瑞巌寺にやって来ました。もちろん芭蕉さん一行も寄っています。
828年慈覚大師が開創して現在は臨済宗妙心寺派の名刹です。
総門を入るとすぐに杉の大木が立ち並ぶ参道の奥に本堂が見えるのですが平成の大修理が行われていて入れません。(平成28年春ごろまで)
日光の陽明門も平成の大修理中です。外国から沢山の人たちが観光に来ているわけでちんたらやっていないで早く修理を終わらせればいいのにと思います。
観光に力を入れようというのですから観光庁の予算を増やして補助金をつけたらどうでしょうか。
参道を迂回する形で歩くと洞窟遺跡群が見学できます。
国宝の庫裡です。
白壁と木組みのコントラストが素晴らしい。
中に入りましょう。
玄関にありました。
更に進むと仮本堂(大書院)です。
廊下から修理中の本堂が見えました。
本堂が修理中のため本堂に安置してあるご本尊、大位牌、三代開山木像が仮本堂で特別公開されていて間近で見ることが出来ました。
ラキッー!
フラッシュは禁止ですが撮影は良いとのことで太っ腹です。
瑞巌寺ご本尊聖観世音菩薩
さてまた外に出てみました。
トンネルをくぐって修行道場や御霊屋のあるほうに行ってみました。
竹が風にそよいでいて気持ちが良かった。
修行道場
これで松島海岸沿いのビッグな観光地だけは急いで見ました。
芭蕉さん一行もここで夜になり宿泊したようですね。
奥の細道(瑞巌寺)
十一日瑞巌寺に詣。当寺三十二世の昔、真壁の平四郎出家して入唐、帰朝の後開山す。其の後に、雲居禅師の徳化に依りて、七堂甍改まりて、金壁荘厳光を輝、仏土成就の大伽藍とはなれりける。彼見仏聖の寺はいづくにやとしたはる。
11日瑞巌寺を参拝する。この寺の32代にあたる昔、真壁の平四郎なる人が出家して中国に渡り、日本に帰ってきて禅寺を開いた。
その後雲居禅師の徳によって七堂ことごとく改築され金色の壁、内陣の装飾がまばゆい光を輝かせ、極楽浄土を再現した大寺院になった。
それにつけても西行法師が書いていた見仏聖の閑居した寺はどこなのかと、慕われてならない。
「素晴らしい松島の一日が終わりましたね」
「海に面した旅館がとれ最高の気分です」
「雄島の上に月が出ましたよ。吉永小百合さんの大人の休日倶楽部のCMのようです」
「さて月をご馳走に夕食でも頂きますか」
「こんないい雰囲気なのですから一杯やりましょう」
「いつも大所高所ばかりでは曾良さんもストレスがたまって下着泥棒でもされては困るので少し飲みますか」
「アタシが捕まると監督責任で翁にも責任が行きますよ」
「群馬のほうの女性代議士のように秘書に全部おっかぶせて涼しい顔をするわけにもいかないな」
「それでは当地の銘酒、浦霞でも」
「そういうことはよく知っているね」
「いい気持になってきた。ひとつ昼間から聞こうと思っていたんですがあこがれの松島に来て翁はどうして俳句を読まないんですか」
「この素晴らしい景色と歴史に感動しまくって頭が真っ白です」
「さっきから原安適だ、杉風、濁子だとぶつぶつ言ってますが昔の人が松島で沢山の名句を詠んでいるので比較されるのが嫌なんでしょう」
「君は少し酒癖が悪いね。僕はねそんな小さな人じゃないよ。大所高所の人なんだ」
「わかった!芭蕉というブランドが傷つくのが怖いんですね」
「ますます嫌な奴だね。それなら曾良さんが句を詠んでください」
「いいですよ 松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」
(ホトトギスの鳴いて渡る姿が、松島の絶景に重なった。でも松島に似合うのは鶴の姿。
だからホトトギスよ、ここでは鶴の姿に借りて飛んでくれ)
「ほらね!せこい注釈つけても曾良さんのはなに詠んでいるのかわからない。猿蓑でもを基にしているんでしょうけど」
「耳が痛い。確かに翁の俳句は300年先の人が読んでも景色の雄大さとか旅の侘しさがすぐに解りますよね」
「ついでに 松島や ああ松島や 松島や は僕の句ではないからね。しっかり日記に書いておいてくださいよ」
「やっぱり松島で句を残さなかったのでつまらない誤解を招くんですね」
「旅が終わって大垣に帰ったら曾良さんを特訓して秀作が出来るようにしましょう」
「部下にあまり期待しすぎると東芝やフォルクスワーゲンみたいにとんでもないことになるので気をつけましょう」
「それもそうですね。夜遅くなってスナックもやっていないようです。寝ましょうか。灯を消してください」
「フッー。・・・・・・・・・・・良い夢を!」