新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が国とアメリカとのスポーツの世界における文化を比較すれば

2023-10-13 08:20:30 | コラム
ジャイアンツの阿部慎之助新監督の如何なる指揮・指導法で臨むのか:

昨日は花巻東高校の佐々木麟太郎君がアメリカの大学の問題を取り上げたが、今回は、我が国とアメリカとのスポーツ界の文化の相違点を論じてみようと思う。

要点は「阿部慎之助新監督がこれまで通りに古き良き時代の精神主義に基づいた指揮・指導法で臨むか、アメリカ式の合理的且つ科学的な指導法を採用するか」が焦点なのだ。

私が知る限り、アメリカ式では監督とは言わずに”head coach”であり、その下に野球では攻撃、投手、守備、走塁とうに役割を分担したコーチたちがそれぞれの分野を任されているのだ、フットボールではオフェンス、ディフェンス、QB、WR、DB等々に細分化されたコーチがいて、ヘッドコーチはそれぞれのコーチに試合の進行計画を任せて、決断と責任を負っているのだ。佐々木君がこういう世界に入っていけば戸惑う事は請け合いだ。

阿部慎之助新監督については、彼がジャイアンツの二軍監督に任命された際に、選手たちを俗に言われている「千本ノック」式の苛酷な練習方法で指導し、失敗した者たちには罰走を課すという、敢えて言うが「古き良き時代の精神主義」に基づいた思想で臨んだ事を批判してあった。即ち、時代遅れではとの疑義を呈したのだった。換言すれば、アメリカ式と対極を為す指導法なのである。

その阿部慎之助はこの度、原辰徳前監督から後事を託されて新監督に就任の運びとなった。すると、週刊新潮が早速「昭和スポ根臭に心配の声」との見出しを打って、疑問であると言い出した。言わせて貰えば私の見解と同様な指摘だった。また、我が国では監督が全権を掌握しているのだが、屡々越権行為だと思う善意から監督が打撃や守備の指導をしている場合がある。この辺りに「コーチ」と分業制になっている事への理解と認識が欠けているように見える。

ジャイアンツ嫌いの当方はそこまで彼らの歴史に明るくないが、長嶋茂雄監督はかの「伊東キャンプでの猛連練習で若手を鍛え上げ強いジャイアンツを再建した」歴史があるので、その頃に在籍していた訳でもない阿部慎之助はその方式を二軍の強化策に用いたのであろう。長嶋監督は立教大学で砂押監督の猛練習で育てられたので、その手法を踏襲してプロであるジャイアンツをも指導されたのであろう。当時は野球界にはウエイトトレーニングのような訓練の方式は導入されていなかったと記憶する。

だが、時代は急速に変化し進歩した。東京都内でも至る所にジムがあり、多くの人が歯を食いしばってトレッドミル(カタカナ語では「ランニングマシン」)に挑んでいる光景が見えているし、晴雨に拘わらずジョギングをする無数の老若男女に出会う。要するに「根性」や「倒れるまで練習して鍛え上げる」時代ではなくなり、科学的な練習法が普及したのだ。

その時代に阿部慎之助新監督の登場となって、その精神主義を危ぶむ記事を週刊新潮が発表したのだった。昭和20年(1945年)に蹴球部に入った私は勿論精神主義の時代に育ったのだが、最早そこには執着する気もないし、精神主義を全面的に否定するほどの勇気の持ち合わせもない。

私の興味と関心事は、この時代にあって「阿部慎之助新監督は自分が育った古き良き時代の厳しさを全面的に掲げる練習法に執着して『常勝ジャイアンツ』を再建する固い決意であるのか否か」なのだ。

私は寧ろ現代の近代的且つ科学的なトレーニングの時代のアンチテーゼである「厳しく鍛え上げる精神主義尊重の指揮・指導と訓練法でやって見せて貰いたい」とすら考えている。最大の興味と関心は「そこにどのような結果が生じるか」なのである。我が国には矢張り精神主義は根付いているか否かである。

