新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

トランプ大統領の振る舞いに思う

2018-07-22 10:24:30 | コラム
当分の間は黙って見守っていくしかないと思う:

トランプ大統領の近頃の政策というか、言動というか、主に外交面の作戦には従来通りの全く予断を許さない(unpredictableと形容されてきた)振る舞いが多く、賛否両論というか毀誉褒貶相半ばすという傾向が見えると思う点が多々ある。私には英語で言う “play it by ear”的だなと形容したくなるような感がある。これは英辞郎には“楽譜なし[暗譜で・聞き覚え]で演奏する、即興[ぶっつけ本番]で行う、その場の状況に合わせてやる”という解釈が出ているが、私はその通りかと見ている。「出たとこ勝負」と言っても良いだろう。

しかしながら、反トランプ派のアメリカの報道機関は「中間選挙対策」であるとか「公約した通りで、ラストベルトのプーアホワイト以下の労働者層を意識しての作戦」と言って表しているようだ。ではあっても、私はその底流にあるのは矢張り「アメリカファースト」であり「アメリカを再び偉大に」の2大スローガンであると思って見ている。それが高率の関税賦課政策が示すような保護貿易指向であると見えるのかも知れない。一説には「彼がやることには全て『金』が絡んでいる」というのもある。

だが、その「ぶっつけ本番」と揶揄されるような政策を打ち出されても、国内の景気は安定しており、支持率も50%に迫っているのであるから、やれプーテイン大統領に取り込まれたようだとか、金正恩委員長に騙されたようで朝鮮半島の非核化の具体的なものが一向に見えてこないではないか等の批判派無用であるような気がするのだ。

私は上記のように「出たとこ勝負」に見えても真底には確たる信念が厳然として存在し、時と場合によって「ぶっつけ本番」になっているだけかと、寧ろ好意的にすら見たい気がするのだ。故に、当分の間はあれこれと批判することなく黙ってトランプ流の政治がどのような成果を挙げていくかを注視していれば良いのだと考えるようにしている。

但し、そのぶっつけ本番の政策の中には「我が国からの輸入自動車の関税を25%に引き上げよう」などという明らかに見当違いで我が国にとって不利益としか考えようがない案件もある。そういう事案に対しては、成り行きを見守るのではなく、然るべき場を設けて「そこには誤解も誤認識もあります。是非再検討なさるように」と対立と論争を怖れることなく、申し入れていくべきだと思う。既に申し入れは行われたとの報道もあったが、兎に角アメリカが相手の交渉ごとでは「沈黙は絶対禁物であり、反論しない限り、受け入れられた」と理解されてしまうのだと肝に銘じて事に当たるべきなのだ。


IR法案が成立

2018-07-21 10:47:07 | コラム
何処となく違和感が:

通常国会が実質的に終わり、野党どもがあの手この手で反対したIR法案が成立したと報じられた。その成立までの過程は兎も角、私には何となく違和感があったのだ。それは、我が国にカジノが適しているか否かや依存症になる人が出てくるかどうかではなく、余程諸外国から来て下さるだろう人を増やす策を講じない限り、自国民の懐から収入を挙げようとしているように見えるからだ。

私は1972年から数えればアメリカを70回以上往復してきたと思うが、その間にラスベガスは在職中には一度も訪れる機会がなかったし、リタイヤー後の1994年2月と2005年2月に行ったことしかなかった。しかも、1994年は言わばアルバイトで出張したのであって、カジノに入ってはみたが、自分の金を使って(失って?)いる暇はほとんどないほど多忙だった。2005年は夢のグランドキャニオンをパック旅行で訪れた後で、LAに入る前に一泊しただけのことだった。

そこで、これまでの2度のラスベガス旅行を比較してみよう。最初の時は「この街は明らかにカジノを目指してくる人たちの為のものだ」という印象で、一流と思われるホテルの宿泊代もその点を考慮したのか経済的に設定されていたし、室内も言ってみれば「愛想なし」だった。また、所謂アメニティー・グッズも行き届いていなかった。市内も治安には配慮されているとの説明だったが、どちらかと言えば「絢爛豪華」にはほど遠い町並みだった。

