今日は高雄市のホテルを出て島の南端を反時計回りに走って平洋側出でます。
台東まで150km(約3時間半のバス)そこで昼食さらには観光して花蓮まで100km(約2時間)かなり長いバスの旅です。
前にも書いたように台湾時間は日本よりちょうど1時間遅くなっています。
ツァー客は大半がご婦人たちのグループでしたがNHKの朝の連続ドラマ「あさがきた」を観られてよかったねと言ってました。
台湾であさがきたが終わると7時15分です。それから荷物を整えて7時45分頃の出発です。
それにしても女性は元気です。男性は会社をリタイヤーすると奥さんと旅行する以外は自宅に閉じこもっているのでしょうか。
♪朝の空を見上げて
今日という一日が
笑顔でいられるように
そっとお願いした♪ 主題歌のように元気で出発です。
まずは三仙台へ向かいます。
バスが東海岸に出ると雄大な太平洋が見えてきました。日本よりブルーの色が濃いようです。
今までの台湾とは違った風景です。先住民が半分以上はこちらの地方に住んでいるそうです。
国道を走っていると小さな町が出てくるとまたすぐに畑や林になります。もちろん高層ビルなどありません。
平野は少なくすぐに山になりそこから3000m級の山岳地帯です。海上から見たら本当に緑の島と言った感じでしょうか。
でも海水浴場としてはもってこいのようで日本の海辺の漁村のようです。
三仙台に着きました。ちょっと天気が怪しくなってきました。
江の島のように陸繋島(沖合の島が砂が運ばれて陸と繋がった)と思ったら逆に岬だったものが海水に浸食されて島になったそうです。
橋で島と岬が連絡できますが1時間もかかってしまうので見学だけで終わりです。
司馬さんの街道を行くにも書いてあった中村輝夫陸軍一等兵の事を紹介します。
ガイドさんは「浦島太郎の話」として語ってくれました。
昭和18年中村輝夫(アミ族の名はスニヨン)は旧陸軍にすすんで志願しました。当時台湾は日本国でした。
初年兵教育を受け陸軍一等兵としてモロタイ島に上陸して作戦中に終戦になりました。しかし全部隊に通知が徹底されず中村1等兵が発見されたのは終戦から29年もたってからでした。
そして台湾に戻ると妻はスニヨンが出征する時には身ごもっていてその後男子を出産したことを知りました。
その後妻は10年夫を待っていましたがあきらめて別の男性と結婚しました。
その婿はスニヨンの残した妻子を養って21年の間よく働きました。しかし彼はスニヨンの帰国を見届け(彼の哲学で)てだまって家を去った。72歳の時でした。
スニヨンはその後日本政府から補償金をもらって台東に住みましたが4年数か月で肺がんで亡くなりました。
旧日本軍の指導部はこんな日本から遠くの山の中の人達まで運命を変えてしまいました。生きている時はめちゃくちゃ反省してほしかった。
次は八仙洞です。
波に浸食されてできた16の洞窟があります。
石器時代の居住跡が発見されて台湾考古学上最大の発見と言われています。
第一級古蹟に指定されています。
洞窟の中には仏様や観音様が祀られています。
そして花蓮市に夕方到着です。
到着後アミ族民族舞踊を鑑賞しました。
ショーの最中は撮影禁止です。始まる前の風景です。
この中で豊作の踊りや死者の祀りなど披露しました。
アミ族の男性は勇敢とのことですが比較的小柄な人が多いなと思いました。
日本で活躍していたビビアン・スーもお母さんが台湾の先住民とのことです。
ビビアン・スーに似た可愛い女の子の踊り見とれていたら全体的に何やっているんだか印象に残りませんでした。
まあその程度のショーです。
さてさて今日も一日バスに乗っている時間が多かったのですが疲れました。