要するに、阿部新監督が時代とその変化と進歩に妥協して、二軍監督時代の指導方針を捨てて、時代に相応しいジャイアンツに志向するような指揮を執るか否かに興味も関心もあるのだ。原前監督時代のコーチ陣を見ていると、長嶋茂雄氏の薫陶を受けたか、その伝統?の影響下にある者たちが主体だ。その環境下で阿部慎之助が近代的且つアメリカ式な指導法に接している時間と機会があったのだろうか。

何れにせよ、阿部慎之助新監督が来シーズンに如何なる思想信条に基づいて「常勝ジャイアン」を再建するかどうかには少しだけ関心があるという事。監督さんが打撃コーチを差し置いて一軍の選手の打撃指導をするような事が起きれば、原前監督時代からは脱却できないと思うのだが。この意味は「監督の役割」と「コーチは何の為にいるのか」を監督が認識できているのかという事。


佐々木麟太郎君がアメリカの大学に留学を決意した

2023-10-12 08:18:06 | コラム
佐々木君の心得違いでなければ良いが:

花巻東高校の佐々木麟太郎君は在学中に140本ものホームランを記録したそうだが、NPBには行かずにアメリカの大学留学を決意したと報じられた。この事について、昨日の毎月定例となっている某大学のST教授との懇談会でも取り上げた。教授と一致した見解は「彼は何を目指してアメリカの大学に進学しようとしたのか。その点が明確ではないと失敗に終わる危険性があるのでは、またそこ何らかの心得違いがなければ良いが」だった。

即ち、アメリカの大学に何を目指して留学するかという問題である。教授はある有名な州立大学でフェローとして研鑽を積んでこられた実績があるので「アメリカの大学とは」を十二分に認識しておられるから言われるのだ。問題は彼がその目的を「何かを専攻する為なのか」、「(高次元の)野球を学びたいのか」、「異文化を学びたいのか」を鮮明にしておくべきだろうという事。

アメリカにも体育会推薦のような形はあるようだ。中には全て一般受験での入学しか認めていない大学もある。だが、運動部員にとって大学生であれば当たり前の事で「授業はならず出る事」、「単位は間違いなく取得する事」は必須として求められるし、「成績が悪くなればレギュラーメンバーから外されるのが普通である」と聞いている。

その上に、今や我が国でもかなり広く知られるようになって「我が国とは学習の方式が違う」という、言わば難関もある。その一例が「来週までに非常に分厚い本を読んで概要を纏めるか、感想文にして提出する」と言うような膨大な時間と労力を必要とする宿題が毎週のように与えられる」がある。

しかも、アメリカの方式は教えられた事だけを勉強していれば事足りるのではなく、自分で積極的に研究課題を見出して学習の範囲を自力で広げていく事も求められているのだ。これらの点が我が国の方式との大いなる相違点であり、これに慣れるのは容易ではないのだ。

また、知る限りでは運動部の練習方式もかなり違っている。部員たちはトレーニングのコーチからそれぞれがどのようにして身体能力を高めるかを指導されるのだが、その方法はメニューにして示されるだけであり、各自がそれに従って自分でトレーニングを積んで体幹を鍛え身体能力を高めてから、全体練習に参加するようになっているのだ。コーチは部員から求められない限り細かい指導はしないのだ。

因みに、即戦力としてアメリカの大手メーカーに採用された私は、与えられた業務を遂行するに当たって、上司はもとより誰からも「この課題はこのように進めよ」とか「君のその方式は我が社の理念とは異なるから改正せよ」といったような指導は一切された事がなかった。全て個人の主体性に委ねられている国なのだ。

回顧すれば、この世界に入った当初は「自分が上司から与えられた課題に向かって間違いなく進んでいるのか、自分のやり方が適切なのか」等々は、結果が見えてくるまでは非常に不安だった。

このような方式は、アメリカのフットボールの強豪校であるオクラホマ州立大学に留学して、言うなれば「アメリカ式、科学的コーチ学」を習得してきた元日本大学フェニックスの監督だった橋詰功氏が、フェニックスにその方式を導入して、3年目に甲子園ボウル出場を果たすまでに成長させた実績が、その効率の高さを示していると思う。