ところが、2005年には全く異なる印象の豪華な大都会という印象で、11年前とはまるで変わっていたのには寧ろ驚かされた。豪華なホテルの中には多くのヨーロッパのブランド品のブテイックが軒を並べているし、市内にもその種の専門店のような店舗が増えていたのだった。言ってみれば様変わりで、現地に住む日本人のガイドの説明では「この街は最早カジノに依存していない。毎年3,000万人もの観光客が訪れるが、そのうち僅か10%がカジノを目指している」となっていた。

事実、そこには所謂アウトレットが2箇所もあり、そこが目当ての観光客と言うよりも買い物客が著しく増えたのだそうだ。実際には、それらのアウトレットには通常の乗車賃が$2の市内を走っているバスが$5で発行している一日乗車券を利用すれば、効率的に回れる仕組みになっていた。実は、我々もその一日乗車券を大いに利用して市内の観光とアウトレットでの経済的な買い物を楽しんだのだった。

ご存じの方は多いと思うが、ラスベガスはネバダ州の広大な砂漠の中にあるので、施設でも何でも拡張に利用できる土地は幾らでもあるのだ。故に、カジノに依存せずとも買い物と観光で訪れる人たちを誘致する方向に転向したというのか、カジノと買い物の2本立ての街になったのだと、私は解釈した。それほどの変貌振りだったと言いたいのだ。

そこで、我が国のIRだ。何処に作られるのか知らないが、カジノとホテルだけではラスベガス並の3,000万人(注:2005年にガイドから聞いた数字)を誘致するのは容易ならざる業だと思う。それと言うのも、我が国のように利用できる土地の面積が限られていては、カジノ以外に大勢を惹き付ける一大ショッピングセンターやアウトレットや観光名所を設けることが出来るのだろうかと考えてしまう。要するに、RIを訪れる人の何%をカジノ以外に惹き付けられる施設を設けられるのかという疑問である。

私はあの法案を提出するに当たって、何処の何方がラスベガスやアトランティック・シテイーやマカオ等の現状を現地で調査されたのかなと思っている。正直に言って、私はラスベガスでは合計30ドルをスロットマシンに献納しただけで、市内観光とアウトレット巡りを楽しんできた。カジノは別に入場料を負担する訳でもないので、お客様たちがデイーラーたちにここぞという時に限って負けていく状態くらいは見学する時間は取れた。

冗談半分に言えば、御殿場の周辺にカジノを設ければ富士山は近いので観光は出来るし、豪華なプリミアム・アウトレットだってあるではないか。


7月20日 その2 猛暑をイヤというほど実感

2018-07-20 16:56:53 | コラム
帽子を脱げば頭から水を浴びたような状態:

本日は2週間前に予約してあったので、新大久保駅前を14時41分発のバスで大久保2丁目のSHクリニックに向かった。因みに、我が家から駅前まで徒歩約9分か。流石にこの時間帯では大久保通りを闊歩する異邦人も普段よりは少なめで、走っている車も疎らだったような気がした。それほど暑さがきついということだろう。

予約時刻の15時一寸前にクリニックに入って暑さを感じたので帽子を脱げば、頭から水をかぶったようにビッショリだったのには驚いた。それほど長い時間直射日光に当たって歩いていた訳でもなかったし、辛いと感じるほどの暑さでもなかったのだったが、実際にはそこまでの猛暑だったということだと改めて認識させられた。

看護師さんには「この一日の中でも最も暑い時間に良くお出で下さいました」と冗談を言われたほどの暑さだった。未だ鼻風邪が完全に抜けた状態ではないし、万一を考えてポカリスエットを300 mlほど持参していたので、往復する間に完全に飲みきってしまった。バスの中から眺めたKoreatown側というか山手線の内側も閑散とした感じだった。それでも、スーツにネクタイ姿のビジネスマン(なのだろう)を見かけたが、ご苦労様な事だと思った。

