ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

台湾紀行(台南市)

2015年12月15日 | 旅行

北回帰線を越えて台南市に入りました。

熱帯です。バスを降りると気温は30℃を少し超えています。

街は街路樹が青々としています。

台南市は人口188万人、最初に首府がおかれ台湾最古の町です。台湾の京都とも言われています。

木陰が気持ちよさそうです。日本では12月。

街角にて派手な看板。台湾でも選挙は一大出来事です。

民進党の宣伝看板。

ガイドの話では国民党の馬英九主席は国民からの人気がないので次の選挙では民進党の蔡英文党首(右側の女性)が総統になるのではないかと言ってました。

まずは赤嵌楼(せきかんろう)に行きました。

台南市では一番歴史のある史跡で1653年台湾南部を占領したオランダ軍によって建てられました。

1661年には鄭成功がオランダを駆逐してこの街を承天府と改名して政治の中心としました。

煉瓦でできた城門と基台はオランダ統治時代のものです。

以下司馬遼太郎さんの「街道を行く・台湾」の文章でオランダの事を引用します。

オランダは16世紀末にスペインから独立しました。

17世紀になるといきなり繁栄に向かい誰もが目が回るほど忙しくなりました。

人口はたった150万人でしたがチームワークの良さで英国をしのぎ世界で最初の株式会社「東インド会社」など設立しました。

もともと海を埋め立てた国家で上下の差があまりなかったそうです。

そしてこの多忙な時代にスピノザのような大哲学者が出ました。

またレンブラント、フェルメールといった大画家が出現しました。

17世紀もオランダの最大の根拠地はインドネシアのバタヴィアでした。

そして日本とも貿易を始め、オランダの商船隊はバタヴィアから台湾を見ながら航海して長崎に来ました。

それまで日本と交易のあった英国やポルトガルを排除する調子の良さですがさすがに明とは勝負にならず台南に入ることを許されました。

そこで鹿皮が日本で高く売れ、砂糖の栽培で大儲け順調のようでした。

しかし海賊の鄭成功が台湾に大挙来襲してオランダ軍を降伏させました。

 

そしてオランダ本国もその繁栄に嫉妬する英国から執拗な海上攻撃を受け、フランスからも1672年陸上から攻撃をうけ、衰退に向かいました。

オランダの人口150万人、たいして英国は500万人、フランスは1000万人以上、とにかく人口が少なすぎました。

オランダは17世紀の栄光の時代の最盛期に台湾にやって来て、衰退が始まるころ台湾を去り「ました。

ご隠居の考えること。

オランダも海洋国家であり小さいながらも世界史で一度は脚光を浴びました。スペインも、英国も、ポルトガル、古くは(紀元前)イタリアも。

日本も約30年前経済のバブルで世界を席巻して歴史上脚光を浴びました。その後人口が少ないのではなく政治的失敗から衰退にむかっています。

先進国と言われている国々は一度は世界史上で活躍しその後巡航速度で生きていけばいいのではないでしょうか。

 

いまでもオランダ人は冬季オリンピックではものすごく背の高い選手がスピードスケートで活躍し、世界の紛争地には平和維持軍として義務を果たしキラリと光った民族だと思います。

 

さて次は延平郡王祠に行きました。

大きな公園になっています。

延平郡王祠(えんぺいぐんおうし)は鄭成功を祀る廟です。

鄭成功は赤嵌楼で出てきました。その一生について、生い立ちなどの紹介もしています。

大きなガジュマルの木。

鄭成功の父は鄭芝龍といって海賊の親方でしたが明の政府がほかの海賊をまとめるようかれに官位を与えました。

ついには都督になりました。

彼の得意先は日本でした。

日本に書籍、絵画、骨董などを売り、日本から金銀や銅を得ました。

日本の倭寇貿易を一手に引き受けていたのが平戸の(長崎)大名松浦氏でした。

鄭芝龍は松浦氏と結び平戸城下に屋敷を構えました。

やがて平戸の武士田川七左衛門の娘をめとり児をもうけました。のちの鄭成功です。

鄭成功の母はマツという。気品のある写真もありました。

鄭成功は6歳の時に平戸を離れて福建省平鎮に移ります。

彼が20歳の時明は清に滅ぼされますが父と共に明の残された王族「唐王」を擁して福州に移りました。

そして母田川氏を平戸から呼びます40歳半ばでした。ところが父鄭芝龍が清に寝返ります。

清軍は戦わずして城郭を落としました。唐王は殺されました。

母親は城郭に登り身を投じ死にました。

鄭成功は戦場にあって父の奔敵と母の死さらには君主が敵に拉致されたことを知りました。

彼は名将でした。

その後アモイ、金門島などを根拠地としてやがて大艦隊をもって台湾に進出、オランダ人を駆逐して根拠地としました。

そしてその生涯は38歳で終わりました。

歴史の教科書などでは習ったかどうか忘れましたがこういう場所に来てみると日本も改めてアジアの国家であり近隣諸国とつながりがあるだなと思いました。

さて本日の旅はこれで終わりません。さらに50km離れた台湾第二の都市高雄に向かいます。(約1時間)

コメント
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