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母校・盛岡一高や岩手のスポーツ情報、読書感想、盛岡風景などをお伝えします。

そんな時代もあったねと・・・

2014年03月04日 | 家族・自分
裏(tairaの呟き)に、
大学浪人時代によくスージー・クアトロを聴いていたことを書いたので少し当時のことを書き留めておく。

予備校は仙台の東北文理予備校。
一高は上得意先につき、夏休みの講習会にはよく文理予備校の先生が来ていたものだった。

こんなことを言っては、天国に召された両親に怒られるが勉強をした記憶が無い。タバコは下宿で覚えた(今は吸わない)。

下宿は仙台市立台原中学校のすぐそばにあった。
下宿生は、盛岡一高1、盛岡三高1、佐沼高校1、山形南高校2、寒河江高校3、会津高校2、磐城高校1、福島高校1の総勢12人。

特に仲が良かったのが寒河江高校の3人で、夜な夜なかぐや姫の曲を聴きながら酒を酌み交わす日々。当然、「だべした(会津)」「だっぺ(磐城)」「んだべ(盛岡)」の方言が飛び交う。寒河江名物のサクランボ、磐城名物?のイナゴの佃煮も旨かった。

下宿のおばさん=三浦「ふで」さんはある宗教を熱心に信仰していて、「あんたたちも集会に出ない?」と誘われ、やむにやまれず犠牲になった者一人。夜、太鼓を打ち鳴らし念仏を唱える声が聞こえ気味が悪かった。

そういえば、同じ浪人仲間の一高同級生が三浦「でぶ」様っつー宛名でハガキ寄こしやがってかなり焦ったことがあった(笑)。

その後、寒河江高校出身の大沼は駒澤大学に進学。携帯電話がない当時、ハガキや電報で連絡を取り合って東京で何度かあったが、競馬に没頭する姿を見て小生から遠ざかったと記憶している。

しかし、、、
大学生でもない、高校生でもない、アルバイトもしない、(ついでに勉強もしない)、本当に無責任な人生で貴重な1年間だった。当時、巷では中島みゆきの「時代」が流れていた。

今はこんなに悲しくて
涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には
なれそうもないけど

そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
まわるまわるよ 時代はまわる
喜び悲しみ繰り返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって めぐりあうよ

旅を続ける人々は
いつか故郷に出会う日を
たとえ今夜は倒れても
きっと信じてドアを出る
たとえ今日は果てしもなく
冷たい雨が降っていても
めぐるめぐるよ 時代はめぐる
別れと出会いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ

まわるまわるよ 時代はまわる
別れと出会いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ

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