昨日(23日)は(社)静岡県ニュービジネス協議会西部部会のトップセミナーで、浜松アクトシティ研修センターに大日本報徳社の榛村純一社長をお招きし、現代によみがえる二宮尊徳の教えについてじっくりうかがいました。
私にとっては、昨年9月27日、掛川市の大日本報徳社で開催された文化財シンポジウムで、榛村社長から、「二宮尊徳が、今、中国の知識階級から孔子よりも注目されている思想家だ」という新しい見解をうかがって以来。
ニュービジネス協議会西部部会役員の経営者が幹線道路沿いにある自社オフィスの前に二宮金次郎の負薪読書像を設置したことが、協議会内で話題になり、榛村社長をお招きすることになりました。静岡県の経済情報誌VEGAで尊徳特集が組まれたり、昨日も協議会会長のTOKAI鴇田会長やテレビ静岡の曽根社長など、静岡からもそうそうたるメンバーがかけつけるなど、ビジネス界ではちょっとしたブームみたいです。
08年9月27日のブログにも書いたとおり、尊徳の教えが現代人に通じる大きな理由とは、「経済のない道徳は寝言」「道徳のない経済は犯罪」という理念を、江戸時代の農民出身の尊徳が実践したということ。今の中国人が、道徳がつねに尊く経済を下に見る孔子より、道徳と経済を同等に論じた尊徳に惹かれるのも、自然かもしれません。
北京大学の研究者と話した榛村社長は、「北京五輪と上海万博が終わった後、2010年以降の中国では、もしかしたら内乱が起きるかもしれない。それほど都市部(ごく一部の沿岸地帯)と農村の経済格差は酷いという。行き過ぎた市場経済にブレーキをかける意味で道徳観が見直されているが、道徳ばかりを重んじる孔子にはいまさら戻れないと彼らは思っている」「彼らが見出したのは、アジアの中で唯一植民地にならず、短期間で近代化を成し遂げ、今もG7でアジア唯一の参加国である日本の経済成長の象徴であった豊田佐吉や松下幸之助の思想の源泉。それが報徳思想だった」といいます。
「孔子の思想は素晴らしいが、ある意味、日本の象徴天皇のような存在。一神教であるキリスト教やイスラム教では世界が平和にならない。報徳思想こそ、辺境文化に花開いた究極の東洋思想」とまで評価されているそうです。
その二宮尊徳。どんな人かといえば、小田原の農家の生まれで、14歳で父を、16歳で母を亡くし、酒匂川の洪水で田畑を2度も失い、貧窮のどん底を味わいました。薪を背負う読書像は「農家の倅だって字が読めるようになりたい、学問を身につけたい」と、薪を売りに各地を歩いた道中に時間を惜しんで本を読んでいた14歳頃の姿。百姓の倅が勉強なんかする必要はないというのが常識で、金次郎が夜、明かりをつけて本を読んでいたときも、叔父から「油代がもったいない」と非難され、自分で菜の花を栽培して菜種油をつくった、なんて逸話もある時代です。
農家だから労働だけでいいとか、学問は裕福な家の専売特許、という当時の常識にとらわれず、彼の脳裏には、はじめから、勤労と勉強は同等に大事で、一生続けていくものだという強い思いがあったようです。それは、家族を失い、身分の違いや農村の貧しさに翻弄され、幼い頃からさまざまな「格差」に直面してきた彼の生きるよすがだったろうと思います。
彼は「積小為大(小さな積み重ねがやがて大きなものになる)」を実践し、荒れた田畑を立て直し、その手腕が認められて、今でいう、土地改良コンサルタント→地域おこしプランナーとして活躍しました。
本来なら3000石の収益が見込める土地なのに2000石しか上がらない村では、首長に「3000石上がるように指導しますから、かわりに増益した1000石分は百姓に還元してください。それが条件です」と談判し、OKの地域だけ指導するという徹底ぶり。藩主や支配階級の武士にも「農民のやる気を起こせば豊かになる。すべては人民の勤耕である」と言いきかせたわけです。
藩が豊かになるのは殿様の功績ではなく人民の力だという、民主主義の原点のような思想を、江戸時代に広めたというのはスゴイこと。本来ならば吉田松陰や坂本竜馬を超えるような偉大な思想家として評価されるべきところ、若くして非業の死を遂げたヒーローたちに比べ、幕府に登用され、長生きをした尊徳は人気がなく、明治以降の富国強兵政策に“利用”されてしまったことで、今もって、正当に評価されずにいるようです。
負薪読書像は、少年の頃から勤労(身体)と勉学(頭脳)を同等に実践した金次郎の姿に打たれた全国の小中学校の指導者たちが自主的に設置したもので、軍部の強制でもなく、文部省から補助金が出たわけでもなく、偉人の少年像が銅像になった世界でもまれな像なのですが、戦後、次々に姿を消しました。
榛村社長も、文科省の審議会等で、報徳思想の重要性をたびたび訴えては、若い役人に白い眼で見られてきたそうですが、最近になって中国から再評価されるようになったとたん、態度が変わったとか。「日本は、黒船の時代から、外圧がないとCHANGEできない国です」と苦笑されます。
「報徳思想」という言葉はちょっと古くて、誤解されることも多いようですが、「報徳の根本は、社会や自然から受けた恩恵に素直に感謝するということ。農村に活気を与え、いい環境を次の世代に推譲という意味ではスローライフと言い換えることもできる」と榛村社長。亡くなった筑紫哲也さんとも意気投合し、スローライフの伝道に努めてきました。
今秋開催の国民文化祭しずおか2009では、11月3日掛川市生涯学習センターで、中国から研究家を招いて報徳思想についてのシンポジウムを開催する予定。
二宮尊徳の再評価が、日本の閉塞した今の社会にどんなCHANGEをもたらすのか、ちょっと注目です。