まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

悪気はないんだろうけれど、割り切れないなぁ

2020年02月29日 | 日記

ヒートアップ気味の新型コロナウイルス問題で、今度は学校を休みにするという方針が決まって、昨日あたりから話題に事欠かない。

公立の学校等をこの際休みにして拡散を防ごうという考えは、子供たちを守ったり、親御さんたちの風評的な心配をなくすという面では、悪いことではないと思う。

教育の現場にいる方たちにすれば、そんなに急に決められても、不足する授業数はどうするんですか?など実務面での問題は山積だろうけれど、学校の勉強なんてものはそもそも社会に出て使わなければ、何の役にも立たず忘れ去られるものである。

逆に必要であれば、その時勉強する術はあるし、どんどん吸収できる。

子供達には、あのころ、卒業式間際に、コロナウイルスというのが流行って、学校が休みになったんだよなぁという社会現象の思い出の方がずっと強く記憶に残るに違いないし、生きる手掛かりになるだろう。

気になったのが、学校を休みにして、その分親御さんたちの負担を減らすために、学童保育は継続して受け入れるという点である。

困窮をしらない政府のお偉さん方に悪気はないんだろうけれど、割り切れない。

学童保育教室で働くスタッフの皆さんは、大半が非正規やパートなどのようで、収入面でも、労働条件的にも弱い立場である。
専門的な授業はしないものの、子供たちや親御さんとはそうとう濃厚な接触をする仕事だと聞く。

公務員として、雇用も、収入も、働く環境も整っている学校のスタッフが休みになって、その分、弱い立場で働く人たちが支える。

非正規労働者を増やし、人件費を浮かして、一部の人たちが平均以上の生活をすることで、なんとかもってきた平成の日本経済の縮図を見るようである。

結果としての格差は甘んじて受け入れるにしても、実態の格差を振りかざされるのは我慢できない。見ているのも辛い。

むしろ責任やリスクを背負って働くべきは、高いお給料をとり、安定した身分を保証されている人たちである。

末端までの、大方の生活者目線に立って方針を決定するのなら、こういう内容にはならないだろう。

今の政治家さんは、みな上から目線である。

選挙の時だって、どぶ板を踏んで有権者に訴える姿はほんとなくなった。

ネットやメディアの情報をもとに、方針を決定するような社会。

ほんとにこれでいいんだろうか。

コメント
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