ようやく公開になった映画『峠 最後のサムライ』を観てきた。
最寄りの映画館は、市原市五井かちはら台。
どちっちもちょっと遠いのだけれど、比較的交通量が少なく運転しやすいちはら台に決めた。
会場に着くと、マスクをしたたくさんの人がいたけれど、やっぱり以前の自分の記憶にある風景よりはだいぶ少ない感じ。
コロナ前は、年に数度はここにやってきて、大きなスクリーンで映画を楽しみ、めったにこない街の賑わいの中で、買物を楽しんだりしたものだけれど、「ここへ来たのは何年ぶりだろう」と振り返ると、もうかれこれ3年ぶりか。
恐るべし!新型コロナ!である。
自動券売機の操作も忘れてしまい、やっとこさ、発券。
『峠 最後のサムライ』の放映会場に入ると、20〜30人の方がいたかな。
コロナ対策では隣の方との距離も確保でき、有り難いけれど、これでは興行は大変だろうなぁ。
作品を観ながら、現在も西の方で行われている戦争と重なった。
同じような顔、同じような言葉を話し暮らしていた人たちが、相手を尊重する心をなくしたとき、関係性がかけ違い、泥沼の戦いを繰り返す。
「この戦争に勝てはしない。でも、負けはしない」という継之助の言葉が残った。
官軍の圧倒的な武力に勝てるはずはない。
でも、降伏してしまっては、自分たちが信じ守ってきたもの、長岡の、徳川の心まで失うことになる。
最後まで戦い抜くことで、人は死んでもその心、気が残る。
それが次世代に大切なものなんだ。
そんな言葉だったように思う。
ウクライナの国民が、あんなにも戦い続けるのは、その根底に同じような思いがあり、命をかけてでも戦うことでしか残せないもの、守れないものがあるのではないかと思った。
実際、北越戦争の戦いには負け、長岡はボロボロになったようだけれど、後に、継之助の死まで終始行動を共にした外山脩造をはじめ、山本五十六、近くでは田中角栄など傑出した人物がでて日本を動かしている。
「この戦争に勝てはしない。でも、負けはしない」ということなのだろう。
長岡付近は良寛さんの故郷でもあるけれど、本作品の中は、お釈迦様の教えがたくさん引用され、じっくり見ると深い味わいのある作品になっていたと思う。
私的には、河井継之助さんの立身編(小説の前半)、「八十里 腰抜け武士の越す峠」と詠んだ小説後半がとても面白いと感じる。
文庫本を引っ張り出して、また読み返してみようかな。
どっかに埋もれているはずである。