今年は、大雨というのはまだないけれど、しょぼふる雨っていう日が多くて、名も知らぬ草や木の伸びがやタラにいい。
名も知らぬ草や木といったって、世間様がつけた呼称(親がつけてくれた私の名前のような)はみなあるわけで、自分が知らないだけ。
名も知らぬ草や木も、日々暮らしながら、結果として土手の土が流れるのを守ってくれて、たくさんの虫や菌の生活の場を作り出している。
みんな、関係性の中で、ゆきすぎない節度を守って生きているということなのだと思う。
草刈りをしていたって、街を歩いていたって、知らない相手ばかり。
気を使う点は違うけれど、草や木は、間違って刈ってしまっても、即、脅迫してこない。
人間様は、些細なこと(その人にとってはそうではない)にも目くじらを立てる。
なにかと面倒なわけで、未だ、たぶん、死ぬまで、人間関係不得手でいくのだろうと思う。
さて、草や木の繁茂に伴って、例年、7月初めから行ってきた庭木の整理作業を、本日、目立って伸びて来たところから開始。
宅内は、お盆前にきれいになるように軽く作業。
もう一度やらなくては、と思う。
午後から、”開墾した畑(荒らしてしまっただけなのだけど)”に移動。
畑自体のこの頃は、まあ、普通の畑です(笑)までになって、菜園作業を楽しんでいるのだけれど、周りの雑木が・・・。
エンジン付バリカンでバリバリ刈って、ヤマブキの中にスクッと残った雑木。
「気になる!」
でも、毛虫がいそうで、「なんか、・・・」
鋏で根本まで届いたので、ガツガツ。
スコッって音がしたので、切れた!\(^o^)/と思いきや・・・。
木は不動!
鋏が壊れた(T_T)
先日の二代目一万円PCに続き、手に馴染んだ相棒がいってしまった。
壊れるときというのは、次々と続くものかもしれない。
今日は、母の命日。
新しい鋏を買いに街に出て、気持ちばかりの仏花を一緒に買って、字田舎に戻り墓地にお参り。
草取りやツルなどを整理、掃除して、『舎利礼文』を唱えて、「あんたの子たちは、まあ、そこそこ元気で暮らしているよ」と報告をしてきた。
7月には兄の息子さんが、コロナで延期になり子連れ披露宴となったけれど、お祝い二倍!の集いもある。
母にとっては、嬉しい流れに違いない。
消ゆくものあり、新しく現れて活躍するものあり。
今、という空間は、だれのものでもない。
今いる衆生がそれぞれ頑張ればいい。
みなの、共有空間なのだろう。
それで、いいんだろう。
数日、Webで探してみて、本日、三代目一万円PC、発注。
OSなしなので、chromeOSflexで使おうと目論見中。
中古なので、思惑どうりにいくか、まあ、この辺が遊び。楽しい時間でもある。