帰りには空調が効いていそうなコンビニ等には出来る限り入って束の間の涼しさを楽しんでから、ゆっくりと歩いて我が家まで戻った。それでも帰宅した後ではポロシャツが汗で体にこびりついて簡単には脱げない状態だった。この暑さは当分続くようだが、その間に外出する際には服装には十分に注意する必要があるのは当然だが、ポカリスエットの類いの飲料水も必需品だと痛感した。と言うよりは、高齢者は不要不急の外出は極力避けるべきだと思った次第。

英語は易しい言葉を使って

2018-07-20 09:15:40 | コラム
英文をどのように作るのか:

昨日も少し触れたことだが、1975年3月にウエアーハウザーに転進して日系人でワシントン大学出身のMBAのBJ氏に厳しく教えられたことが「英語は易しいというか簡単な単語を数多く使いながら、極力短い文章で表現するように。但し、アメリカ人の思考体系は異なるのだから『ここは詳細に言わずとも解ってくれるだろうとか、こちらの言わんとするところを察してくれるだろう』などと勝手に決めて細部まで触れないような文章は書かないこと。そこまで詳細に言う必要があるかないかを自分で決めるな」だった。

一読すると、何となく矛盾したように聞こえるが、この点が本当に要注意なのである。その辺りは微妙な表現になるが「彼らは行間を読んだり、書かれていないか言われていないことを『多分こう言いたかったのだろう』などと読むような芸当は絶対と言って良いほどしない頭脳構造の持ち主なのである」と知るべしなのだ。繰り返して言うと、この辺りが日本人の思考体系との大きな違いであり「忖度」などはしてくれないと知るべきだ。

BJ氏は「であるから、なるべく微に入り細をうがって、簡単な単語を沢山使って、しかも冗長にならないように、しかも場合によっては多少単調(monotonousという言葉だった)に陥っても短い文章を沢山続けるというような表現方法もあるのだ」と解き明かしてくれた。彼が更に念を押した点は「易しいというか簡単な単語を使え。俗に言うbig wordは避けよ」だった。これは簡単なような難しい話で、どれが易しくて難しい端語かの判断は容易ではないと思う、特に我が国の学校教育で単語を覚える教育をされてきた方々には。因みに、彼はこういう話は全て見事な日本語で語るのだった。

ここで手前味噌と言われそうなことを。その点では、私は中学1~2年程度の教科書の音読・暗記・暗唱を続けてきたので、その程度の単語が数多く流れの中でどのように使われているかが頭の中に入っていたので、比較的容易にBJ氏の教えに従うことが可能だった。と言うよりも「簡単で易しい単語」しか覚えていなかった結果になっていたのだった。それが結局アメリカ人の中にいてもそう苦しまなくても済んだことになったと思っている。

更に、某商社で個人指導した若手には上記のBJ氏の教えに沿ったような形で、会話まで教え込んでみた。すると、かなり進んだ後で彼が「何故、そんなに簡単な単語ばかり使ってそんなに難しいことがスラスラと言えてしまうのですか」と言ったのだった。そこに気が付いた彼はそこまで見破るだけの力が付いてきたと言うことだと思う。少し謙遜して言えば、私にはそういう英語しか使えないのであろうか。

先日も知人との英語論の中で、私は近頃は(最早そう滅多に英語を話す機会もないが)「外国人に綺麗な英語を話しますね」と褒められた(社交辞令を言われた)時には、何となくおちょくられたような気分になる時があって「貴方だって努力すれば、私くらいの美しい英語が話せるようになるよ」と言い返して、大いに受けることがあると言った。すると「それを英語ではどのように言うのか」と尋ねられた。

答えは “Your English could be as good (or beautiful) as mine, if you tried (made your best effort).”辺りかなだった。聞かれた方は「なるほど、易しい単語ばかりしか出てきていないようだ。それでもそう言えるのが面白い」と感心して貰えた。繰り返して言うが、私はこういう表現しか出来ないのだが、それでもアメリカ有数の支配階層の会社に20年以上もリタイヤーするまで勤めることが出来たのだった。願わくは、上記を自慢話と思わないで頂きたいのだ。


7月19日 その2 何故日本語を片仮名文字にするのか

2018-07-19 15:18:46 | コラム
「頂門の一針」第4744号の渡辺好造様の「日本語をなぜ“片仮名文字”にする」に思う:

