新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカの対日貿易政策の考察

2019-04-21 10:47:48 | コラム
アメリカの貿易政策を考えれば:

私の主張:

私が1994年1月末まで在籍していたW社では「我が社が懸命に努力して対日輸出を増やしていけば、幾らかでも貿易赤字を削減できるだろう」とということまでは考えていなかったと思う。だが、全社を挙げて輸出に努力していた成果で、対日輸出が2,000億円/年にも満たない売上高であっても(この金額は為替次第で幾らでも変化する)、1990年代初頭にはアメリカの会社別対日輸出額では第2位とあっては、他の会社は何をしていたのかというのが我々の偽らざる思いだった。

私が21世紀の現代にあってトランプ大統領に是非ともご理解願いたいことは「我々とその他の企業が如何に対日輸出に努力して来たにも拘わらず、日本からの輸入の総額には追い付かなかった」という事実である。アメリカの需要家も最終消費者も我が国から輸入されてくる製品の質と価格を好んでいたという紛れもない事実があったということ。即ち、第1位のボーイング社や我が社1社くらいがが幾ら努力しても、アメリカが我が国から輸入し続ければ、赤字は解消しないのだという冷厳なる事実だ。

これまでに何度か指摘したことだが、クリントン政権下だったと記憶するが、我が社は年間の対日輸出が2,000億円にも満たなくても、通産省から「対日貿易赤字削減に貢献した」と表彰されたのだった。それほど我が国の政府も対アメリカの貿易黒字を減らすべく工夫していただが、黒字が大幅に減少するには至らなかった。確かに往年はアメリカ側から牛肉や米の輸入を増やせという要望(圧力?)はあったが、我が国は関税という対策を講じて何とか防戦していた。

私は在職中からアメリカ側の対日輸出の努力が不十分ではないと批判してきた。それは紙パルプや林産物という素材産業が対日輸出の大手であるような状態を脱して、高度工業製品の輸出を増やす努力をして欲しいという意味である。後難を恐れずに言えば「貿易赤字が大きいのは対日輸出に真剣に取り組んでいる業種や企業が少ないのではないか」ということだ。私はアメリカ側には「その点を等閑にして、自動車等を売り続けた日本が怪しからん」と言われるのはfairではないと今でも思っている。

対アメリカの貿易問題に関しては色々な解説をされるか、独自の見解を唱えられる多くの専門家がおられるが、私は中部大学の細川昌彦教授を除いてはアメリカとの輸出入交渉の実務を担当された方が何人おられるのか、世界でも最も難しい市場と認識されている対日輸出の経験を積まれた方が何人おられるのかと思って、ご高説を承っている。嘗て、上智大学経済学部の緒田原涓一教授は一次産品ばかりの対日輸出の主な品目のリストを見て「これではアメリカは日本の植民地かと思わせるではないか」と指摘しましたことがあった。

私はトランプ大統領以下に先ず責めて頂きたいのは、対日輸出に努力しなかったアメリカの産業界だと考えている。具体的なことを言えば、我が社が第2位だったということは米や牛肉等の農産品業界も我が社以下だったということではないかと思っている。20世紀までは日本に最も近い地の利が良い西海岸から輸出されていたのは、飼料用の干し草、アイダホー州のフレンチフライ用のジャガイモ等に加えて我が社の紙パルプ・林産物ということだった。しかしながら、自動車業界は未だに「非関税障壁があるのが怪しからん」などと言って自らの非を認めていないのだ。

トランプ大統領が「アメリカファースト」の旗印の下に世界の貿易の体系と言うか仕組みを変えてしまう方向を目指しておられるという見方があるのは結構なことだし、アメリカ側から見れば尤もなことだと見える。だが、少なくともそれと同時進行で自国の企業に一層の対日輸出への努力を求め、如何にして対日輸出を増やせと督励されることもお考え願いたいのだ。

