まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

房総駅間ひとりウォーク(JR大貫駅~JR木更津駅 営業キロ15.3Km) その1

2015年12月30日 | 房総駅間ひとりウォーク
11月のウォークで、大貫駅構内の案内板でみた、「田沼意次ゆかりの地、小久保藩陣屋跡」というところが気になっていました。

調べてみると、佐貫駅方向へ1Kmちょっと戻った富津市中央公民館周辺がその場所だとわかり、今回は、ここから歩き始めました。
 

 
小久保藩陣屋は、古代(5世紀後半)の弁天山古墳に隣接してあったようです。後ろの盛り上がって見える部分が古墳。
その向こうには、東京湾観音さんの後ろ姿を遠望できました。
 
現地にたっていた説明書きを読むと、幕末まで静岡県の相良をおさめていた、田沼意次(曾祖父らしい)の直系子孫、意尊(おきたか)が、大政奉還によって、居所がなくなってしまった徳川16代宗家家達(いえさと)の静岡入りと入れ替わりで、ここ千葉の小久保村に入り、陣屋を作り、施政した場所だとのこと。明治4年には、廃藩置県により、小久保藩は消滅。
 
実際の史実はよくわかりませんが、辞令一枚で移動させらる総合職サラリーマンの悲哀のようなものが感じられた顕彰碑でした。
 
 
 
古墳の上の建物内に、竪穴式石室が展示されていました。
上部に突起のある作りは、畿内の大王陵級のものにみられるもので、東日本では、たいへん珍しいものだそうです。
悲しいかな、あたしには、巨大な石以外のものには感じられませんでした
 
県道157号(大貫-青堀線)を中心に、青堀駅方面へ歩きました。
 
 
道沿いに、あやしいほどりっぱな建物発見。
富津市役所でした。
 
 
 
隣には、千葉の本局のようなりっぱな郵便局。消防署も。
 
だいぶ財政的に厳しい市だと地元紙などでは報道されているけれど、こういうのを目のあたりにすると、この償却だけでも大変そう。
 
あたしの住む小さな町でも、りっぱ過ぎる庁舎が建っていますが、公務員が事務をするだけの場所に、あまりにもお金をかけ過ぎでは?と、しばし、ため息でした。
 
郵便局もお金を扱っている部分はともかく、大手の宅配物流企業は、プレハブのような建物で汗を流しているのを見かけます。日本郵政は、上場したといっても、まだ公務員気質なのかなぁ。
 
地図でみると、青堀駅に向かう途中(小糸川下流域周辺)は、古代須恵国といわれる文化圏があったらしく、たくさんの古墳がありました。
 
道沿いにあった、九条塚古墳、内裏塚古墳に立ちよりました。
 
内裏塚古墳は、南関東最大の前方後円墳だそうで、偶然ですが、いい思い出ができました。
 
古代房総には、都にもその美しさが聞こえた美人が二人いたそうで、その一人が、須恵の珠奈という、容姿端正で妖艶な女性だそうです。古墳の上には、『珠名塚碑』というのが建っていました。

ちなみに、もうひとりは、現市川市の真間の手児奈。こちらは、清純で花のようにほほえんでいたとか。万葉歌人の世界です。
 
近くに、飯野藩陣屋跡という近世三大陣屋跡が残っていると説明書きにあったので、回ってみました。
 
飯野藩、初代保科正貞は、徳川家康が伯父さん、という名門であったらしく、1648年から、1871年の廃藩置県まで、223年間にわたって、当地や関西の領地をおさめていたようです。保科正之の会津藩は、本家筋にあたるんだとか。
 
 
 
現在、建物等は残っていませんでしたが、陣屋を囲むお濠に沿って歩いていると、これは当時は、本格的だったろうなぁという感じがしました。
 
県内にある〇〇陣屋跡というところは他にも知っていますが、これほど広大な敷地は初めてです。
 
 

飯野陣屋大手口。
 
 
 
敷地奥には、飯野神社。
立ち寄って過ごした時間は、今の人の生活の中に、歴史が感じられ、静かな楽しい時間になりました。
 
 
 
 
青堀駅前に建つ、『古墳の里 ふれあい館』
電車の車窓からも見えたので、立ち寄り。無人の資料館兼休憩所のような施設でした。

周辺の古墳マップなどもあり、青堀駅を起点に、古墳めぐりをする場合は、寄ってみるのもいいかもしれません。
 
 
12時半過ぎ、青堀駅に到着。17000歩あまり。ちょっと、寄り道しすぎたかな!?
 
