ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

奥の細道旅行譚(石巻の続き)

2015年10月29日 | 旅行

まだ石巻市内にいます。

芭蕉が「思いもかけず斯かる所にも来れる哉」とその繁栄ぶりに感嘆の声を洩らした街です。

時々東京に行くと2020年東京オリンピックの歓迎ムードです。

千葉で暮らしていても東日本大震災はもう遠い出来事のように感じて時たまNHKの番組の合間に挿入される花は咲くを聞いて思い出すぐらいです。

でもこちらに来てみるとまだまだ復興過程は半分も進んんでいない感じです。

標高56mの日和山公園です。桜とつつじの名所です。

天気の良い日は金華山まで見えるそうです。今回金華山にも行ってみたかったのですがまだ復興の途中で定期的な連絡船も運航されていませんでした。(漁船をチャーターして行く)

鹿島御児神社の鳥居は海に向かっています。

奥の細道の説明と碑

奥の細道300年を記念して芭蕉さんと曾良さんの像がありました。

太平洋まで見渡せますが手前の陸地は津波の前は建物がぎっしりと建っていたそうです。

まだ道だけがやっと出来ています。

まだ復興が手つかずといった感じです。

中央に日和大橋が見えます。それを渡って左に行くと新しくなった石巻魚市場です。

北上川と中瀬です。

白いドーム状の建物が石ノ森萬画館です。

駅の方面、中心街です。

白い建物がみなと小学校です。そこまで津波は行かなかったみたいですがその手前はかなりの被害だったようです。

 

次に住吉神社に行ってみました。

芭蕉一行はこの後宿に入りました。

写真が暗くて恐縮ですが「袖の渡し」の石碑です。

義経が奥州下向の際、船賃の代わりに立派な着物の片袖をちぎって渡したことからの由来です。一行はこれを見学したかったのです。

みちのくの 袖のわたりの 涙川 こころのうちに ながれてぞすむ

             新後捨遺和歌集

奥州の袖の渡りを渡る時の心細さの涙ではないが、私の涙は心の中に澄み切って流れている。

小さな岩が石巻の地名の由来となった「巻石」

この辺りが川の水が渦巻いて流れていたそうですよ。

毎年行われる石巻の夏の花火大会はこの辺で見学するのが素晴らしいとか。

みちのくの豪華な花火大会がこれからも続くといいですね。

 

奥の細道(石の巻)後半部分 

「こがね花咲」とよみて奉りたる金華山、海上に見わたし、数百の廻船入り江につどい、人家地をあらそひて、竈の煙立つづけたり。

大伴家持が「みちのく山に黄金咲く」とよんで聖武天皇に祝賀の詩を献身した金華山を海上に見わたし、数百の回船が湾内に停泊して、人家が密集して食事の用意の煙も昇っている。

思いかけず斯かる所にも来れる哉と、宿からんとすれど、更に宿かす人なし。

おもいもかけずこのような大都会に来たものだと宿を探したけれど泊まるところが見つからない。

漸(ようよう)まどしき小家に一夜をあかして、明ければ又しらぬ道まよひ行。

やっとのことで貧しい小家に一泊して朝になればまた知らない道を歩きつ続けた。

袖のわたり、・尾ぶちの牧・まのの萱はらなどよそめにみて、遥かなる堤を行。

歌枕で知られる袖のわたり・尾ぶちの牧・真野の萱原などを眺めながらはるかに続く堤を行く。

細き長沼にそふて、戸伊摩と云所に一宿して、平泉に到る。其間廿余里ほどとおぼゆ。

何処までも続くかわからない長々とした沼に沿って歩き続け、戸伊摩というところで一泊して平泉に着いた。その間20里ほどかとおもわれる。

 

「翁は俳句も上手ですが紀行文も盛り上げますね」

「平泉がぐぐっと近づいたという感じでしょう」

「途中で今野太左衛門さんに石巻の宿を紹介してもらったのに宿が見つからなくてやっと小家に一泊したとか書いちゃって!シナリオ作家になってもいいくらいです」

「そんなこと曾良さんの日記に書いちゃだめだよ」

「黄金咲く金華山がでたと思ったら知らぬ道迷うとか心細さを誘ったりすべては平泉にこの文章は向かっているんですね」

「そのとおり!曾良さんもやっと僕の気持ちが分かってきたね」

「日和山から見る海は素晴らしいですね」

「これから300年後に大津波がやって来て壊滅的な打撃を受けるんだからね」

「人生は一瞬先は闇ですね」

「今回は軽口をたたくのはやめて東北の一日も早い復興を願って唱和しよう」

「がんばれ東北! がんばろう日本」 

まだまだ東北の復興は道半ばです。

コメント
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