教授と一致して点はここなのだ。要するに「個人の主体性を重んじるアメリカの練習方式は、指導者が教えるだけではなく、各自が主体性を持ってティーム全体の中に入っていけるように自分でトレーニングを積んでおく事が求められているのだ。であるから、全体練習などは非常に短時間でアッサリと終わってしまうようになっている」のである。

こういう方式の中に監督やコーチたちが言わば手取り足取り指導していく我が国の運動部で育った者が入って行ってついていくのは容易ではない事は、想像に難くない。佐々木麟太郎君はそういう世界だと承知した上で、勉強も怠ってはならない事に対する準備も整えておく必要があるのだ。「そういう世界だと承知の上で入っていくのなら良いが」なのだ。

ここまでで一切英語の事には触れてこなかった。一言で片付ければ「わが国の学校教育の英語で育った者が、アメリカ人たちの中に入って充分に意思を疎通させる事は容易ではない。授業では言わばnative speakerたちの為に教授たちが講義をされるのだから、それを理解し、リポートを提出し、試験を受ける難しさは想像できると思う。それについていけるようになる為には、事前に現地での何ヶ月かあるいは年単位の英語の勉強が必要かも知れないのだ。

教授とも語り合った事は「野球の能力と実力を高めたいのであれば、大学ではなく最初からMLBの下部組織辺りから入っていく方が適切ではないか」だったし、私は錦織圭が育ったIMGアカデミーに入学する方が早道ではないかと考えている。何れにせよ、アメリカの大学事情と野球界の裏表に精通された方の意見を訊くか、助言を貰ってあるかも知れないが、難関に挑戦する意気込みは壮との評価はしたい。


カタカナ語を乱したのは誰だ

2023-10-11 07:39:00 | コラム
何故、恣意的に英語とは異なる表記にしたのか:

先ず確認しておくと「今回は日本語を混乱させているのは誰だ」を論じるのではない。止めどもなく氾濫していくカタカナ語の中で元の英語の発音とは異なる表記になっている言葉を取り上げようという試み。小学校から英語を教えてなどと言う考え違いをしていながら、カタカナ語表記を改善するとか、制約しようとしない文部科学省の不見識を憂いて論じるのである。

さらに、テレビ局と新聞社にも「キチンと辞書を引いて正しい発音に近いカタカナ語を使うよう」に求めたいのだ。彼らが使えば、罪なき視聴者は真似てしまうのだと看做している。彼らには反省を求めたい。以下に幾つかそのおかしな例を挙げておこう。

アワード=award、
解説)毎回指摘していることで、この表記をした何方かは辞書を引かなかったのかという疑問。正確な発音というかあるべき表記は「アゥオード」である。これを作り出したのは通信社か新聞社か知らないが、多数のテレビ局は知ってか知らずにか平然とアナウンサーたちに「アワード」と言わせている。何が違うのかという解りやすい例を挙げておくと、戦争の意味のwarを「ワー」と言うかという事。

エネルギー=energy、
解説)この単語の元になっているのはenergeiaというギリシャ語だそうだ。それを真似てenergyを「エネルギー」としたのかも知れないが、英語での発音は「エナジー」である。

エンゼルス=Angels、
解説)言うまでもない大谷翔平君の現時点での所属球団である。英語の発音は「エインジェエルス」なのである。「ロサンゼルス」=Los Angelesも同様に「ロスアンジェルス」で最も原語に近いと思う。何故かカタカナ語製造業者はgeを「ゼ」と表記する傾向がある。

カジュアル=casual、
解説)実は当方は1996年までcasualが「カジュアル」のようにカタカナ語化されているのを知らなかった。20年以上もアメリカ人の中で働いてきたが「カジュアル」という発音を聞いたことがない。「キャジュアル」であると固く信じている。どういう理由で「カジュアル」にすると決めたのだろうか。

クライアント=client、
解説)これなども不可思議な例であり、clientを「クライアント」になるのか解らなかった。もしかすると、フランス語読みかとも考えたこともある。先頃、カタカナ語の世界では「クライエント」は文字通りのclientの意味で使い分けているようだと解説したが、そんな使い分けをしている場合かという事。

