昨日(17日)は東京の某新聞社の仕事で、長泉町にある『クレマチスの丘』を取材しました。庭園、美術館、文学館、レストランが集まった複合施設で、大人の文化テーマパークといった趣き。富士山や箱根山麓、沼津~三島~駿河湾が望める絶景地にあり、天気の良かった昨日は蒼い空が高く清々しく、朝は雪が降っていたという2月らしい寒さが心地よいほどに感じました。先週末の異常な暑さには参ってしまいますよね。
オフシーズンとあって、庭園には花がほとんどなく、主要施設も改修工事中でしたが、その分、室内で文学や芸術の粋をたっぷり味わうことができました。
初めて訪れたヴァンジ彫刻庭園美術館。前日に訪ねた静岡県立美術館のロダン館のような雰囲気を想像していたのですが、明るい館内のもと迫力ある作品がゴソッと並ぶロダン館とは違い、室内はきわめてシック。彫刻作品のために計算し尽くされた上質な空間が広がり、「静岡にこんなクオリティの高いミュージアムがあったのか…!」と唸ってしまいました。
ジュリアーノ・ヴァンジは現代イタリアを代表する具象彫刻家で、人間の本質をテーマにした作品を発表し続けています。ここは、ヴァンジをとことん愛する日本人コレクターが創り上げた、世界でただ一つのヴァンジ個人美術館。作品の配置、照明などはすべてヴァンジ自身が担当したというだけあって、作品同士の空間がたっぷりとられ、ライティングによって作られた影さえも作品の一部に思えるほど。作品にはヴァンジ自身の意向で解説プレートなどは極力置かず、作品名も気がつかないくらい小さく紹介されています。「アタマで理解するのではなく、観たままを感じてほしい」というわけです。
ヴァンジがつくる人の顔は、どれも左右がちょっぴりいびつ。方向によって違う人間のように見えたりします。人の肉体のいびつさって生命体の証拠だって改めて気付かされました。
個々の作品もさることながら、館内空間すべてが「作品」ともいえる空気に包まれ、サロンコンサートや結婚式も行われるそうです。なるほど、この空気が、人々の感性を掘り起こし、何か創造的な行動をとらせるんですね。美術館がただの鑑賞の場ではなく、人間を能動的にさせる力の源泉なんだって、ヴァンジ自身が訴えているような、そんな素敵な空間でした。(館内写真は事務所でお借りしたものです)。
昼は、かの料亭青柳の姉妹店として人気の『ガーデン・バサラ』で、自腹ランチ。取材なのに自腹なの?と思われるかもしれませんが、バブルのころは食事代や交通費や拘束費なんてのも原稿料にプラスしていただけた、い~い時代もありましたが、今はどの仕事も基本的に原稿料のみ。交通費も、県内移動ではほとんどナシ。もちろん条件のいいお仕事をたくさんしているライターさんや、話を聞いて資料をもらっただけで上手にまとめるライターさんもいますが、私は条件のいかんにかかわらず基本的に体験主義。納得のいく原稿を書き上げるのに、必要であれば自腹で買ったり食べたりするのもやむなしと思っています。
ガーデン・バサラのオーナー小山裕久さんとは、2004年の浜名湖花博で庭文化創造館のキッチンガーデンでご一緒し、小山さんは秋の月見の庭のコンセプトにあった創作料理を実演披露し、静岡の蔵元を季節の庭ごとに招いてテイスティングを楽しむ企画を担当していた私は、静岡の酒と小山さんの料理の共演をお手伝いした、という縁。クレマチスの丘にバサラの姉妹店を出店したと聞いて、一度はうかがわねばと思いつつ、なかなか機会がなく、今日まで来てしまいました。
今回の取材では、ガーデン・バサラを紹介するスペースは写真と数行のコメント枠しかなく、営業案内だけで終わってしまうので、わざわざ試食しなくてもよかったのですが、花博のご縁があったのと、やっぱり一般客としてテーブルに座り、外の景色を眺め、スタッフのサービスを受けてみて初めてわかる価値、というものがあるんですね。
ランチコース2800円。もしかしたら沼津の港周辺ならもっと安くてボリュームのある新鮮な魚料理が食べられたかもしれませんが、ヴァンジ芸術の余韻をひきずりながらいただく食事とサービスは、かくあるべきだと思える上質な時間を過ごすことができました。優雅にランチするマダムたちの隣で、いつもの取材スタイル(ほころびたダウンジャケットにすりきれジーンズ)がちょっと恥ずかしかったけど…。
