12月26日は中国の政治家で思想家で軍人だった、毛沢東の生誕115年に当
たっている。
中国国内ではもちろんロシアを含む、世界各国の政治家や中国学者らがこの
記念日を祝った。
これに関連してロシアの声の評論委員は、次の様にコメントしている。
毛沢東の生誕記念日は、ロシアでももちろん祝われているが、それはロシアが
偉大な隣国である中国の歴史に、常に関心を抱いていたことから考えても当然
のことだ。
またソ連は1949年10月1日に毛沢東が、天安門で建国を宣言した中華人民共
和国を承認した最初の国でもあった。
毛沢東は複雑で(?)した人物として、中国の歴史に刻まれている。
中国は他でもない毛沢東の指導の下で独立した存在となった。
また社会改革の道を開き、当時のソ連との関係の発展と強化を推し進めたのも
他でもない毛沢東だった。
中華人民共和国建国の50年に亘りソ連は、この新たな誕生した国に経済を確
立するため支援を積極的に行った。
ソ連のスペシャリストの協力の下で、中国国内に建設された156に及ぶ大規模
な工場や企業は、今も中国経済を支えるものとなっている。
また中国建国50年にソ連の高等教育機関で、国にとって最も必要な専門を身に
つけた、中国の若者の数は1万7千人以上にも上った。
一方でソ連との対立路線が取られたのも、毛沢東が国家主席を務めていた時代
だ。
ソ連と中国との間に発生したイデオロギー戦争は、その後20年以上にわたって続
いた。人民公社の組織と大躍進政策の実施を掲げ、イギリスを追い越すことを目
標とした、毛沢東の政策は結局大失敗に終わり大量の餓死者を出した。
さらに1966年に毛沢東が行った文化大革命は、国民を破滅させるものとなった。
しかしそうした歴史がありながら、中国は毛沢東という人物を記憶し彼に敬意をは
らっている。
多くの事実がこのことを物語っている。
例えば中国の北京にある天安門広場には、今も毛沢東の肖像画が掲げられてい
る。
また今年の生誕記念日を前に、毛沢東の生まれ故郷では新たに整備された広場
がオープンしている。
最近モスクワ国際関係大学で開かれた会議「ロシアとアジア太平洋地域の国家間
組織」に参加した、ロシア科学アカデミー極東問題研究所所長は、インタビューに答
えた中で、毛沢東生誕115年に関連して次の様にコメント
している。
「毛沢東による重要な功績は、やはり1949年の中華人民共和国の建国だろう。
毛沢東の在任中には、文化大革命をはじとした失策もあった。しかし中国国内では、
毛沢東の政策のうち66%が肯定的なもの33%が否定的なものだったと考えられている。
そしてロシアの学者や政治家、中国問題専門家、ジャーナリスの多くは同じような見
解を示している」
ロシア科学アカデミー極東問題研究所所長は、この様にコメントしている。
12月27日放送 ロシアの声・ラジオジャーナル