8時にシアトルに到着され入国手続きを終えた大得意先の常務と課長をそのまま自社のヘリコプターで200キロ南の工場にご案内し、工場視察、昼食会を兼ねた会議を進行させて、5時にシアトル空港にお返ししてシアトル支店での会議に間に合わせたことがあった。私は飛行機を取り揃えるという初期投資はあるが、土地が広いアメリカでの移動の効率化は図れると思っている。

私が未だに親しくその一家と交流しているNY州の名家のW氏(W社とは違う、念のため)では一時期、男女二人の子供がIvy Leagueの大学に行っていた。30年も前になるだろうか。アメリカの私立大学の学費は多額である。我が生涯の最高の上司は「W氏は約2年間1,000万円にもなる学費を何と言うこともなく支払っているほどで、彼はアッパー・ミドルと言うよりもアッパーだろう」と感心していた。

その最高の上司も二人の子供をIvy Leagueに入れていた。彼は1993年に残念ながら一身上の都合で退職し、副社長は3年間は同業他社ないしは関連業種に転職しないという規定に従って浪人し、ペンションも貰えなかった。だが、その間に水際にある新たな家を買い直して移転していた。そして3年後に無事に某社に高給で迎えられて60歳まで大活躍していた。

ここまでに挙げてきた例が1%を独占していると言われる範疇に入る人たちがどうか知らないが、このような高給を取っている人たちは全給与所得者の5%にも満たないという説を聞かされたことはある。それに加えて、土地が広く値段が安いことを忘れてはなるまい。

オバマ政権を考察する

2013-10-15 08:03:23 | コラム
私が見るアメリカという国:

先日紹介したフロリダのMI氏のオバマ政権に対する批判というか率直なご意見に対して、「人種云々」ではないかとの声もあった。私は確かにそういう面があるご意見だと思っているし、その辺りがアメリカだとも思っている。

私が見るところでは、アメリカの民主党はリベラル的である点で、我が国と民主党に似ていると言えると思っている。しかし、アメリカの民主党を支持する層はこちらのように労働組合のような組織ではなく、今や白人を超えるのではないかいうほど全米の人口に占める比率が高くなった「非白人層」とでも形容したい嘗てのminorityであるアフリカ系、ヒスパニック、アジア系と言うか、非合法をも含む外来ないしは移民ではないのか。

その辺りを私は「1994年にリタイヤーしたあと何年かは2億6千万人辺りだと思っていたアメリカの人口が、最早3億1千万を超えるほどに増えており、その5,000万人かとも見える増加の大半を占めるのが上記の白人以外であり、その急増分がオバマ大統領の支持層であると考えれば、解りやすいのではないか」と唱えてきた。そこを目指せばこそ、オバマ・ケアを成立させ、新移民法を提出したのだと考えている。

今回は敢えて上記のように「人種云々」としたのは、私はそこに見える現象は差別(discrimination)と言うよりも、多くの人種や貧富の層が横一列に並んでおり、各層の間を串刺しにする機関も関係もなく、また交流というか移動もないのがアメリカだと見ている。しかも、先頃NYで「1%が富を握り、99%を支配することに対するデモ」があったことが示すように、ごく少数が支配していることを不満に思う層が、オバマ大統領を支持していると考えれば、比較的納得しやすいのではないか考えている。

こういう視点に立てば、アメリカの共和党は我が国の自民党とは一寸似てはいるが非なるものと見ている。先頃、我がW社の8代目CEOのジョージはブッシュ大統領(父親の方だが)と"Skull and bones club"と言う組織で有名なYale大学の同期であり、大統領自らがW社本社を訪れたような密接な信頼関係があったことを述べたように、一握りのと言うか1%の範疇に入る富裕で謂わば上流な人たちに支持される政党なのである。W社本社のような企業には、大袈裟に言えば「石を投げればHarvardやPrinceton等のIvy LeagueのMBAに必ず当たる」というような世界だった。

誤解ないように申し上げておけば、私はアメリカのこのような世界を是認するとか賞賛する気など毛頭なく、「ただ単にアメリカとはこういう国で、そこに多数決を基本に置く民主主義の政治体制である以上、オバマ政権が出現する土壌がある」との説を主張するだけだ。だからこそ、何度か申し上げた来たが、「22年以上のアメリカの会社勤めの間に、アフリカ系アメリカ人(の社員)と膝つき合わせて語り合ったこともなければ、アジア系の上級管理職に出会ったこともなかった」のだった。

MI氏の解説はこのような共和党系の視点に立っておられるからのことで、偏見でも何でもないと思っている。これも常に述べてきたことだが、"Every coin has two sides."で、物事には常に両面があって、オバマ政治を裏面からないしは違った角度から見れば、あのようなオバマ大統領に対して厳しいとも見えるご意見になるのだと考えている次第だ。

我が国とアメリカのスポーツのスポーツの違い

2013-10-13 13:30:57 | コラム
矢張り異種の競技の感が:

11日の夜はNFL(アメリカのプロ・フットボールのリーグ)のゲームをNHKのBSで約2時間。12日は昼前からMLBのリーグ優勝決定戦から我が国のNPBの両リーグのクライマックスシリーズのファースト・ステージを見ていた。日米両国のスポーツの違いがまざまざと出ていて面白かった。

先ずはフットボールだが、「究極の球技」としての凄さと言うか面白さは変わっていないし、矢張り私にとっては鑑賞する際にこれに優る競技(球技でも良いが)はないと思わせてくれた。しかし、ここにも変化はあって、アトランタ・ファルコンズとNYジェッツの両者のスターティング・ラインナップの顔写真を見れば圧倒的にアフリカ系アメリカ人が多くなっていた。嘗ては白人の聖域の如きだったQBでも、NYではアフリカ系でしかも新人(ルーキーは誤ったカタカナ語である。rookieと書いてあれば「ルキー」であるのは言うまでもない。bookと書いて誰が「ブーク」と読むか)だった。

