新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月1日 その3 外交は票にならない

2018-07-01 17:34:45 | コラム
アメリカの一般庶民の海外に対する関心の度合いの考察:

本日のテレ朝のテレビタックルに出演された明治大学の海野教授は「トランプ大統領の支持率は金正恩委員長との会談後に2~5%程度しか上昇せず、中間選挙対策もあって多くの州を回って会談の成果を強調されている。だが、一般庶民の海外に対する関心の度合いは低く、支持率に結びついていない」と懸命に語っておられたのが印象的でだった。私もある程度以上理解できる事実だと経験してきたからだ。

海野教授は嘗て民主党の為に戸別訪問をして回ったと誇らしげに自分から言っていた人物。アメリカ人の中にいて仕事をした経験持ち主である点は少しは貴重かと思う。早稲田の中林教授も上院の仕事を長年していたとかで、米国の政界の事情に明るいという触れ込みで方々のテレビに出ている売れっ子だ。お二方はそれなりに情報源をお持ちのようで、聞かせるだけの材料はあるようだ。それ故に、海外からの情報と我らがマスコミ報道と統計資料頼みの評論家と少し違うと言えるだろう。

海野教授は「一般のアメリカ人はDPRKの事など意識していない」と指摘した。一般論として経験上も言るが、自分で海外関係の仕事でもしていない限り、アメリカ庶民が外国に対する関心の度合いは我が国のそれよりも遙かに低いのは間違いない。特にアジア関係では中国系アメリカ人が多いことも手伝ってか中国人しか知ラナイとすら思わせる。私などは台湾で保証されたように、何度中国系アメリカ人と思われたか解らない。愉快ではない。我が国と同様に外交問題は票にならない国だろう。


私はカナダで一度ともにいた工場の幹部とBC州の田舎で食事をした際に、彼がウエイトレスに「この人は何処の国の人か解るか」と尋ね、I don't know.だった。重ねて「日本人だが、日本は何処にあるか知っているか」と尋ねれば、困惑した表情で間を置いてから Somewhere in the far east.と答えた。そんな程度だと思う。アメリカでは多くの人は「日本は中国の一部だ」と堂々と言う者が多いのでウンザリさせられた経験もある。

であるから、海野教授にトランプ様がDPRKと会談したの何のと言われても反応がなかったと聞いても驚かなかった。如何にもアメリカ人が世界を知らないような言い方だが、我が国ではどうかと考えて見る必要もあるかも。言えそうなことは、我が国の一般人の方が知識と関心は高いと言って誤りではあるまい。でも「外交は票にならない」と常に言われている。


7月1日 その2 スポーツ中継の解説者を考える

2018-07-01 13:56:11 | コラム
歯がゆい解説者ばかり:

ここで採り上げるのはサッカー界の解説者だが、他の競技種目にも当て嵌まるとも考えている。今回のW杯のサッカーでは後遺症があるとは予測せずに、結局グループリーグの3試合全部を見てしまった。その観戦記も掲載し続けてきたが、ここでは解説者について語って見たい。既に指摘したことだが、彼らの過半数は何も具体的な解説をしない説明者に過ぎないのが多いのは遺憾である。いや、極めて歯がゆいのである。尤も、ラグビー界には単なるアナウンサーの隣に座っている応援団の一員に過ぎない大畑大介のような者もいるが。

これまでの3試合で私が最も評価したいのがNHKが起用した元全日本監督の岡田武史である。彼の解説は全て納得がいったし、目の付け所が凡百の解説者どもの遠く及ばないところだった。彼とともに出ていた福西崇史も評価して良い一人だと思っている。総じてNHKが使う者は間違いがないが、元全日本のGKだった小島伸幸と宮沢ミシェルは願い下げにしたい。山本昌邦催いがやや陳腐化した感があって残念だ。