この掲題では「頂門の一針」をお読みではない方には何のことか不明でしょうが、渡辺好造様は30語を採り上げられておられた。このようにカタカナ語の濫用を戒める渡邊好造様の評論は、私のような長年のカタカナ語排斥論者には非常に有り難いと感謝したい思いで拝読。しかしながら、私は英語の視点から見て論じておりますので、カタカナ語の濫用は我が国の英語教育の至らなさと、日本語の破壊に繋がる漢字文化の否定が気に入らないのです。

それに肝腎の問題点として採り上げたいことは「日本語には漢字の熟語があるので、少ない字数で含蓄の多い表現が可能ですが、英語の単語にはそういう機能がないことが分かっていない連中が、無闇矢鱈にカタカナ語として使いたがることがあります。例えば、渡辺様も30語の中に採り上げておられた「コラボレーション」などがその一例です。私はこういう言葉があるとは承知しておりましたが、20年以上に及んだアメリカの会社勤めで使ったこともなく、使われたのを聞いた(見た)経験がなかったと記憶します。

それが、我が国では何処のテレビ局が言い出したのか、有識者様が使われたのか知りませんが、「コラボ」という短縮形まで出来てしまう始末。これと同じ事を表現せよと言われたら、私は迷わず 「to work together with 誰それ」 としたと思います。Collaboration は極めて固い文語調(我々は big word と呼びますが)で、日常でも社内の報告書でも使わないでしょう。私が示したように易しい言葉を多く使って分かりやすく書くのがコツなのですから。

他にも奇異な感があるのは「ガバナンス」です。これも使った記憶はありませんし、聞いたこともなかったと思います。これは屡々「統治能力」という意味で使われているようですが、どう考えても、Oxfordを見ても「統治」でしょう。大体からして、「このような一つの単語で表現するよりも、沢山の言葉を使って解りやすくせよ」と教えられました。

そうかと思えば、既に何度か採り上げた例ですが、grow という言葉を知らなかったらしい我が同胞が Children become big. と会話の中で言われたのを聞きました。これはおかしな表現ですが、見事に字数を使って「子供が大きくなった」という意味を表していました。但し、時制は出鱈目でしたが。こういう言い換えの力を養うべきであり、その為には単語をバラバラに覚えずに、例文を覚えて流れの中でその使い方を学ばせるべきなのです。そうすれば、一つの言葉がどのように使い分けできるかも解ってきます。

次に遺憾なことは意味の取り違えと誤読してカタカナ語化してしまう傾向です。例えば「リベンジ」は松坂大輔が使い始めたのですが、この動詞は目的語をとらねばならない動詞なので「誰に仕返しをするのか」を明らかにするべきなのです。渡辺様は例に挙げておられませんでしたが、トム・クルーズ主演の Mission Impossible を「インポッシブル」と表記するのは酷すぎます。辞書を見ればアクセントを「サ」に置いて「インパサブル」に近い発音記号になっていますが。

こういう例は他に多数ありますが、それらは既に「和製英語(カタカナ語)と造語」で採り上げたので省きます。だが、私は間違えたカタカナ語をテレビ局が濫用するのが寒心に堪えません。例えば「フリップ」というのも最悪の例で、flipという単語に「表」という意味などありません。あれは疑いもなく flip chart の最初の単語をとって「表」か「図表」に使ったのでしょう。こういう頭の言葉を採った例は無数にありますが、野球中継で「タイムリー」と言っているは嘗ては「タイムリー・ヒット」だったものが、何時の間にか「タイムリー」になってしまったようです。それを聞いた方が正しく理解するのも凄いと思いますが。

しかも、肝腎のMLBでは最早「タイムリー・ヒット」は使われていないようです。アメリカでの表現は「打点」を表す runs batted in を省略した RBIが使われて RBI double(打点を取った2塁打)のように言っているのを聞いたことがありました。「シングル・ヒット」というのもおかしなカタカナ語で、これでは「1本のヒット」という意味になってしまうでしょう。英語は base hit と言っているようです。

また、機会があればカタカナ語を論じたいと思っております。