まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

次々と・・・

2022年06月11日 | 家事・雑草との日々

今年は、大雨というのはまだないけれど、しょぼふる雨っていう日が多くて、名も知らぬ草や木の伸びがやタラにいい。

名も知らぬ草や木といったって、世間様がつけた呼称(親がつけてくれた私の名前のような)はみなあるわけで、自分が知らないだけ。

名も知らぬ草や木も、日々暮らしながら、結果として土手の土が流れるのを守ってくれて、たくさんの虫や菌の生活の場を作り出している。

みんな、関係性の中で、ゆきすぎない節度を守って生きているということなのだと思う。

草刈りをしていたって、街を歩いていたって、知らない相手ばかり。

気を使う点は違うけれど、草や木は、間違って刈ってしまっても、即、脅迫してこない。

人間様は、些細なこと(その人にとってはそうではない)にも目くじらを立てる。

なにかと面倒なわけで、未だ、たぶん、死ぬまで、人間関係不得手でいくのだろうと思う。

さて、草や木の繁茂に伴って、例年、7月初めから行ってきた庭木の整理作業を、本日、目立って伸びて来たところから開始。

宅内は、お盆前にきれいになるように軽く作業。
もう一度やらなくては、と思う。

午後から、”開墾した畑(荒らしてしまっただけなのだけど)”に移動。

畑自体のこの頃は、まあ、普通の畑です(笑)までになって、菜園作業を楽しんでいるのだけれど、周りの雑木が・・・。

エンジン付バリカンでバリバリ刈って、ヤマブキの中にスクッと残った雑木。
「気になる!」

でも、毛虫がいそうで、「なんか、・・・」

鋏で根本まで届いたので、ガツガツ。
スコッって音がしたので、切れた!\(^o^)/と思いきや・・・。

木は不動!
鋏が壊れた(T_T)

先日の二代目一万円PCに続き、手に馴染んだ相棒がいってしまった。

壊れるときというのは、次々と続くものかもしれない。

今日は、母の命日。

新しい鋏を買いに街に出て、気持ちばかりの仏花を一緒に買って、字田舎に戻り墓地にお参り。

草取りやツルなどを整理、掃除して、『舎利礼文』を唱えて、「あんたの子たちは、まあ、そこそこ元気で暮らしているよ」と報告をしてきた。

7月には兄の息子さんが、コロナで延期になり子連れ披露宴となったけれど、お祝い二倍!の集いもある。
母にとっては、嬉しい流れに違いない。

消ゆくものあり、新しく現れて活躍するものあり。
今、という空間は、だれのものでもない。
今いる衆生がそれぞれ頑張ればいい。

みなの、共有空間なのだろう。

それで、いいんだろう。

数日、Webで探してみて、本日、三代目一万円PC、発注。

OSなしなので、chromeOSflexで使おうと目論見中。
中古なので、思惑どうりにいくか、まあ、この辺が遊び。楽しい時間でもある。

 

コメント
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