最後にこれを論じれば難しいことになり、一悶着起きるかも知れないことを挙げておこう。それはアメリカの企業が日本に進出した際に現地で採用する日本人の社員の質が最適だったかという問題だ。これは古くて新しい案件だが、日本の企業が最優秀の人材で外国語能力も一流以上で、世界を股にかけて手腕を発揮したような人材をむざむざと外国の会社に引き抜かせるかということ。英語が少し上手いというだけの能力の者を雇っても、その人物が業界の専門的知識も乏しく、業界での顔が広くなかったらどうなるのかということ。

そこには先頃引用した元在日アメリカ商工会議所(ACCJ)の会頭・フランクリン氏が「日本市場での取引は須く日本人同士の強固な結びつきの元に歴史的にも成り立っている。外国の会社がその強固な結びつきを切り裂いて分け入っていくのは容易なことではない」と言われたことが障壁となって立ち塞がることが多いのだ。そこを乗り越えて初めて日本市場に確固たる地盤を確立できて、市場占有率も上がっていくのだ。

トランプ大統領が大きく広い視野に立って世界の貿易の秩序を変えてしまおうと考えておられるのかも知れないが、私には中間選挙と第2期目の為の準備期間に早くも入られて、彼の公約を極力実行して、支持層であるプーアホワイトと英語では“working class”と表現された階層だけではなく、広い層からの支持獲得を目指しておられるのだと思える。それだからこそ、ライトハイザー氏を督励して積み残しの公約であった「対日貿易赤字削減」を目指されるのも故なきことではないと見ている。だが、私はそれでは「一歩通行であり、果たしてfairなのかな」と言いたくなるのだ。


4月20日 その2 天皇・皇后を心からご尊敬申し上げます

2019-04-20 08:20:30 | コラム
私は両陛下をお敬い申し上げるのに適切な言葉を知らない:

私は昨日帰京された両陛下の最後のお出ましというか伊勢神宮にご参拝にお出かけになった様子を見て、ただひたすら「お偉いことだ」という以外にあの国民をお思われて、国民のことを真っ先にお考えになっている様子には、本当に心を打たれる感動でニュースを見ていた。

私も1995年に一度だけ伊勢神宮を参拝した経験はあるが、新幹線で名古屋に行きそこから近鉄に乗り換える旅は決して楽ではないと思っている。当時は未だ62歳だったので難なくこなしたが、85歳の天皇陛下と美智子皇后が車中でも一般人のように寛いでお乗りになっていることなどあり得ないだろうし、列車から降りられた後では沿道の人たちに会釈されてお手振りをされ続けておられるのであれば、恐らく椅子に背中をもたれかけられることなく移動されたのだから、さぞやお疲れのことだっただろうと拝察するのみだ。いや、それどころか、天皇陛下よりも1学年上で、近頃急速且つ順調に老化が進んだ私には到底耐えきれないだろう移動をされたのには、畏敬の念を持って拝見している以外なかった。

私は天皇皇后両陛下があれほど多くのご公務をこなされた上で、国民のことを常に思いやられて仮令遠距離であろうと厭わずに被災地をご訪問になって被災者たちと膝をつかれてご歓談なさる姿を拝見してお偉いものだと感心する前に、その被災者のことにあれほどの関心をお持ちで、国民のことをそこまで思いやっておられるのかと敬意を表することしか出来なかった。同時に「さぞやお疲れのことだろう」と拝察もしていた。何分にも何時も普段着ではなくキチンと整えた服装でお出かけになるのも大いなるのも大いなるご負担かと思って拝見していた。

その両陛下は後10日ほどでご退位になるのだ。私は「令和」という新元号がどうのと商業的に浮かれて騒いでいる場合かと寧ろ憤慨している。そんな軽佻浮薄なことをしている暇があれば、ご退位になる両陛下の素晴らしさと国民のことを常にお考えになっておられたお心に、全国民を挙げて感謝の念を表しておくべきだと思っている。私は「偉い天皇陛下と皇后様だった」と申し上げたいのだが、「偉い」という言葉では尊敬と感謝の念を表すには不足ではないかと考えている。他に適切な言葉があるのだろうか。



