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母校・盛岡一高や岩手のスポーツ情報、読書感想、盛岡風景などをお伝えします。

昭和43年白堊野球物語1-作:佐藤泰久(S42)

2016年08月05日 | 白堊野球物語
昭和43年は、一高18年ぶりの甲子園、ベスト8の白堊旋風、そして復帰前の沖縄勢との戦い、語り継がれる白堊野球の中でもハイライトであろう。この物語はその2年前から始まる。

私が3年の秋をむかえ、一高生活は残り半年もない時期のことだった。いつものように昼休み時間図書室にたむろし、雑誌などを読んでいた。まろやかな秋の日差しの日だった。昭和41年(1966年)、世情はといえば、60年安保は遠い過去であり、中央での日韓条約反対運動も陸奥盛岡の地では音も聞こえず、ノンビリとしていた。唯一図書室の書架にある「朝日ジャーナル」が中国の文化大革命を伝えていたのが印象に残っている。一口で言えば平穏な日々であった。

近くの生徒たちが声高に話している。

  「野球部のこどしの一年生はスンゲみてだぞ」
  「へーェ」
  「先生方は再来年甲子園サ出るのを期待してるズジェ」

聞くとはなしに聞こえてきたこの会話、そのときは少しは強いのかな程度の印象だった。しかし、野球部の同級生は「一年の小笠原はスゲぞ。バット振るどブルンブルン音するジェ」と呆れ顔に話すのを聞いて、期待は大きく膨らんでいった。

【作者紹介】
盛岡一高を昭和42年に卒業した佐藤泰久先輩は平成16年白堊スポーツ開設の背中を押してくれた大恩人です。遠隔地在住ながら、毎年母校の応援に駆け付けてくれた熱烈な盛岡一高ファンの一人でもあります。

白堊スポーツ開設当時、私を含めた盛岡一高同窓生3人がそれぞれの盛岡一高硬式野球部に寄せる思いを投稿していますので、順次ご紹介します。

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