新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月20日 その2 猛暑をイヤというほど実感

2018-07-20 16:56:53 | コラム
帽子を脱げば頭から水を浴びたような状態:

本日は2週間前に予約してあったので、新大久保駅前を14時41分発のバスで大久保2丁目のSHクリニックに向かった。因みに、我が家から駅前まで徒歩約9分か。流石にこの時間帯では大久保通りを闊歩する異邦人も普段よりは少なめで、走っている車も疎らだったような気がした。それほど暑さがきついということだろう。

予約時刻の15時一寸前にクリニックに入って暑さを感じたので帽子を脱げば、頭から水をかぶったようにビッショリだったのには驚いた。それほど長い時間直射日光に当たって歩いていた訳でもなかったし、辛いと感じるほどの暑さでもなかったのだったが、実際にはそこまでの猛暑だったということだと改めて認識させられた。

看護師さんには「この一日の中でも最も暑い時間に良くお出で下さいました」と冗談を言われたほどの暑さだった。未だ鼻風邪が完全に抜けた状態ではないし、万一を考えてポカリスエットを300 mlほど持参していたので、往復する間に完全に飲みきってしまった。バスの中から眺めたKoreatown側というか山手線の内側も閑散とした感じだった。それでも、スーツにネクタイ姿のビジネスマン(なのだろう)を見かけたが、ご苦労様な事だと思った。

帰りには空調が効いていそうなコンビニ等には出来る限り入って束の間の涼しさを楽しんでから、ゆっくりと歩いて我が家まで戻った。それでも帰宅した後ではポロシャツが汗で体にこびりついて簡単には脱げない状態だった。この暑さは当分続くようだが、その間に外出する際には服装には十分に注意する必要があるのは当然だが、ポカリスエットの類いの飲料水も必需品だと痛感した。と言うよりは、高齢者は不要不急の外出は極力避けるべきだと思った次第。

英語は易しい言葉を使って

2018-07-20 09:15:40 | コラム
英文をどのように作るのか:

昨日も少し触れたことだが、1975年3月にウエアーハウザーに転進して日系人でワシントン大学出身のMBAのBJ氏に厳しく教えられたことが「英語は易しいというか簡単な単語を数多く使いながら、極力短い文章で表現するように。但し、アメリカ人の思考体系は異なるのだから『ここは詳細に言わずとも解ってくれるだろうとか、こちらの言わんとするところを察してくれるだろう』などと勝手に決めて細部まで触れないような文章は書かないこと。そこまで詳細に言う必要があるかないかを自分で決めるな」だった。

一読すると、何となく矛盾したように聞こえるが、この点が本当に要注意なのである。その辺りは微妙な表現になるが「彼らは行間を読んだり、書かれていないか言われていないことを『多分こう言いたかったのだろう』などと読むような芸当は絶対と言って良いほどしない頭脳構造の持ち主なのである」と知るべしなのだ。繰り返して言うと、この辺りが日本人の思考体系との大きな違いであり「忖度」などはしてくれないと知るべきだ。

BJ氏は「であるから、なるべく微に入り細をうがって、簡単な単語を沢山使って、しかも冗長にならないように、しかも場合によっては多少単調(monotonousという言葉だった)に陥っても短い文章を沢山続けるというような表現方法もあるのだ」と解き明かしてくれた。彼が更に念を押した点は「易しいというか簡単な単語を使え。俗に言うbig wordは避けよ」だった。これは簡単なような難しい話で、どれが易しくて難しい端語かの判断は容易ではないと思う、特に我が国の学校教育で単語を覚える教育をされてきた方々には。因みに、彼はこういう話は全て見事な日本語で語るのだった。

ここで手前味噌と言われそうなことを。その点では、私は中学1~2年程度の教科書の音読・暗記・暗唱を続けてきたので、その程度の単語が数多く流れの中でどのように使われているかが頭の中に入っていたので、比較的容易にBJ氏の教えに従うことが可能だった。と言うよりも「簡単で易しい単語」しか覚えていなかった結果になっていたのだった。それが結局アメリカ人の中にいてもそう苦しまなくても済んだことになったと思っている。

更に、某商社で個人指導した若手には上記のBJ氏の教えに沿ったような形で、会話まで教え込んでみた。すると、かなり進んだ後で彼が「何故、そんなに簡単な単語ばかり使ってそんなに難しいことがスラスラと言えてしまうのですか」と言ったのだった。そこに気が付いた彼はそこまで見破るだけの力が付いてきたと言うことだと思う。少し謙遜して言えば、私にはそういう英語しか使えないのであろうか。

先日も知人との英語論の中で、私は近頃は(最早そう滅多に英語を話す機会もないが)「外国人に綺麗な英語を話しますね」と褒められた(社交辞令を言われた)時には、何となくおちょくられたような気分になる時があって「貴方だって努力すれば、私くらいの美しい英語が話せるようになるよ」と言い返して、大いに受けることがあると言った。すると「それを英語ではどのように言うのか」と尋ねられた。

答えは “Your English could be as good (or beautiful) as mine, if you tried (made your best effort).”辺りかなだった。聞かれた方は「なるほど、易しい単語ばかりしか出てきていないようだ。それでもそう言えるのが面白い」と感心して貰えた。繰り返して言うが、私はこういう表現しか出来ないのだが、それでもアメリカ有数の支配階層の会社に20年以上もリタイヤーするまで勤めることが出来たのだった。願わくは、上記を自慢話と思わないで頂きたいのだ。