新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月12日 その2 外遊に思う

2018-07-12 15:48:13 | コラム
総理が外遊を中止された:

西日本一帯が大豪雨による大災害を被った折から、総理が11日から(だったか)に予定されていた4ヵ国の訪問を中止されたと報じられた。私は「全力で被害者の救出を」と発信されたらたと聞いた時にも「何だ、それだけか」と、多少疑問に思っていた。そこに外遊中止とあって、やはりそう決められたかと多少安堵感があった。いや、寧ろ当然であって、現地に一刻も早く入られて慰問し激励され「出来る限りの対策を可及的速やかに講じる」と述べられるべきだと考えていた。

それと言うのも、私にはあの広範囲に及ぶ災害の規模は異常であり、3.11で避難された方々がおられ、仮設住宅から出ておられない方がおられる現状があり、1年前の広島の降雨による大災害の始末さえ出来ていない時期に、総責任者である総理大臣が海外出張ではあるまいとも言えるかと考えたのだった。あの倉敷市の災害を見ても、あの状態を一体全体どうやって立て直すのかとすら考え込まされていた。

尤も、あれから語り合う機会があった若き論客は「総理は出張を延期される必要はなかった。総理大臣自らがボランティア活動をされる訳でもなく、日本国内に止まられても、欧州におられても事態は変わるまい。総理が為されるべきことは関係官庁の大臣と担当官を集めて「被災者の救済と復旧・復興に関して出来る限りのことを速やかに確実に実行することを厳命されれば良いだけである」と言うのだった。

何れにせよ、これから酷暑に向かう時期に衣食住の全てを失われた多くの方々を如何にして救済していくのかだけでも大問題なのに、交通網が寸断されて物資の輸送もままならないと報じられている状態を見れば、無事に都内で暮らしている私でさえも「莫大な数の現地の被災者は如何なる思いでその日を過ごしておられるのか」心が痛むのである。深刻な建築や輸送業界の人手不足が騒がれているこの時期に、それらの問題を如何に裁いていくかは官庁にも関連の業界に重くのしかかっていく課題であろう。

最後に言葉の問題だが「何故政治家の海外出張を『外遊』と表現するのか」と私は長年疑問に思ってきた。決して遊びに行かれるのではないのに何故「遊」という字を当てるのだろう。何か慣習的にこの字を使う決まりでもあるのだろうか。何故「海外出張」ではいけないのだろう。英語では簡単に business trip と言ってきたが、入国管理では“Business or pleasure?”と尋ねられる。まさか総理を始めとする政治家が pleasure trip に出掛けられるのではあるまいに。

新聞社等のメディアが未だに「特派員」という大時代なとしか聞こえない表現を使っているのも不思議な感覚だと思う。海外に派遣することが「特派」などという時代はとっくに過ぎていないか。英語を見ると correspondent となっている。何処にも special など付いていない。何故、簡単に「駐在員」としないのだろうか。


お国訛りに思う

2018-07-12 11:19:53 | コラム
お国訛り二題:

産経新聞の田村秀男氏:

去る6日にPrime News に登場されて、初めてこの権威あるというか何時も興味深い経済問題の論評をされる田村氏(日本経済新聞出身)の顔を見たり話を聞く機会があった。なるほどと思った点を一つだけ挙げておくと「中国の対アメリカ輸出は輸入の3分の1以下であり、中国はそのドル獲得分を拡張の一途を辿る軍備に回しているのだから、輸出が減少すれば軍備費を伸ばすことが出来なくなるし、トランプ大統領の中国叩きの狙いの一つがここにある」だった。

それはそれとして、私が「アレッ」と感じたことがあった。それは田村氏の語り口が時々というか、何処となく韓国人が日本語で語る際に残っている韓国訛りに似ていた点があったことだった。これはどういうことかと、暫く考えて見て思いだしたことがあった。それは何時のことだったか何処かの局で古い高知訛りを強調した朗読を聞いたことがあった。その古い高知の訛りの音の流れを聞いていると、何故か非常に韓国語の音の流れに似ていたのだった。

不思議なこともあるものだと感じていた。高知県は四国の南側にあり朝鮮半島との距離は九州の北端と比較すればかなり遠く離れており、古代であっても直接の関連があったとは私には想像できなかったからである。だが、私には計り知れないところで何らかの結びつきがあったのかも知れない。そうだとすれば、田村氏の語り方に韓国人の日本語風の訛りが所々に現れていたのも何となく説明が付くのかと考えて次第だ。これは私の思い込みだろうか?

細川昌彦氏と西村康稔氏:
このお二方は兵庫県の灘高から東大のご出身である。関西人でありながらほとんどそれを感じさせないような、共通語というのか標準語というのか知らない言葉で話しておられる。私は語り口から出身地を当てるのが得意であると自負してきたが、私はこの方々が関西人で灘高の方だとはWikipediaで検索するまで知らなかった。それほど関西というか所謂神戸弁が聞こえてこないのである。

そこで思い出したことがある。それは、我々兄弟の親友と言っても良いだろう某世界的電機会社の副社長だった灘高出身の某氏が、大学在学中にゆったりとした神戸訛りで指摘されたことだった。彼が述べたことは「関西から東京に来て直ぐに標準語になってしまう者たちには曲者が多いと思う。それは、異なった土地に来て直ちに順応してしまうのは良いことかも知れないが、自らの出身地を隠そうとするのは正直ではないような気がする」との見解だった。

私にはそういう順応性が高いことが、不正直であるか曲者であるかまでは未だに判断しかねている。だが、確かに大阪弁、船場言葉、京都弁、河内弁等々の関西独特の語り方から綺麗に離れておられる関西の出身者がおられるのは間違いないし、何時まで経っても関西弁(と括ってしまうが)のままでおられる方々が多いのも確かだ。

かく申す私は大阪支店に転勤して多くの転勤経験者に助言を頂いたが「大阪弁を可及的速やかに覚えろ」と「東京弁のままで丁寧に東京式の敬語をふんだんに使って話せ」の二つに分かれていた。結局、私は半年かけて現地の言葉で語れるようになったし(と自分で思っていただけかも知れないが)、何とか現地に溶け込んで行けたと思っていた。それは言うほど生易しいことではなく、ただひたすら「こういう時にはこう言うのだ」と覚える努力を積み重ねしかなかった。

事実、4年経って東京に戻る人事が掲示板にでた時に、支店の女性に「東京転勤では大変ですね」と言われて「別に何の問題もないよ。僕は東京生まれ東京育ちから」と見事な山の手言葉で答えて、その女性を仰天させたのだった。今でも言えることは「大阪弁だって同じ日本語だ。英語のような七面倒くさい言葉と比べれば遙かに易しいのだ」である。