コラーゲン=collagen、
解説)英語表記のcollagenを普通に読めば「コラージェン」になるはずだ。それが何故か、我が国では「コラーゲン」という表記になっていて、何処からの疑義が呈されなかったようだ。これの反対がRoppongiのようにローマ字で表記すると、外国人に「ロッパンジ」と読まれてしまう例がある。

セキュリティー=security、
解説)この「セキュリティー」などは私が最も嫌悪しているカタカナ表記だ。製造業者に問いたいことは「本当は『セキュアラテイー』が最も原語に近いにも拘わらず、ローマ字読み式にセキュリティーとする必然性がどこにあるのか」なのだ。何故、英語の本来の発音とは異なる表記をするのか、私には理解できない。平然と「セキュリティー」という有識者や国会議員たちの英語力が疑問だ。

チタン=titanium、
解説)原語の「タイテイニアム」が一気に短縮されて「チタン」で通用している。一時は「チタニュウム」と表記されていたことがあったと記憶する。

モデルナ=Moderna、
解説)ご存じの方が多くあって欲しいと願っている。このワクチンの製造元は「モデルナ社」ではない。製造業者は如何なる根拠があって「ル」と発音されない“r”を「ル」として表記したのか。この会社は「マダーナ」か、最大限譲歩しても「モダーナ」という社名なのだ。カタカナ語製造業者は事あるごとに「ル」とは発音されない“r”を恣意的に「ル」とするのは怪しからんと思っている。


報道機関はキチンと仕事をして貰いたい

2023-10-10 07:24:14 | コラム
彼ら報道機関はその役目を果たせ:

昨日だったか、何処かのテレビ局で「東山紀之社長が女装の役(というのか演技か)をして舞台で大健闘をしておられたので感動した」と報じていた。また、彼らはFTIコンサルティングがNGリストを作ったことを謝罪したとか、そんなことばかりを未だに取り上げて時間を費やしている。

彼らは何時もミーハー向けの事ばかりを如何にも重大事のように報じている。そんなことで済ましていられる時期ではないだろう。尤も、ある大学教授が某局の幹部に「何故低俗な番組を数多く流すのか」と尋ねたら「貴方のような方の層を対象にして番組を編成していない」と答えたと聞いたことがあった。

知人やメル友と色々語り合ったのだが、「彼ら報道機関は国家の重大事件でもないだろうあの性加害事件関連の扱いに、未だに集中している。彼らは世界でも国内の問題でも、報道する際の優先順位の付け方が解っていない。これは論外である」という点で意見が一致した。

確かに性加害問題はBBCやICOMOS(イコモス)にも取り上げられてしまい大きな恥をかいたが、この件は国家としての重大な事案ではないのではないか。これと比較するまでもないことで、イスラエルとハマスとの闘争が急速に戦争として本格化しつつ事の方が重大事なのではないか。ましてや、サウジアラビアとイスラエルとの間が急接近しているのであれば尚更だ。

あの地区でイスラム対イスラエル(というべきか)の闘争が激化でもすれば、あの地域からの石油に依存している我が国にとっては、ロシアに制裁を科して石化燃料の手当に問題が生じたのとは次元が違う危機が襲うかも知れないのだ。即ち、あの事務所問題は放っておいても構わないから、こういう世界情勢を遅滞なく正確に解りやすく報じるべきではないのか。

我が国では一般的にあの地区の単純のようで歴史的にも宗教が複雑に絡み合った状況は、十分に理解されていないと懸念している。アメリカにはウクライナ支援疲れ?が見えてきて、共和党内部に反対意見がある。だが、アメリカが従来通りにイスラエルを何処までどのように支援していくだろうかなどという問題は、即刻キチンと伝えるべきなのではないのか。

アメリカが「分断」などという言葉が使われて久しいが、政界も議会も揺らいでいる様などはチャンと時機を逸せずに理解して貰えるように伝えるのが彼ら報道機関の使命ではないのか。彼らの奮起を期待したい。


