杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

しずおか地酒サロン『英君』見学

2009-02-11 11:22:30 | しずおか地酒研究会

 ネタが多く、書く時間もなく、さらに風邪(気管支炎)がずーっと治らなくてしんどくて、数日遅れの報告が続いています。すみません。

 

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 6~7日の東京出張から戻って休む間もなく、8日(日)はしずおか地酒研究会の定例会・しずおか地酒サロン『英君酒造の吟醸造り見学&由比・駿河湾の味覚探訪』を開催しました。

 

 この時期の酒蔵見学は、蔵元のリスクになるので長い間避けていましたが、最近は「酒蔵が一年のうちで一番元気な姿を見てほしい」「蔵事情が分かっている人が案内役に付いてくれるなら安心」と受け入れOKの蔵元が増えてきて、昨年は白隠正宗(沼津)、一昨年は正雪(由比)、その前は高砂(富士宮)、若竹(島田)をこの時期に訪問し、ここ数年、地酒研の人気企画になっています。

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 ただ、一度に見学できるのが、多くても20人程度。毎回お断りする人がいて気が引けます。今回は当初15人定員で案内を出してほぼ即日一杯になり、蔵元に無理をお願いして5人追加したのですが、キャンセル待ちが10人ぐらい出てしまいました。なんやかんやでとにかく20人、東は伊豆の国市、西は浜松と、ほぼ静岡全県から集まり、にぎやかなサロンになりました。

 

 今回、英君見学を希望したのは、昨年3月の静岡県清酒鑑評会で上位に入った酒が素晴らしかったから。以前は県外の強カプロン酸系の酵母を使っていた時期もあったので、「英君、変わったな」と直感しました。

 その後、懇意にしている酒屋さんたちから「英君の評判がよくなった」と聞き、9月の静岡県地酒まつりin東京では、早々と酒がなくなるなど、英君の評価が確実に上がっているのを実感しました。今回のサロンの申込者の半数がプロ(酒屋&飲食店)だったのもうなずけます。

 私がブログ報告を怠けているうちに、参加した酒屋さんがご自身のブログでしっかり紹介してくれましたので、酒蔵見学の様子はこちらをご参照ください。

 

地酒イーハトーヴォ 後藤英和さん(旧岡部町)のブログはこちら

中屋酒店 片岡博さん(旧金谷町)のブログはこちら

英君酒造のホームページはこちら

 

 行きのタクシーの中で、運転手さんが「英君さんは息子さんが継いでから酒がよくなったよね~」と言っていたのが印象的でした。蔵元5代目の望月裕祐さんは、大学卒業後、酒蔵を継がず、大手菓子メーカーでチョコレートの研究開発をしていた人。「若いころは酒蔵に生まれたことの価値や意義に気付かなかった」と言います。

 

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 私も再三、いろんなところで書いたり言ったりしてきましたが、日本酒の蔵元というのは、ある意味、選ばれた特殊な人たちです。今もって、一般人が蔵元になろうったって、蔵元の娘さんと結婚して婿になるぐらいしか方法はなく、社員が出世して社長になったなんて例は、あり得ない閉鎖的な世界。ただ、日本酒が、昔のような呑まれ方・売られ方をしていた時代は、蔵元に生まれ育った若者が「後を継ぎたい!」と前向きに考えるのも難しかったろうと思います。

 

 家業を継ぐことになった裕祐さんも、いろいろと逡巡していたと思いますが、この20年ぐらいで静岡吟醸の酒質が向上し、評価が変わり、県内同業者の同世代の蔵元後継者たちが意欲的になり、互いに切磋琢磨しあうようになりました。

 

 まだまだマイノリティかもしれませんが、静岡の地酒ファンは確実に増えているし、「しかも静岡酒ファンになる人はものすごく熱があって、団結力もあって、こちらが気を抜けないほど」と裕祐さん。次第に自分に与えられた酒造家という職業の価値を認識するようになったといいます。

 いろんな酵母に手を出して、あれこれ試行錯誤をしていた頃は、自分がどんな酒造家を目指せばいいのか迷っていた時期だったと思います。

 

