評価
ヴァレンティアヌス、ヴァレンスと続いた東方正帝を継いだのはテオドシウス。テオドシウスと西方正帝グラティアヌスは「親キリスト教路線復活の道」をひた走る。そして、この2人を懐柔し、その後のキリスト教会発展の礎を築いたのが属州長官から改宗してミラノ司教となった三位一体派(アタナシウス派)のアンブロシウスだった(在位374年~397年)。
このアンブロシウス、外交使節などをやって皇帝2人に接触してキリスト教会及び皇帝への絶大な影響力を持つこととなる。その結果、勅令の乱発による「異教(ローマ・ギリシアの神々信仰)」の排斥、「異端(アリウス派)」の排斥と続き、ついに388年、キリスト教はローマ帝国の国教となるのだった。やり手司教・アンブロシウスはキリスト教の理論武装マニュアルや聖人システムを構築し、テオドシウス死後の2年後(397年)大往生をとげる。
テオドシウスの後のローマ帝国は長男のアルカディウスの東ローマ帝国と二男ホノリウスの西ローマ帝国に分裂することになる。この時代、わが倭国は百済と連合し新羅を攻めている頃である。