大和 勇様 コメントを有り難う御座いました

2019-04-20 07:42:18 | コラム
大和 勇様

新宿区議選挙に思うこと:

ご指摘の某国からの帰化人の再度の立候補については、私も前回から関心を持って見ております。既に先週には彼が新宿駅西口で選挙から降りて近寄った若者2人と何か言葉を交わしている光景も見ましたし、高田馬場駅前では選挙カーの中から手を振っているの場面にも出会いました。前回区議選に出てきた際にも彼のような兎角の噂(工作員ではないかであるとか、反社会勢力との結びつきがあるとか)がある人物を区議会に出して良いのかという単純な疑問は持っていました。

もしも工作員であったのであれば、最早帰化したとは申せ「国防総動員法」との関連が気になります。

それはここ新宿区のように都下23区の中で最も居住する外国人の数が34,000人と多く、中でも中国人が最大であるところの区の議会に帰化したとはいえかの国の人が加わることが妥当かどうかどうかという疑問です。それでなくとも、百人町/大久保界隈には外国人が多く、私がNew Koreatownと呼ぶようにしたKoreatownも息を吹き返して往年以上の繁盛振りです。そうであれば、今回もしも彼を当選させてしまうような事態が生じれば、帰化した韓国人やイスラム教徒も「我も我も」で出てくるかも知れないと、密かに憂いている次第です。

今回の区議選には高校の24期だったか後の区議が再出馬していますが、昨年4月に彼と語り合う機会があった時には百人町/大久保界隈に退廃ぶりというかアジア兄の外国人に席巻されている状態を改善する気はないのかと質問したところ、彼は関心を示さず、「未だスラム化していないではないか」と答えてくれたのみでした。今回は偶然にも彼以外には私と同じ大学で同じ学科を卒業した女性まで立候補しております。次男と同じ大学で同じ学部出身の自民党に区議もいます。選択肢が多くて悩まされている気もしますが。

Queenを知らなかった

2019-04-19 17:06:47 | コラム
私の守備範囲外というか興味の対象外だったので:

昨18日辺りまで方々のテレビ局が“Queen”が何度目だったかの訪日をするといって大騒ぎをしていたので、当方は「何のことかな」くらいの印象で捉えていた。ところが良く聞けば、屡々聞かされる“We will rock you.”という曲を歌って大流行させたUKのロックミュージックのバンドのことらしいと解ったのだった。そう言われて見れば Freddie Mercury という歌い手の名前を何処かで聞いたなと言う程度の知識はあった。また、「ボヘミアン・ラプソディ」という大ヒット曲もあったとも聞かされた。

だが、それでも英語の慣用句にある表現でいえば “That does not ring my bell.”状態であり、何のことかサッパリ思いつかなかったのだった。それで思い立って、先ほどWikipediaに伺いを立ててみた次第だ。そこにあったことは、彼らは1971年辺りに結成され、1974年から79年が第1次黄金期だったそうで、第2次が80~86年だったということ。であれば、如何に忙しく日本とアメリカの間を往復してただけではなく、来日した上司や同僚たちと日本中を飛び回っていて、東京にいたのは年間に100日程度いう頃のことだったようだ。

であれば、極めて多忙であってQueen だろうとエルビス・プレスリーだろうと、興味や関心を持つ余裕などあり得なかった訳だと納得した。特に「ボヘミアン・ラプソディ」という曲は同名の映画も出来ていたそうだが、全く知らなかった。ということは、それほど仕事に熱中していて余裕がなかったのか、あるいはその昔西新宿にあったジャズファンにとっては聖地のようなジャズレコードの専門店「オザワ」に入り浸っていた頃であり、ロックミュージックなどには聞く耳持たなかっただろうと思う。