 
 
青堀駅前には、こんな風景も。
外房で見た戦争時の掩体壕かな、と思ったのですが、説明書きには、上野塚古墳との説明。
駅周辺開発で、掘り起こした後を保存していたものでした。
 
房総駅間ひとりウォーク(JR大貫駅~JR木更津駅)  その2へ続く
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房総駅間ひとりウォーク(JR浜金谷駅~JR大貫駅 営業キロ17.4Km)その2 

2015年11月16日 | 房総駅間ひとりウォーク

上総湊駅の先から、舞子浜方面へのびている県道256に入り、次の佐貫町駅を目指しました。
14時過ぎても、ずっと、富士山が東京湾(浦賀水道)越しに見えます。
 


富津市笹毛付近で、どしっとした、りっぱな家が目に留まりました。近づいてみたら、門柱のところに国登録有形文化財の表示が見えました。
個人のお宅のようなので、外から見学し、帰宅後調べたら、明治後期の建築で、上総地方の武家住宅風の構えを持つ近代和風建築『加藤家住宅主屋』だとわかりました。もともとは久留里城下の医師の家であったものを、こちらの網元さんが、明治後期に購入、移築したもののようです。明治時代、この周辺は漁業で賑わっていたのでしょう。すごい威勢ですね。
 
鶴峯八幡神社という、大きな神社がありました。養老年間(717年~724年)に創建され、中世には上総武田氏、里見氏の尊崇を受けたと説明書きがありました。
 


奉納もドカンと碇です。すごい!
海の安全と商売繁盛を願う、海の男たちの威勢ですね。
 


佐貫町駅へ16時ごろ到着。
この時期、日が沈みだすと、あっという間です。
前回のように、ナイターウォークは、危険だし、そこまで頑張って歩かなくてもいい。
佐貫駅から大貫駅までは、鉄道と国道465号が並行しています。
あと1時間で今回の目安地、大貫駅までひたすら歩くことにして、出発。
 


東京湾観音の下を、南無観世音菩薩と念じながら通らせてもらい、前へ前へ。暗くなる前に、帰路につきたい一心で、このころになると、釈迦も観音菩薩もありません。


 
『観音裏参道』という、バス停がありました。
地獄の沙汰も金次第とか、裏口入学とか、縁故採用とか、少し生きてきて、世の中は正規、正面突破の他にも、必ず抜け道があるということがようやく解ってきましたが、南無観世音菩薩とお参りするにも、裏があるのか、と笑ってしまいました。
生きるのが上手じゃない人は、正規、正面突破ばかりでいくから、だめなんですよね(笑&気づくの遅すぎ!)
 
陽がどんどん暮れてきました。
大貫漁港で小休止して夕日をみたら、富士山が赤く染まっていました。
こりゃ、きれいだわ!
 



浜辺では、若いお母さんが、子供たちが遊ぶ姿を遠くから見守っていました。
あったかい画でした。
 
まだ、少し明るさが残るうちに、大貫駅に届きました。
無事到着してみれば、やっぱり、観音さんのご利益かとも。
 


ここは、駅前に商店街があり、タクシーも止まっているような、街の駅でした。
君津商業の子供たちでしょうか、高校生がたくさんいて、元気のいいいこと。若いって、いいもんだなぁと、この歳になって感じます。
若いうちに気付いていれば、きっと人生も変わっていたでしょうね(笑)
 
今回のウォークは、天候に恵まれ、蘇我駅から歩き始めた駅間ウォークで、最高の一日になりました。
館山からここ大貫あたりまでは、どこな懐かしい文化も自然もたくさん残っていて、そこに暮らす人もゆったりているようでした。癒れる時間がたくさんありました。

次の青堀駅からのベイエリアは、京葉工業地帯が広がっていきます。



JR内房線 浜金谷駅~大貫駅 営業キロ17.4Km)    2015年11月04日
実際に歩いた歩数 32,038歩(22.7Km)

 

 

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房総駅間ひとりウォーク(JR浜金谷駅~JR大貫駅 営業キロ 17.4Km) その1

2015年11月15日 | 房総駅間ひとりウォーク

JR浜金谷駅からすぐの、東京湾フェリーターミナルに立ち寄り、今回のウォークを開始です。


神奈川、静岡方面にバイク(売っちゃいましたが)や車で出かけるときは、道路で都内を抜けるより、このターミナルから40分ほどですが、船に乗って、久里浜へ上がる雰囲気がとても好きで、暖かい時期を中心に、ときどき使っていた所です。
 