10月9日 その2 テレビ局と新聞社に告げる

2023-10-09 14:35:36 | コラム
テレビ局と新聞社に告げる「ラグビー日本代表がベスト8進出ならず」のように言え:

長ったらしい見出しになってしまったが、ここまで言わないと意味をなさないと思っている。いきなり話を本筋から外すが、当方はずっと「マスコミの持て囃しすぎと過剰な報道は、ろくな結果をもたらさない危険性が高い」と指摘してきた。この場合には、褒めそやされた当人かティームが思い上がるとか増長したというのではない、念のため。言うなれば「持ち上げ過ぎて、視聴者に過度な期待をさせてしまわないように報道して欲しい」のである。

何を指して言っているのかと言えば、昨日残念ながらアルゼンチン代表に27対39で負けて予選リーグ突破がならなかったラグビー代表のことだ。サッカー経験者だから僻んで言うのではないが、マスメディアはラグビーという競技を少し褒めすぎというか、何か神聖なるスポーツであるが如き扱いをしていると日頃から感じている。

今回のW杯にしても、我が国の代表が「ベスト8」か、それ以上に進出することを期待して、私に言わせれば過剰な扱いで報道してきたのだ。私は一般の方に大いなる期待を持たせたのではないかと懸念していた。あるフットボール経験者は「あれは何なんだ」と言って笑っていた。だから、褒めすぎとの間に因果関係がなかったにもせよ、少し格上のアルゼンチンにトライの数で言えば3本対5本で負けてしまう結果になったのだ。

我が国の代表ティームの活躍には誰しもが期待するものだが、マスコミ報道は極端に言えば詭弁的なのだ。それは、何かと言えば「ベスト8」と言うが、ラグビーのW杯の場合は参加国数が少なく、予選リーグが4組なのだ。その中で上位2位に入れば、決勝トーナメントに進出できる8ヶ国、即ち「ベスト8」に自動的に入れるのだ。

だが、サッカーのW杯では予選リーグが8組あるので、上位2ヶ国に入ってもベスト16でしかないのだ。だが、予選リーグの上位2ヶ国に入って勝ち上がったことは同じだ。サッカーではトーナメントで1回勝たないとベスト8には残れないのだ。だから、ラグビーの場合は予選リーグから勝ち上がれた場合に「ベスト8」と呼ぶのは誤りではないが、正確な報道ではないと思う。テレビ東京が報じたように「決勝トーナメント進出ならず」とする方が適切だと思うのだ。

今回も多くのテレビ局は「ベスト8」への勝ち上がりに絶大な期待をしていた。そう伝えたいのであれば、予選リーグが4組であり、勝ち上がれた時点で「ベスト8」入りだと解説しておいて欲しかった。サッカー出身者としては「サッカーの代表は「何時まで経ってもベスト16止まりの弱小ティーム」の如き印象を与えているように思えて残念なのだ。前回のW杯でも予選リーグはチャンと突破しているのだ。

彼らのラグビーを褒め称えているかの如き扱いは間違いであるとまでは言わないが、気になって仕方がない。しかも中継するアナウンサーたちは気取って「オフロード」だの「ジャッカル」だのと、その専門語を解説もしないで使っているのは如何なものか。また、試合終了を「ノーサイド」(=no side.)という、最早本国の英連邦でも使っていないと聞く表現を使って「如何にラグビーが紳士のスポーツであり、スポーツマンシップに則っているか」を強調するのも聞き辛い。

この関連で既に指摘したことで、アナウンサーも解説者も「左利き」を「サウスポー」(=southpaw)と言うが、これもアメリカでは最早死語に近いと教えられている。これを言うなら、某終身名誉監督が使われている「レフティー」(=lefty)の方が俗語であっても現代の言葉だ。言葉は生きているものを使って貰いたいもの。

ここまで縷々申し述べてきたが、報道機関には「伝えることの内容を正確に、適切な言葉を使って報道して欲しい」ので、その例としてラグビーの扱いに対して適切であると思っている意見を述べた次第だ。