新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月22日 その2 恐ろしいばかりに気温が高い

2018-07-22 10:57:36 | コラム
35度を超えた恐ろしさを痛感:

昨21日には午後3時前に我が家から歩いて100 mほどの食料品専門のスーパーまで出掛けて見た。100 mとは言ったが、この敷地内を北から南の端まで歩いただけのことで、直射日光には当たらずに行けるのだ。それでも、異常とでも言いたい日当たりの眩しさとムッとくる熱気にはたじろがざるを得なかった。鼻風邪が中々抜けてくれないので外出は避けようと考えていたので、100 m程度ならと甘く見たのは誤算だった。

しかも、このアパートのようなコンクリート住宅の弱点は昼間の熱気を外壁が十分に吸収し夜になっても一向に室温が下がらないので怖いのだ。そのように所謂専門家の方々がテレビで警告して下さるのは聞いていた。だが、正直なことを言えば「何ほどのことがあるか」と甘く見ていた。だが、これほど何日も35度周辺の高温が続くと、昨夜は19~20時という時間帯になっても室温が一向に下がっていかないと知った。それは空調を止めると室温は直ぐに25度を超えて上がっていくので解ったのだった。

正直なところ、このコンクリート住宅の怖さがやっと解ってきた気がした。よくよく思い出してみれば、我々が育った昭和20年前後には30度を超える温度などは滅多に経験したことはなかったのだ。その気象条件の中では空調などある訳もなく扇風機だけで過ごしてきた時代だった。それかあらぬか、私は暑さには弱く、寒さにも決して強いとは言えぬ体質である。ましてや大病が続き、いまや超後期高齢者である。

昨夜はこのまま空調なしで室温が上昇するままの室内で過ごせば、室内でも熱中症にかかるという有識者の警告が現実のことのように思えてきた。より現実的に言えば「電気代が嵩むことなど気にしている場合ではないのだろう」と実感したのだった。天気予報では来週一杯くらいは30度以上の暑さが東京でも続くようだ。恐ろしいことだ実感せざるを得なかった。

我々と言うべきか私というべきか知らないが、これほどの高温には体も馴れていないし、抵抗力もないと思う。この異常とも思える気象条件の下で如何に過ごしていくべきなのかを考える時に、外出時には飲料水を持ち歩くことと帽子の着用以外には思い当たる対策もないし、室内では空調しかないと考えた時に、地球温暖化だけが原因がどうかは知らぬが、恐ろしい時代になったものだと、改めて痛感させられた一夜だった。


トランプ大統領の振る舞いに思う

2018-07-22 10:24:30 | コラム
当分の間は黙って見守っていくしかないと思う:

トランプ大統領の近頃の政策というか、言動というか、主に外交面の作戦には従来通りの全く予断を許さない(unpredictableと形容されてきた)振る舞いが多く、賛否両論というか毀誉褒貶相半ばすという傾向が見えると思う点が多々ある。私には英語で言う “play it by ear”的だなと形容したくなるような感がある。これは英辞郎には“楽譜なし[暗譜で・聞き覚え]で演奏する、即興[ぶっつけ本番]で行う、その場の状況に合わせてやる”という解釈が出ているが、私はその通りかと見ている。「出たとこ勝負」と言っても良いだろう。

しかしながら、反トランプ派のアメリカの報道機関は「中間選挙対策」であるとか「公約した通りで、ラストベルトのプーアホワイト以下の労働者層を意識しての作戦」と言って表しているようだ。ではあっても、私はその底流にあるのは矢張り「アメリカファースト」であり「アメリカを再び偉大に」の2大スローガンであると思って見ている。それが高率の関税賦課政策が示すような保護貿易指向であると見えるのかも知れない。一説には「彼がやることには全て『金』が絡んでいる」というのもある。

だが、その「ぶっつけ本番」と揶揄されるような政策を打ち出されても、国内の景気は安定しており、支持率も50%に迫っているのであるから、やれプーテイン大統領に取り込まれたようだとか、金正恩委員長に騙されたようで朝鮮半島の非核化の具体的なものが一向に見えてこないではないか等の批判派無用であるような気がするのだ。

私は上記のように「出たとこ勝負」に見えても真底には確たる信念が厳然として存在し、時と場合によって「ぶっつけ本番」になっているだけかと、寧ろ好意的にすら見たい気がするのだ。故に、当分の間はあれこれと批判することなく黙ってトランプ流の政治がどのような成果を挙げていくかを注視していれば良いのだと考えるようにしている。

但し、そのぶっつけ本番の政策の中には「我が国からの輸入自動車の関税を25%に引き上げよう」などという明らかに見当違いで我が国にとって不利益としか考えようがない案件もある。そういう事案に対しては、成り行きを見守るのではなく、然るべき場を設けて「そこには誤解も誤認識もあります。是非再検討なさるように」と対立と論争を怖れることなく、申し入れていくべきだと思う。既に申し入れは行われたとの報道もあったが、兎に角アメリカが相手の交渉ごとでは「沈黙は絶対禁物であり、反論しない限り、受け入れられた」と理解されてしまうのだと肝に銘じて事に当たるべきなのだ。