アメリカとの貿易交渉では主張すべきは堂々と:
かなり前のことだったがMXテレビの「ニュース女子」だったと記憶するが、中部大学特任教授の細川昌彦氏(灘高→東大法学部出身で通産省で米州課長や貿易管理部長等を務めた)が在任中の対アメリカとの貿易交渉について「私が通産で担当した時は怖れることなく言うべきことは言って激論を交わして、我が方の主張を理解させたものだった。だが、今の経産省は生ぬるい。もっと真っ向から主張すべきだ」と、慨嘆されていた。
私はそこからも推理して、所管の大臣たちが例えば関税問題でトランプ大統領にまで達するような反対論を展開していないのではないかと考えた。経験からも言えるのだが、余程度胸があるか乃至は国際的交渉の場数を踏んでいない限り、アメリカ人にズバリと物が言える方は限られていた。何故そうなるかと言えば、相当に交渉事に馴れるまでは「失敗したら」とか「厳しいことを言うのは失礼にならないか」などと危惧して、思い切って反論等を展開できないのだと考えていた。
それは、何度も交渉を経験された方は徐々に言うべきことを言い出されるように変わって行ったからだ。実はかく申す私も、馴れるまでは我が国の取引先に単独ででも副社長の通訳の立場でも、値上げ等の難題を持ちかける時には非常な(異常な?)緊張感を強いられたものだった。こういう経験から類推しても、国を代表しての交渉などは我々が経験した以上の緊張感と責任感があるだろうと思うのだ。まして、通訳を介した議論では不安感があっても不思議ではないだろう。
私は世耕経産大臣か河野外務大臣が関税の件でトランプ大統領とやり合ったという報道には接していないと思う。未だ直接であれ間接であれ、自動車等への関税を課すことに異論を唱えていないのであれば、トランプ大統領に思い直させるようにする努力は、今からでも遅くはないと思う。私は細川氏の主張を聞いても、トランプ大統領は貿易の実務に明るくないようだし、「関税をかければ如何なる結果になるか」までに思いが至っていないのではないかと推理した次第だ。
言うなれば、「考えていないのか、あるいは貿易の実務の実態を知らないからこそ、関税の賦課を振りかざせば、相手国に譲歩させる材料に使えるのだ」という作戦に打って出られたのではないか。
かなり前のことだったがMXテレビの「ニュース女子」だったと記憶するが、中部大学特任教授の細川昌彦氏(灘高→東大法学部出身で通産省で米州課長や貿易管理部長等を務めた)が在任中の対アメリカとの貿易交渉について「私が通産で担当した時は怖れることなく言うべきことは言って激論を交わして、我が方の主張を理解させたものだった。だが、今の経産省は生ぬるい。もっと真っ向から主張すべきだ」と、慨嘆されていた。
私はそこからも推理して、所管の大臣たちが例えば関税問題でトランプ大統領にまで達するような反対論を展開していないのではないかと考えた。経験からも言えるのだが、余程度胸があるか乃至は国際的交渉の場数を踏んでいない限り、アメリカ人にズバリと物が言える方は限られていた。何故そうなるかと言えば、相当に交渉事に馴れるまでは「失敗したら」とか「厳しいことを言うのは失礼にならないか」などと危惧して、思い切って反論等を展開できないのだと考えていた。
それは、何度も交渉を経験された方は徐々に言うべきことを言い出されるように変わって行ったからだ。実はかく申す私も、馴れるまでは我が国の取引先に単独ででも副社長の通訳の立場でも、値上げ等の難題を持ちかける時には非常な(異常な?)緊張感を強いられたものだった。こういう経験から類推しても、国を代表しての交渉などは我々が経験した以上の緊張感と責任感があるだろうと思うのだ。まして、通訳を介した議論では不安感があっても不思議ではないだろう。
私は世耕経産大臣か河野外務大臣が関税の件でトランプ大統領とやり合ったという報道には接していないと思う。未だ直接であれ間接であれ、自動車等への関税を課すことに異論を唱えていないのであれば、トランプ大統領に思い直させるようにする努力は、今からでも遅くはないと思う。私は細川氏の主張を聞いても、トランプ大統領は貿易の実務に明るくないようだし、「関税をかければ如何なる結果になるか」までに思いが至っていないのではないかと推理した次第だ。
言うなれば、「考えていないのか、あるいは貿易の実務の実態を知らないからこそ、関税の賦課を振りかざせば、相手国に譲歩させる材料に使えるのだ」という作戦に打って出られたのではないか。