今朝は、雲一つない、最高のお天気に恵まれ、富士山が遠望できます。ターミナル構内の恋人の聖地「幸せの鐘」モニュメント付近で、休憩しながら、歩くコースをおさらい。うまく映ってませんが、このモニュメントの枠の中に、富士山の遠景が丁度入るのをはじめて見ました。幸先の良いスタートだと、気を良くして、鉄道と並行している国道127号を歩き始めました。
 


ローカルな雰囲気のある、鉄橋とレンガのトンネル(丑山トンネル付近)。南房総には、まだこんな昭和の風景がたくさん残っています。

 

 海へ傾斜した崖。最深部の水深は500m以上に達するという東京湾海底谷へ急激に落ち込んでいる海の底が想像できました。



入江に広がった砂浜では、海鳥だちが仲良く餌をついばんでいます。のんびり、まったりモード全開です。
 


国道添いの黄金井戸(ヒカリモ発生地、国指定天然記念物)。



「ヒカリモ」が日本で最初に発見されたのは、竹岡のこの地だそうで、鳥居の奥の洞穴内が、春になると「ヒカリモ」で黄金色になるのだそうです(いまだ見たことはありませんが)。
岩山の自然風化が進み、落石の危険があるようで、近くには寄れませんでした。
 
竹岡駅に到着しました。小さな無人駅でした。
 


国道に戻り、ぶらぶらと歩いていると、樹高4m以上はありそうな、巨大なエンジェルストランペットに遭遇。放任で育てたのでしょうが、良く育ったものです。こんなに茂ったのは初めて見ました。
 


12時近くなり、竹岡式ラーメンの梅乃家さん近くにきたので、久々に元祖の味を楽しんでいくことに。
今日も、しっかり20人以上の待ちの行列。
車を止める場所が少ない(あたしが知らないだけかも)こともありますし、今までは、並んでまで食べる方ではなかったので、実は、今回が2度目。


 
醤油ベースで、乾麺を使い、チャーシューと玉ねぎドサッて感じの素朴な味です。
 
並び始めて1時間ちょっとで、ラーメン完食。回転が速い!



おなじ国道127沿いにある、鈴屋さん。元祖系とは少し違いますが、駐車場も広く、入りやすい。元祖より、席数も多くそう待ったこともないので、竹岡でラーメンを食べるときは、こちらにお世話になることが多いです。味は好みなので、他へはおすすめはしませんが、私的にはとても美味しいと思っています。
 


上総湊駅に到着。
電車で竹岡ラーメンを食べに来る人は少数派でしょうが、梅乃家さんも、鈴屋さんも、竹岡駅からよりは、上総湊駅からの方が近くです。
竹岡駅にはタクシーもなかったので、歩くと大変かも(汗)
 

房総駅間ひとりウォーク(JR浜金谷駅 ~JR大貫駅 営業キロ 17.4Km) その2へ続く

 


 

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房総駅間ひとりウォーク(JR岩井駅~JR浜金谷 営業キロ9.7Km) その2 

2015年10月29日 | 房総駅間ひとりウォーク

富山をおり、JR安房勝山駅に向かいましたが、既に、残りのエネルギーを示す胸のカラータイマーは赤の点滅!
時間も押してきており、今日は行けるところまで行って帰ろうモードに。

安房勝山は、房総捕鯨の発祥の地。
今では、クジラと言えば、外房側の和田町あたりを思い浮かべますが、江戸時代まで、ここ勝山が捕鯨の中心であったようで、駅周辺にはたくさんの捕鯨史跡が残っています。

小高い丘の上に、天守閣のような展望台が見えます。安房勝山駅の電車の中からも見えましたが、ここ大黒山には、『房総の捕鯨の祖』といわれた醍醐新兵衛さんのお墓や鯨見台、捕鯨繁栄の碑などが残っています。
 

今回はのぼりませんでしたが、この展望台までの道も、かなり急坂で、のぼりがいがあります。

 

漁港脇、大黒山の下にある、勝山漁港直営食堂、『なぶら』
この辺に来たら新鮮なお魚ですね。

隣の保田漁港直営、『ばんや』は有名ですが、あたしのお気に入りは、こちらです。
価格帯は1000~2000円でそう変わらないのですが、『ばんや』のように、観光バスがど~~んと乗りつけこともなく、ざわざわという感じもなく、海に浮かぶ浮島を眺めながら、のんびり食事ができるのが気に入っています。