この競技の凄さは「選ばれし者たちの身体能力の高さ」で、私には2メートル近くで100キロを超えるような男たちの瞬間の動きには到底目がついていけない。それだけではない、ディフェンスの選手たちが瞬間的にボールキャリヤーにタックルに入るスピードなどはビデオテープで再生して貰って漸く解る程度だ。彼らは高校・大学でフットボール、野球、バスケットで全身を鍛え、その間の厳しいトレーニングを経てプロとして、職業としてフットボールを選んだのだから身体能力と運動能力が凄いのである。フットボールと野球の両方のプロを同時にやっていた強者もいた。

さて、野球である。MLBの質は張本勲の言を借りるまでもなく劣化している。それは南米諸国からの選手が増えた結果だと私は判断してる。1980年代に入って初めてシアトルでMLBの野球をみた時にはその華麗さと上手さに感動した。実に美しく洗練されていて、内野手の動きなどは基本に忠実で且つ芸術的だったのだから。特に、ケン・グリフィーJr.の外野フライの捕球の姿勢の美しさなどは、フットボールのレシーバーが長いパスを捕る姿勢にも共通する華麗さがあって感激した。

一言だけ阪神を批判しておけば「私なら藤浪が広島の前田投手にヒットを打たれたところで交代させていただろう」で、明らかにあの辺りが限度だった。

しかし、現在圧倒的多数を占めていると感じさせる南米系の者たちは「野球だけしか訓練されてこなかったために、使っている筋肉が野球用だけであり、しかも基本が余り徹底されておらず、内野手などはやたらに飛び込んで難しいゴロを捕ってみせるだけの身体能力のショーの如き野球をやっているだけ」で、その昔に当方を感動させてくれたMLBの野球を劣化させた。だが、投手たちの球は速く、彼らの打球は遠くに飛んでいく辺りは、我が国の選手たちが及ぶところではない領域にある。

そこで、我が国のNPBだ。非常に綺麗に纏まっており、細かい技などは大雑把な南米系の者たちには真似出来ない美しさと巧みさがある。しかし、もし難点があるとすれば、高校の頃からトーナメントを勝ち抜く技法で仕込まれてきたので、「ここぞ」という時の勝負で安全策を採っている習慣があるので、スリルがない辺りだろう。しかも、タイガースのようにアメリカに行って能力を磨り減らしたというか身体能力の争いに敗れて帰ってきた西岡や福留に頼っているようでは、見る価値がない。

アメリカに行ってMLBでやりたければ、先ず彼らがどういう文化(言語・風俗・習慣・思考体系)の下で野球をやっているのかを良く研究し、その上でNFLとNBA(プロバスケットボール・リーグ)のゲームをも見て、アメリカでは如何なる者たちがプロになっているかを承知してから行くべきだ。そうしないから、西岡、岩村、福留、松井稼頭央のように魂を抜かれてしまう危険性が高いのだ。

それ以外にはイチロー君の大成功の陰に何があったかを十二分に研究することだ。2007年9月にシアトルでイチロー君がフィールドに出てきたのを見て「何て小さい奴が出てきた」と思わざるを得なかった。彼は180センチの身長がある。それでは小さい部類に見えるのがアメリカのプロ選手だと知ってから目指した方が良い世界だと、私は思っている。因みに、イチローはこの日に外野フライを落球した。

今日の暑さかな

2013-10-12 13:18:19 | コラム
観測史上初のことだったとか:

何と昨10月11日には都内で30度を超えたとか報じられていた。午前中に歌舞伎町にある公園でつけ麺のショーだったかがあると聞いたので、丁度手頃な散歩の距離かと思って、一応半袖シャツで出かけてみた。しかし、10分も歩いた頃に余りの暑さに、室内に戻った時との気温差を考えて(即ち、気象病の懸念だが)引き返した。

そして、遅めの昼食を終えて何と言うこともないテレビ番組を見ていると異常に暑く、室内でも汗ばんでくる感じがした。そこでディジタルの寒暖計を見れば28.5度で、広い?アパートの別の部屋でも28度超えだった。これでは暑いはずだと、空調をかけてしまった。それでも25度まで下がるのにかなり時間がかかった。そこで再びテレビのニュースを見ると、30度超えを記録したのが13時とあったので、「なるほど、そーだったのか。暑いはずだ」と納得だった。

結局この暑さは夕刻まで変わらず、別につけ麺のファンでもないが折角のショーを見に行くのを諦めざるを得なかったのは一寸残念だった。何しろ、歌舞伎町近辺は滅多に足を踏み入れる機会がないのだから。しかも、ニュースでは26号だったかの台風が発生しかかっているとかで、週末は兎も角来週にはまた天気が崩れる危険性があると報じていた。

もうこの辺で好い加減に秋にして貰いたいものだ。これでは日課の散歩にも安心して出て行けないし、何時まで経っても気象病等を警戒せねばならないではないか。

ところで、掲題を「今日の暑さかな」としたのは、私が「言うまいと思えど今朝の寒さかな」をもじって、"You might think but today’s some fish."というおかしな英語というか横文字を使った戯れ俳句の悪影響を受けているためなのだ。最後の五文字の「寒さかな」を"some fish"としたとんちに敬意を表して、「暑さかな」を"hot fish"とした次第だ。これでは二番煎じで面白くもおかしくもなかったかなと懸念している。これでは"I will not live."です。