次に評価したいと思わせて貰えたのが、フジテレビが起用した山口素弘と鈴木隆行だった。フジはそもそもサッカー中継を得手としていたとは思えないので「また何で余り出てくる機会がない者たちを使うのか」と思った。だが「失礼致しました」で、かなり的確だったし、例の対ポーランド戦のあのストーリングの場面で「何故あのようなことをするのか」についての説明が非常に良かった。さもなくば、私はフェアープレーのポイント制があったと知る機会などなかっただろう。

評価していないのは日テレが使う都並、北沢その他で、何度聞いても説明者の域を出ていない点が極めて不満である。その他にはテレ朝の早朝の番組に出ているこれも元全日本だが福田正博も頂けない。彼は専ら選手たちに対するオベンチャラに集中していて全く批判する気構えがないというか「駄目なプレーは駄目」と言うだけの根性がないので困る。全般的に厳しいというかきついことを言って批判することを避けている解説者が多いと思っている。

「良いプレーでしたね」と言って褒めてくれるのは結構なことだが、一応のサッカー経験者である私でなくとも解るような、良いプレーを褒めて教えてくれる必要などないと思う。せめて「何故、何処が良かったか」くらいは触れるべきだ。川島があれほどチョンボが多くても「彼の何処か駄目であるか」に触れた解説者はいなかった。あのセネガル戦であの低いシュートにパンチングの姿勢を採った辺りは「駄目だ」と厳しく言って欲しかった。

ところで、この解説者のオベンチャラに徹した姿勢をXリーグのテイームでコーチや助監督を経験した者に聞かせたところ「彼らに厳しいことを言えと期待するのは無理な相談だ。それは、彼らは未だその業界(で良いのかな?)で大御所の地位にもなく監督経験者でもない。しかも、いつ何時コーチなり何なりの声がかかるかも解らないのだ。その時を考えれば、同業者の悪口めいたことを言う度胸がある訳ないのだ」と宥められてしまった。

そう言われて考えれば、プロ野球界でもほとんどの連中が解説者ではなく「第2のアナウンサー」か「野球説明者」に過ぎないのだ。ごく普通に「駄目なプレーを駄目だ」と言えるか、言っていたのは、最早何処の局にも出てこなくなった広岡達朗と野村克也だけである。言うまでもないが、このお二方は何度も日本シリーズを制覇された元の大監督だった。広岡が私の1学年上だし、野村も82歳でともに野球界の大長老だ。張本勲も「喝」とは言っているが、テレビの解説には出てこない。

私は解説者たちは将来の業界復帰に色気を見せる事なく、言うべきことはキチンと言って批判し、褒めるべきプレーがあれば「何故褒めるか」を言うのが仕事だと認識すべきだと言いたいのだ。気兼ねばかりされていては困る。私は五月蠅いと思った時は「消音」にしている。率直に言えば「彼ら解説者にはそれなりの覚悟を以て視聴者の為を考えて喋れ」と言ってやりたい。尤も、サッカー界には往年の名キッカーKKのように折角良いことを言いながら、横柄な語り口の者がいるのも良くないと思う。


奈良光枝

2018-07-01 07:17:37 | コラム
流行歌手を生で聞けた経験:

本1日の「頂門の一針」で、主宰者の渡部亮次郎氏が奈良光枝のCDを聞いたと言っておられたので、私の思い出を一席。

私が未だ日本の会社にお世話になっていて、しかも大阪支店に配属されていた昭和30年代後半に、静岡市で案内されたキャバレーだったと記憶しますが、奈良光枝が歌うのを聞きました。確かに美貌でしたし、歌もそれなりだったと思いましたし、何よりもこんなところで聞けるとはと驚きました。大喝采でした。今でしたら、それが興行界で言う「営業」だったと解ったでしょうが、当時では「何故、あれほどの有名な歌手がこんなところで歌うのか」と、寧ろ可哀想だとすら思いました。

私が所謂流行歌手を生で聞けたのが、この時の奈良光枝が最初で最後だったでしょう。顔は全く覚えていませんが、ドレス姿が魅力的だったのは忘れられませんでした。