 

安房勝山駅に到着。
歩数は25000歩程度でしたが、富山登山でのアップダウンは、足に、「来てます!」

 

駅から海岸線に出て、源頼朝が、むかしむかし、石橋山で平氏軍に敗れ、伊豆半島、真鶴岬から安房国へ渡った際に上陸した地と言われている辺りを散策しました。

この辺りは、波も静かで、対岸の三浦半島などを遠望しながら、遠くのAMラジオの電波でも拾って、ぼんやり夕日を眺めて時間を過ごすにはいい場所です。

 

国道に戻り、道の駅『きょなん』。菱川師宣記念館脇を通過。
鋸南町商工会おさんぽマップ『保田海岸コース』を参照し、国道127号沿いにあった、菱川師宣生誕の地に立ち寄りました。

 

保田食堂さんというお店の脇の奥まったところに顕彰碑がありました。
縫箔師の職人さんの家に生まれたようです。
何度も車やバイクで通っていた場所ですが、今まで気づきませんでした。


 
海岸の方の別願院というお寺に、菱川家のお墓があるというので、足をのばしてみました。
お寺に入ると、元禄地震で亡くなった人達を弔うお地蔵さんが目に入りました。関東一円では、八千人以上、保田だけでも319人の人がなくなり埋葬されたと解説がありました。
今も地元に残るこういう記録に触れると、東北の東日本大震災は、ほんとうに、はたごとではないと思い知ります。

 

菱川家のお墓。

 

別願院脇に立っていた、『房州海水浴発祥の地』顕彰碑。
明治に時代に、まだ20代前半の学生であった夏目漱石が、房総旅行に出掛け、その見聞をしるした『木屑録』を書きあげた、ゆかりの地なのだとか。
 

目の前には、今は秋で人気のない静かな砂浜が広がっていました。
たしかに、いい場所ですね。

 

もう日が陰ってきた、17時近く、保田駅に到着。
この駅は、春先の水仙、頼朝桜を見にときどき降り立つ駅です。

今日の目標は、次の浜金谷駅。あと、4km余り。夕闇に歩くのは危険。ひたすら歩いても、1時間はかかる。残りのエネルギーを示す胸のカラータイマー点滅もほとんど点かない状態!と客観的な認識はできたものの、無鉄砲の虫が、せっかくここまできたんだから・・・とうずいている。

歩くことにしました。

歩き出してから、やっぱり止めとけば良かったなと、いつもの後悔。
鋸山下のトンネルでは、迂回路がなく、ものすごく怖い思いをして、トンネル内歩行。道幅が狭いので、ほんと命がけ。ここは歩いて通っちゃいかんですね。
地元の人たちは、自転車や原チャリで走るときどうしているんだろう。

 

鋸山下のトンネルを超えたあたりで、頑張った自分に、思いがけずのご褒美がありました。
最高のサンセットです。

 

そして、なんども内房を訪れているのに見たことがなかった、ビッグ富士。
こんなに大きくみられるとは思いませんでした。

馬琴も北斎も伊八も師宣も、きっと浦賀水道越しに見える対岸の世界に大きな夢を馳せたのかもしれませんね。


 
18時過ぎ、もう、真っ暗な中、浜金谷駅にたどり着きました。
疲れたけど、夕焼けの富士山は、疲れをぶっ飛ばしてくれました。無鉄砲でも、歩いて良かった!

 

次は、竹岡駅。ここからは、また、都市化した平坦な道になっていきます。
外房線の勝浦駅辺りから続いた、トンネル内歩行も、たぶん今日が最後でしょう。

今の道路は、人の道ではなく、車のための道なんですね。
歩行者優先ではなく、車が優先するもんだと考えないと、命がありませんね。
便利さは、いいんだか、悪いんだか・・・。

次回は、できれば、久々に、元祖竹岡式ラーメン食べたいな。 

JR内房線 岩井駅~浜金谷駅 営業キロ9.7Km)    2015年10月07日
実際に歩いた歩数 4,0368歩(28.7Km)

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房総駅間ひとりウォーク(JR岩井駅~JR浜金谷駅 営業キロ9.7Km) その1 

2015年10月28日 | 房総駅間ひとりウォーク

今月は、JR内房線岩井駅から、浜金谷駅の沿線をぶらついてきました。

岩井は、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』ゆかりの地、富山(とみさん、349.5m)の最寄り駅です。

