まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

良い方に行くのかなと思ったら

2024年12月07日 | 日記

衆議院議員選挙の結果、社会が少しは良い方向に動くのかなと思っていたら、どうも変なことばかり。

非課税世帯にまた現金をばらまくことを決定したというのもトホホな話。

アベノミクスは、大企業、富裕層を活性化させて経済を立て直し、その成果を一般庶民全体に浸透させようとした。

確かに経済は立ち直ったけれど、富は内部留保で中間層には恩恵なし。

結局、中間層の上部と字田舎の中小零細企業で働くような、中間以下の層との格差拡大という副反応が残った。

その後のお上は、税金を集められるだけ集めては、非課税世帯などにバラマキ。

一時的には効果はあっても、これを繰り返しちゃイカンでしょう。

非課税世帯は、すでにたくさんの手厚い支援を受けている。

本当に苦しんでいるのは、少しの年収の差で非課税世帯としての支援を受けられない中間層の中間から非課税世帯の境界線で額に汗して働きながら頑張っている人たちではと思う。

非課税の支援も受けられない、給付ももらえない。

これでは、お上が、貧しい庶民たちよ、働かずに社会の支援、生活扶助などを受けなさいと言っているようなものだ。

私は真面目に働いて税金を収めます。国は私を守ってください。仕事ができる環境を整えてください、というのが健全な形。

こういう国に、戻して欲しいんだけど。

日本人が穏やかで、社会全体も安全だったのは、全体が大きな格差のない中間層の人たちだったからだと思う。

一人勝ちする人がいる一方で、梅干し粥も啜れない貧しい人がいる社会に平和や安全はない。

これを壊すような政策は早く終わりにした方がいい。少なくとも何度も何度も『恒久』バラマキ戦法では、だめだと思う。

もう一つ、『「103万円の壁」見直し表明 財源が焦点 富裕層の負担増必要という見方も』などのニュースがよく目に止まるけれど、「はて?」って思う。

なんとか世論を「103万円の壁」の見直し反対の方向に持っていこうとする、お上の意向のような気がしないでもない。

「103万円の壁」というのは、国民民主党が選挙中にうったえたように、取りすぎている税金を広く庶民一般の手に戻して、それぞれに活力を持って頑張ってもらいましょうという、減税の話だと理解してきた。

減税に、『財源』ってナンですか?

増税なら、どこからとるかという『財源』とその影響はよく検討すべきだろうけれど、減税の財源は、「取りすぎている税金」ってことで、考える余地もないんじゃネ。

『富裕層の負担増必要』って、社会で成功した者は、社会貢献して然るべきっていうのが民主主義なんじゃネ。

成功って、たくさんの庶民が利用、支えてくれるからできるんであって、一人で部屋にこもって「成功、成功!」ってお題目となえていてできるものじゃない。

成功は、みんなからもらった成果だと思えば、持っているものを少し余計に出したってバチはあたらんと思う。

赤い旗の国の権力者にはない、自由で、民主的な国だからこそ、成功した人たちは一般庶民より少し多く社会貢献すべきだと感じる。

良い方に行くのかな、と思ったら、どうも変化はしたくないお上たちのようである。

 


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