本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

希望の季節:松山情報発見庫#155

2005-05-01 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
『「負けた」教の信者たち』,斎藤環

「負けた」教の信者たちというタイトルからも分かるように、この本では、容易に自分を負けているという状態に安置してしまう現代日本にある問題の分析を、若者の精神病理から人間の普遍的な問題へとまでその対象を拡大させている。

著者いわく、若者のニート、フリーターなどに始まり、ネット自殺などの精神的な問題はコミュニケーション能力の格差から生じるという。
この本ではこういうコミュニケーション格差から、自らを敗北したと判断した後の若者の姿の分析からその対策と実態をあぶりだそうとしている。

ただ、私が思うには、「コミュニケーション能力」という言葉自体に虚偽性を感じる。
能力といえば、なんだか習得するというか、技術といったイメージになるが、ことコミュニケーションに関しては事情は違う気がする。
コミュニケーション能力は言い換えれば、好かれるコツというようなことになるのではないだろうか?
あまり堅く考えずに、どうすれば好きになってもらえるかということを考えるそれが意外に「コミュニケーション能力」を向上させるコツではないだろうか?
嫌われても嫌われてもアタックし続ける。
そんなことからニート問題も、引きこもり問題も解決につながってくる気がする。
「能力」というよりめげないそのことが大事なのではなかろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする