さて奥の細道から離れて現在の松島遊覧を楽しみましょう。
塩釜港から丸文松島汽船の遊覧船に乗りました。
船内では出港する前からアイスクリームやビールが売れていました。
芭蕉の時代でも船に酒樽など積んでそれなりに楽しんでいたみたいで人間のやることはいつの時代も同じです。
この売店の女性ですが船が走り出すとガイドに早変わり、説明がだいたい終わって松島港が見えるころにはお土産品を売りまくっていました。
彼女はお母さんを東日本大震災で亡くし自分も仮設住宅暮らしだそうです。本当に今回の大震災は被害が大きかったんですね。
それでは湾内の遊覧を楽しみましょう。
有名な仁王島です。
長い間の風浪雨雪によって下部の集塊岩は浸食が遅れ、頭部の泥板岩は横縞状に削れ、中間はやわらかい凝灰岩なので浸食が早かった。
昔話になりますがかつて行政書士会の親睦旅行で松島に来たことがありました。一日中バス旅行で何も考えず酒飲みながらうつらうつらしていました。
あの時はつまらない所だなと思いました。しかし今回は自分で調べたり天気も良く潮風に当たっているとなかなか松島も捨てたもんじゃないと思いました。
ただあの時はカモメが観光船を追いかけてきて、船内でも餌のかっぱえびせんなども売られていてどこの観光船にもある風景でした。
今回はカモメが船を見ても知らん顔していました。なんでかなあ?と思っていました。
上陸して公園をぶらぶらしていたら「カモメの糞で松が枯れてしまうので絶対に餌をやらないでください」という看板がありました。
なるほど、カモメも利口だなと思いました。餌をくれないなら乗客に演技しないという事か。
空中から人間の手をめがけて餌をとるシーンは結構迫力あって皆喜んだのですがね。
鐘島
断層の弱い所を波が打って破壌した洞門が4つもあります。
逆光だったので全体的に暗い写真になってしまいました。写真教室の先生にもう少し長いこと授業料払わないとうまくならないかも。
カキだかワカメだかの養殖のいかだです。
福浦橋(出会い橋)が見えてきました。
松島の観光桟橋に到着しました。
仙石線、本塩釜・松島海岸駅間は乗車しなかったので帰りに乗りました。
写真がいまいちで折角の松島湾がもうひとつ盛り上がりませんでした。
気を取り直して読書の秋です。
奥の細道(松島)前半部分を読んでみましょう。
抑(そもそも)ことふりたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡(およそ)洞庭・西湖を恥ず。東南より海を入れ、江の中三里、浙江の潮をたたふ。
そもそも、多くの先人たちの文章に言いふるされていることだけど松島は日本第一の絶景であって、まずは中国の洞庭・西湖に比べても遜色がない。
その地形は東南の方角から海を入れて湾内3里かの浙江を思わせる満々たる潮をたたえている。
島々の数を尽くして、そばだつものは天を指、ふすものは波に匍匐(はらばう)。あるは二重にかさなり、三重に畳みて、左にわかれ右につらなる。
島という島をここに集めて、そのうち、高くそびえるものは天を指さす尊大の形を示し、低く横たうものは波の上に葡匐膝行(はらばいになっている)するようだ。
あるいは二重にかさなり、三重にかさなって右に左と連なっている。
負るあり抱るあり、児孫愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉潮風に吹たはめて、屈曲をのづからためるがごとし。
小さな島を背負っているような形もあれば、抱えているような姿もあり、杜甫の詞にあるようにあたかも子や孫を愛しているようだ。
松の緑も濃く、枝葉は潮風に吹き曲げられて、その曲がりくねった枝振りは、自然のうちに、まるで人が曲げ整えたようだ。
其気色窅然(ようぜん)として、美人の顔を粧ふ。ちはや振神のむかし、大山ずみのなせるわざや。造化の天工、いづれの人か筆をふるい詞を尽さむ。
その景色の美しさは見る人を恍惚とさせ、物静かで美女がいやがうえにも美しく化粧をしたかのようだ。遠い神代の昔大山祗のなしたるわざだろうか。
造化の神の仕業はどんな人の絵筆をふるって描いても詩文でも言い尽くすことはできない。