日本酒メニューを見せてもらうと、2000円で3種類お好みをセレクトできるコースがあり、静岡の銘柄ではガーデン・バサラのオリジナル駿風(磯自慢)、喜久醉、開運が名を連ねていました。駿風はお土産にもできるそうですが、高騰しっぱなしの磯自慢人気のあおりか品切れ状態でした。(写真は事務所でお借りしたものです)
食事の後は、バスでひと区間移動の距離にある井上文学館を訪ねました。作家井上靖氏が「あすなろ物語」の中で、“寒月ガカカレバ キミヲシヌブカナ 愛鷹山ノフモトニ住マウ”とうたわれたこの地に昭和48年、スルガ銀行頭取の岡野喜一郎氏が建てたもの。存命中の文学者の個人文学館は世界でも珍しいものでした。
館内には井上氏の全著作、生原稿、創作ノート、資料、文献、パネルなどが収蔵展示されています。1階フロアでは、少年期の自伝的小説「あすなろ物語」「しろばんば」「夏草冬濤」、東アジア~シルクロードを舞台にした「天平の甍」「敦煌」「楼蘭」「風濤」、登山者の滑落事故を通して企業の製造者責任を鋭く突いた「氷壁」、大河ドラマで再ブームとなった「風林火山」など、代表作品が由縁の品々や資料とともにブロックごとに展示。こうして全作品を俯瞰で眺めてみると、この作家には子どもから年配の読者まで、それぞれの年代に読める作品があり、一生涯かけて読み通せる稀有な作家であることに気づかされます。
私個人でいえば、子どものころは教科書で当たり前のように「しろばんば」を読み、中学~高校時代は歴史、とくにNHKシルクロードの影響で西域小説にどっぷりはまり、大学ではその延長で東洋仏教美術を学び、ライターになってからは詩文・短編を文章読本のごとく読みあさり、「氷壁」のような長期の調査取材に基づく社会派エンターテイメントの面白さにも魅了されたものでした。
ところが、文学館の松本亮三館長によると、10数年前から国語の教科書から井上作品が消え、若い教師の中にも井上作品を読んだことがないものがいる、と聞きました。「井上靖の詩文や散文叙事詩は、松本清張や宮本輝など多くの流行作家にも影響を与えた。井上クラスの高質な日本語の文章を携帯絵文字に慣れきっている今の子どもたちに触れる機会をつくりたい」と、松本館長は、心ある国語教育の先生たちと交流を重ね、読書感想文コンクールでは学校をあげて井上作品に取り組んだ高校も現れたほど。また「しろばんば」「夏草冬濤」の洪作少年が歩いた道を文学散歩コースとして広く紹介する活動も県東部~伊豆地区の人々と続けています。
クレマチスの丘のすぐ近くにある静岡県立がんセンターの山口建総長は、井上氏が築地の国立がんセンターに入院されていたとき、隣室の患者の担当だったとか。プライバシー尊重という医師の職業倫理から、氏に直接お目にかかることはなかったそうですが、数年後に縁あって静岡に赴任し、すぐ近くの文学館で氏の絶筆とされる「病床日誌」と出会い、その言葉を医師として重く受け止めた、と文学館会報誌につづっています。
がんセンターには入院患者さんのための図書館があり、「あすなろ図書館」の愛称で親しまれています。文学館には患者さんやその家族もよく訪れるそうですが、館内に展示された「病床日誌」をどんなふうに読まれるんでしょうね。
それにしても、井上氏の手書き文字は、フォントの丸文字系のように親しみやすく読みやすいんですね。スタッフの德山加陽さんによると「修正や赤字を入れる時も、とても丁寧で読みやすいんです。井上先生が新聞記者の出身で、原稿を読む編集者や校正担当者の立場をよくおわかりだったから」だそうです。
すばる3月号(1991年)に掲載された「病床日誌」のコピーを目にしたときは、そうか、これが絶筆かと頭で受信するほうが先でしたが、手書きの生原稿を見たら、やっぱり頭ではなく、心臓のあたりにズンとくるものを感じました。過去の生原稿と変わらぬ端正な文字で、「私も亦、生きている」と結んだ最後の一行。…言葉をつむぐプロフェショナルはかくありたいと思えてきます。