Imgp0430_2 Imgp0432  サロンでは、「今期からは全量、静岡酵母だけで仕込んでいます。鑑評会も、全国で金を狙うより、静岡県でトップをとるほうが価値がある。狙うなら静岡県知事賞です」と力強く宣言しました。すでにその先陣を切っていた國香、満寿一、喜久醉の蔵元が聞いたら、「やっと目が覚めたか」と笑いそうですが、はなから迷わずその道に進んだ3蔵に比べ、回り道をした分、英君の“伸びしろ”も大きいのではないかと感じます。

 

Imgp0411  さてさて、今回の見学では、久しぶりに『吟醸麹ロボット』に再会しました。しずおか地酒研究会の第1回地酒塾(96年4月)で県沼津工業技術センターを視察した時以来です。県と英君酒造と富士錦酒造の共同研究で開発されたもので、数時間おきに手入れが必要で蔵人の重労働の一つだった麹の切り返し作業の無人機械化を実現しました。といっても、実際には麹造り2日目に部分的に稼働させるだけで、重要な作業はやっぱり職人の手にかなわないそうです。

 

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 屋外に設置された細長いタンクは、水質向上に努力を重ねた亡き4代目英之介社長の自家製ろ過機です。サロン初参加で酒蔵見学も初めてという工学博士の小池俊勝さんがさっそく興味を持ったようで、「ああいうこだわりが酒をうまくするとわかって技術屋として感動しました」と感想を寄せてくれました。

 

 ちょっと長くなりますが、11年前の拙文を再掲しますので、英之介社長の遺産と、裕祐さんに引き継がれたモノづくりの精神に思いをはせていただければ幸いです。

 

 

 しずおか酒と人 「たった一人の飲み手を裏切らない」  文・鈴木真弓

 (毎日新聞静岡版 朝刊 1998年5月28日)

 

 今年(1998年)の全国新酒鑑評会。金賞を受賞した静岡酒の中で、個人的に、ああ、よかったなあと思ったのが英君(由比町)でした。

 当主の望月英之介さんはとことんモノ造りが好きな人。今から70年前、良水を求めた望月さんの祖父・保策さんは由比川上流の桜野沢の湧水を発見し、これが欲しいばかりに山を一つ買ってしまいました。醸造用水を引くとき、パイプが他人の家の畑をまたいでしまったので、保策さんは周辺民家83戸に給水することにした。まだ雨水を使っていた時代。人々は大いに喜び感謝しました。

 湧水は雨水が染み込み地下水となり、それが湧き出たものです。この水をもう一度上空から降らせ、土に染み込ませたらもっといい水になるのではないか。そう考えた望月さんは、3年前、消防用ノズルを改良した霧吹き装置を考案し、高さ10メートルのタンクの上から湧水を降らせてみました。霧吹きの水は水滴が小さく、10メートルの高さからでも、上空1500メートルから降る雨粒と同じ。望月さんは地下に溜まったこの水をさらにヤシガラ炭でろ過しました。すると、酒造の大敵である鉄分が、通常の醸造用水の0.01ppmから、0.001ppmに。この水で仕込んだ平成9酒造年度の酒が見事金賞を受賞したのです。

 「静岡は水がいいと言われますが、今以上、水を良くしようと努力する蔵元は少ない。ろ過装置を買って満足するぐらいでしょう。しかし酒造家なら水質を定点観測するのは当然。水は酒の命ですから」。

 米は自家精米にこだわり、蒸し米放冷機は友人の機械部品メーカー会長からラジエーターの羽(不良品)を分けてもらい、自分で造ってしまった。

 肝心の杜氏は、今年(98年)で11年目になる南部杜氏が現役で活躍中ですが、後継者不足は目に見えている。そこで県沼津工業技術センターと共同で吟醸用麹ロボットを開発し、杜氏の過去10年間の製麹データをソフト化。杜氏の腕の動きを再現するロボットアームが、データをもとに昼夜問わず活躍しました。

 明治14年の創業。「117年間も酒造を続けてこられたのは、100人のうち、英君を飲む人が一人しかいなくても、その一人を裏切らない酒を造ろうと努力してきたから」と語る望月さん。その努力が、米へのこだわりであり、自家精米であり、杜氏ロボットだったわけです。

 モノ造りの好きな人は自分に妥協しない強さがある。とても頼もしく感じます。(了)