正直に回顧すれば、1988年4月まで住んでいた藤沢市からは青山一丁目にあったW社ジャパンの事務所には時間的に通いきれなくなって、というか仕事の都合で遅くなった時には帰宅する余裕がなくなってしまうことが余りにも多くなったので、東京都内への移転を真剣に考え始めていたのだった。仕事の為に私生活を犠牲にしていたと言うよりも、朝でも片道100分以上かかる通勤時間では体力が続かないとすら考えるようになっていた。Queen とやらのお陰で、ついそんな昔のことを懐かしく思い出す機会を得たのだった。

そこで締めくくりに矢張りカタカナ語について一言。「ボヘミアン」と聞いて思ったことは「これは例によって例の如きローマ字読みだな」と直感した。恐らく原語の綴りは“Bohemian”であり、発音は「ボウヒーミアン」だろうと察しがついた。また性懲りもなくそんなことを言っているなとお思いの方がおられるだろうが、どうしてカタカナ語の制作者は原語の発音を無視してローマ字読みを尊重するのかなと何時も不思議に思っている。

しかし、我々日本人同士で「ボウヒーミアン」などと発音したら「キザな奴だ」と嫌われるか軽蔑の対象となるだろうと危惧する。誰が「外国語は迷わずにローマ字読みして表記しよう」と原則を決めて全国津々浦々に普及させたのだろう。だが、こういう表記の方式も我が国の独自の文化だと思えば、仕方がないことかなと考えるようにしている。でも、片割れの “rhapsody”は何故「ルハプソデー」とはならなかったのだろう。嫌みを敢えて言えば、この辺りに先人の工夫の跡が読める気もする。

最後にもう一言をお許し願えば「Queenを知らなかったことは大いなる屈辱的なことではない」と信じているのだ。


桜が散ってツツジが咲き始めた

2019-04-19 14:34:57 | コラム
消費税率引き上げと軽減税率導入の時期が迫ったか:

我が家の近くの西戸山公園の桜が散り終えてしまったかと思えば、我が家の前の歩道の植え込みには延々とツツジが咲き始め消費税率引き上げの時期が迫ってきたのかと思わせてくれている。その時期にあって昨18日には自民党幹事長代行の萩生田氏が「如何にも10月に迫った消費税率引き上げをの日銀の7月の短観次第では、崖っぷちに国民を誘う訳にはいかない」という意味の発言をして物議を醸していた。そしてTBSは「報道1930」では、我が国の実質賃金がマイナス成長であるという事を内外の論客に論じさせて「なるほど、そうなのか」とも思わせてくれていた。

ところがである、私の好みではない恵が司会を務めるTBSのヒルオビでは時事の田崎氏と政治解説者の伊藤氏を招いてこの件を論じさせている最中に、話題の中心だった荻生田幹事長代行の記者会見が割って入って彼の「軌道修正した」と田崎氏が表現した昨日の発言が訂正されていた。萩生田氏は発言は撤回せず、訂正が適切であると思うと述べていた。観測気球ではないかと田崎氏は指摘していたが、まさか安倍総理の意中を忖度はしていないだろうとも観測していた。何れにせよ、萩生田氏は人騒がせであると思う。

昨日はこの萩生田発言を捉えて立憲民主党というのだったか野党の常に安倍内閣の揚げ足取りの先頭に立っている福山哲郎は「これぞアベノミクスの破綻以外の何物でもない」というようなことを嬉しそうに言っていた。このような輩の発言をまともに採り上げるテレビ局も福山同様に揚げ足取りが好きで堪らないようのだ。救いようがない連中であると思う。では本当にアベノミクスが破綻していて我が国は不景気にあるのだろうか。正直なことを言えば「私には判断のしようがない」のである。だが、菅官房長官は「リーマンショック級の事態が生じない限り延期はあり得ない」と断言されたではないか。

私はこれまでに一度たりと雖も「アベノミクスは失敗であった」とは言ったことはなくて、「アベノミクスは未だに成功の途上にあるのだ」と断言してきた。だが、確かなことは国の景気は誰しもが肌で感じるほど往年のバブル期のような活況を呈してはいないと言えると思っている。私は多くの人々がそのような感覚の景気感を持っていることの最大の原因の一つが、TBSも採り上げていた「実質賃金がマイナス成長である」という現象があると思っている。