駅からハイキングで、『南総里見八犬伝ゆかりの地ハイキング~紅葉の富山(とみさん)~』(2015年11月21日~12月20日)が計画されており、その時期に歩こうと思っていたのですが、駅に降り立ち、隣接する案内所で話を聞いている内に、ひとりウォークの気軽さから、やっぱり今日歩こう、と予定変更。

先月の大雨で、コースの一部が崩壊し通行止めとなっているということで、福満寺・富山遊歩道側からのぼるコースで歩き始めました。

駅を出て左に進むと、すぐに、線路沿いに八房と伏姫の石像があり、気持ちもアップ。

 

案内人の方が教えてくれた、千葉県最大といわれる大ソテツを見学。



個人のお宅の庭にあるものですが、公開していただいており、すぐ近くで見ることができました。
嘘か、真か。源頼朝もこの大ソテツを見て、称賛したのだとか。
それほど、古いものだということだと思います。
 


経路に、勝山藩酒井家ゆかりの福聚院というお寺があるということで、立ち寄り。
この山門は、勝山藩祖・酒井忠国の寄進によるもだとか。
酒井家の殿様が訪れた際に用いた石組みの駕籠の置き場が残っていたり、波の伊八の彫刻が残っていました。

 

正面のハウスの上に、富山が見えてきました。
 


富山表参道の石柱を入っていくと、

 

福満寺の山門で、仁王像がやあ、やあ、やあとお出迎え。

 
 
福満寺の墓地脇から、登山道に入りました。
かなり急な坂道が続いていました。

三千メートル級の山が続く、長野県あたりの感覚で言えば、日本で一番標高が低い県、千葉県の山は、山とは言えないのかもしれません。
県内で、一番高い山が南房総市峰岡山系の愛宕山(408m)。富山は、4番目に高い山だそうです。それでも、山です。馬鹿にはできません。歩く格好して入らないと。

伏姫籠穴側からの遊歩道は、大雨の被害で、通行止めとなっていましたが、こちらのコースでも遊歩道が流された部分があり、スタートから、ちょっと先が思いやれらました。

 

南峰(観音峰)に、なんとか到着。
観音堂は相当荒れて朽ちていましたが、石段の減り具合と合わせ、その感じがとても長い歴史を感じ、ほんとうに、ここで八犬伝の物語があったのではないかという思いがわきました。
自然のままに近いので、一人で立っていると、ぞくっとするものがあります。

北峰(金毘羅峰)に向かう途中の、樹齢300年以上だという縁結びの杉。
鐘があり、子供たちの良縁を願って鳴らしてみたら、とてもいい感じの音色でした。
親がこんな人知れない山中で願っても、効き目ないわな、と苦笑い。

 

北峰(金毘羅峰)の金毘羅様の社と山頂の眺め。
 
青息吐息の到着ですが、小さな山でも、到達点まで頑張れたときに見られた景色はいいですね。
山頂には、展望台があり、そこにのぼって、房総の山並みを眺めながらお昼にしました。

 

展望台脇には、平成11(1999)年に、皇太子ご夫妻がここを歩かれた時の顕彰碑がありました。

伏姫籠穴には、40代の頃に、バイクツーリングで来たことがあるのですが、当時の自分は、富山登山は、時間がかかるし、疲れるからパスでした。歩くのも億劫という人間だったわけで、変われば変わるもんです。

今回は、疲れはしましたが、一歩一歩重い足で前に進み、風景、風情を楽しめました。
息が上がってきたとき、遠くの山並みを眺め、物語の作者、馬琴もここを歩いたのかもしれない、そんなことを考えながら歩いていると、八犬伝の物語の中を歩いているようでした。
物語を書くにあたって、一度や二度、現地を踏んでいるんでしょうね。

伏姫籠穴方面に降りる遊歩道は通行止めのため、同じ道を引き返し、下道から伏姫籠穴へ。

 

ここは奇麗に観光用に整備されていますね。

『南総里見八犬伝』には、房総各地の話題が出てきます。
馬琴は、現いすみ市岬町長者出身の中村国香(江戸中期の学者)の『房総志料』という書を下に置いて物語を創作したのだそうです。
ご近所が物語の舞台になっていると思うだけでも、安房、上総に住んでいる人には、今でも身近で、楽しい物語ですね。

房総駅間ひとりウォーク(JR岩井駅~JR浜金谷 営業キロ9.7Km) その2へ続く


JR内房線 岩井駅~浜金谷駅 営業キロ9.7Km)    2015年10月07日
実際に歩いた歩数 4,0368歩(28.7Km)

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