安倍総理が繰り返して財界に賃上げを求められたにも拘わらず、街頭でのインタビューなどでは「有り難いことに給料が大幅に上昇した」などと語る者は見たことも聞いたこともない。上場企業では立派にネット利益が上がっていてもそれが皆内部留保に回されてしまうほど、経営担当者たちは「景気は安心出来る状況にある」とは認識していないようで、思い切った賃上げには踏み切れていない状況が続いているようだ。確かに、現時点ではアメリカ対中国の貿易赤字削減問題に端を発して争いは不安材料であるし、世界の何処を見ても不安材料だらけである。

ではあっても「鶏が先か卵が先か」という陳腐な論争の視点から考えても、賃金を上げないことには消費景気は盛り上がってこないだろうし、経営者側から見ればこの国の内外に不安材料が多い最中に今や固定費である賃金を上げるような危険は犯したくないという慎重さ(度胸の無さ)があることも否定できまいと思う。それに大規模小売業であろうと個人商店であろうと、迂闊に仕入れ原価をそのまま消費者向けの末端価格に転嫁してしまえば、競争相手に商売を取られてしまうという危機感からついつい「歯を食いしばって利幅を切り詰めて末端価格を維持してしまう」傾向があるようだ。私は所謂「ステルス値上げ」にはかなりの数の商品(食品関連)で経験している。

私はそういう価格競争と大規模小売業対個人商店の争いもさることながら、我が国の市場には絶えず供給過剰というか如何なる製品においても過当競争の種が尽きないと思って見ている。要するに「迂闊にコストの上昇を最終価格に転嫁して取引先を競争相手に獲られてしまうことや、単純に売上高が減少してしまっては運転資金が回らなくなってしまう」という切実な危機感があるということだ。私はそのような過剰在庫を投げ売りしても資金の回転を図ろうとする傾向はなくならないと思っている。

それが証拠には某DJの店舗には常に明らかに処分品と思わせるとんでもない投げ売り価格の商品が陳列されているという現象が見られるのだ。私にはそういう安売りが未だにデフレ傾向が続いているのか、過剰生産と過当競争(ある専門業者の社長は嘗て「オーバー・ストア現象」と形容されたが)の結果かどうかの判断は出来ない。だが、最終需要者は常に敏感に新聞に挿入されてくるチラシ等を通じて「投げ物が出てくる」現象を捉えて、「安く買える店」を選んで購入していると見ている。そのような店舗が近場で歩いても行けるような場所になくても、消費者(主婦)たちは出向いていくのだと見ている。

それだけに止まらず、今やアマゾン等を中心とする電子商取引は花盛りである。昨日も朝9時過ぎにエレベーターに乗ったところ、上の階から降りてきてM太郎という配送業者の係員が5~6個のアマゾンの箱を抱えて乗っていた。思うに配達先が不在だったのだろう。彼はエレベーターを降りるや否や隣の棟に向かって疾走していった。ところが、数分後にはその荷物を抱えたまま出てきて軽自動車に乗って我がアパートを後にした。アマゾンはM太郎も使っているのだと解ったが、午前9時過ぎだと多くの家は全員が外出した後だったのだろうと解るが、配送業者としては朝9時には始動開始しなければならないのだから、再配達が多くなる訳だと思って見ていた。

再配達が増えることは兎も角、経済的な価格で買えるネット通販も増える一方では、末端における価格競争というか最終消費者も安値を狙える時代となっては、経営者も経費の合理化や人件費を抑える方向を目指すのだろうと、荷物を抱えて疾走するM太郎の配達員を見ながら考えさせられた。世の中にかかる人件費と輸送費をかける販売方法が増えていけば、製造業界でも何時何処でどのように経費を合理化し、尚且つ給与を上げても人員を確保せねばならないという難しいというか、如何にして容易ならざる競争の時代を切り抜けるかを懸命に考えねばならぬ事態に直面したと覚悟せねばなるまい。