9日 NHK週刊テレビニュース
パデュー大学 根岸英一特別教授 ノーベル化学賞
北海道大学 鈴木章名誉教授 ノーベル化学賞
日本人ノーベル賞受賞者
科学 1981年 福井謙一 2000年 白川英樹 2001年 野依良治
2002年 田中耕一 2008年 下村脩 2010年 鈴木章 根岸英一
生物学 1949年 湯川英樹 1965年 朝永振一郎 1975年 江崎玲於奈
2008年 南部陽一郎 小林誠 益川敏英
医学・生理学 1987年 利根川進
文学・平和 1968年 川端康成 1974年 佐藤栄作 1994年 大江健三郎
アメリカ国籍を取得している南部陽一郎さんを含め、日本人は18人が受賞している。
自然科学系分野では一昨年までの10年間に日本では8人が受賞していて、
これはアメリカに次いで2番目。
日本のものづくりを支える科学技術の底力を示している。
今回、根岸さんと鈴木さんの受賞理由となったのは、“クロスカップリング”とよばれる化学反応。
炭素を含む有機化合物は、種類が異なると混ぜ合わせても結合しない。
パラジウムという金属を触媒にして効率的に化学反応を起こして、
新しい有機物を作り出すのに成功した。
この技術は身の回りで欠かせないものになっている。
薄型テレビや携帯電話に使われている液晶や、有機EL、医薬品など、
幅広い分野でクロスカップリングの技術が使われている。
鈴木さん、根岸さんがこの画期的な化学反応を見出すまでには、
一人のアメリカ人研究者との出会い、日本人研究者同士の切磋琢磨があった。
鈴木さんと根岸さんはともにパデュー大学の研究者から大きな影響を受けた。
1979年にノーベル賞を受賞したハーバート・ブラウン博士である。
かつて鈴木さんは、ブラウン教授の研究室に留学、2年間の指導を受け、
有機化学の奥深さにひきこまれたという。
鈴木さん
「私の現在の研究を提案してくれた先生。
教科書に載るような研究をしろとブラウン先生によく言われた。」
大学卒業後、帝人で研究に取り組んでいた根岸さんは、
自分の目指す研究に打ち込むためにアメリカへ渡ることを決めた。
そこでブラウン博士とであった事が人生を劇的に変えたという。
根岸さん
「ブラウン教授は私の唯一で真の恩師です。」
鈴木さんと根岸さんがブラウン博士と出会いのあと、本格的に取り組んだのが
“クロスカップリング反応”の研究だった。
昭和52年、根岸さんは亜鉛を使って二つの物質を効率よく安定して供給させる方法を発見。
昭和54年、鈴木さんがホウ素を加えることでより効率的に反応を起こす方法を確立した。
二人をよく知る研究者は、
当時の日本人研究者の切磋琢磨がこの画期的な技術を生んだと考えている。
中央大学 檜山教授
「可能性を求めて、ゴールドラッシュみたいですね。発見に対してワクワクしている時代。
受賞は日本の有機合成のレベルは世界を引っ張っていることを証明している。」
さまざまな有機化合物を大量生産できるまでに技術を飛躍させた鈴木さんと根岸さん、
ノーベル賞という大きな賞につながった研究人生を振り返る。
鈴木さん
「日本のような資源のない国、人と人の努力でできる知識しかない国では
理科系の発展は非常に重要だ。若い人たちの役に立つような仕事を続けていきたい。」
根岸さん
「大きな夢を持つということ。
基本的な能力があれば、正しく夢を追っていけば、私も50年夢を追っているわけだが、
その夢が実現する可能性はかなり高いと思う。」
パデュー大学 根岸英一特別教授 ノーベル化学賞
北海道大学 鈴木章名誉教授 ノーベル化学賞
日本人ノーベル賞受賞者
科学 1981年 福井謙一 2000年 白川英樹 2001年 野依良治
2002年 田中耕一 2008年 下村脩 2010年 鈴木章 根岸英一
生物学 1949年 湯川英樹 1965年 朝永振一郎 1975年 江崎玲於奈
2008年 南部陽一郎 小林誠 益川敏英
医学・生理学 1987年 利根川進
文学・平和 1968年 川端康成 1974年 佐藤栄作 1994年 大江健三郎
アメリカ国籍を取得している南部陽一郎さんを含め、日本人は18人が受賞している。
自然科学系分野では一昨年までの10年間に日本では8人が受賞していて、
これはアメリカに次いで2番目。
日本のものづくりを支える科学技術の底力を示している。
今回、根岸さんと鈴木さんの受賞理由となったのは、“クロスカップリング”とよばれる化学反応。
炭素を含む有機化合物は、種類が異なると混ぜ合わせても結合しない。
パラジウムという金属を触媒にして効率的に化学反応を起こして、
新しい有機物を作り出すのに成功した。
この技術は身の回りで欠かせないものになっている。
薄型テレビや携帯電話に使われている液晶や、有機EL、医薬品など、
幅広い分野でクロスカップリングの技術が使われている。
鈴木さん、根岸さんがこの画期的な化学反応を見出すまでには、
一人のアメリカ人研究者との出会い、日本人研究者同士の切磋琢磨があった。
鈴木さんと根岸さんはともにパデュー大学の研究者から大きな影響を受けた。
1979年にノーベル賞を受賞したハーバート・ブラウン博士である。
かつて鈴木さんは、ブラウン教授の研究室に留学、2年間の指導を受け、
有機化学の奥深さにひきこまれたという。
鈴木さん
「私の現在の研究を提案してくれた先生。
教科書に載るような研究をしろとブラウン先生によく言われた。」
大学卒業後、帝人で研究に取り組んでいた根岸さんは、
自分の目指す研究に打ち込むためにアメリカへ渡ることを決めた。
そこでブラウン博士とであった事が人生を劇的に変えたという。
根岸さん
「ブラウン教授は私の唯一で真の恩師です。」
鈴木さんと根岸さんがブラウン博士と出会いのあと、本格的に取り組んだのが
“クロスカップリング反応”の研究だった。
昭和52年、根岸さんは亜鉛を使って二つの物質を効率よく安定して供給させる方法を発見。
昭和54年、鈴木さんがホウ素を加えることでより効率的に反応を起こす方法を確立した。
二人をよく知る研究者は、
当時の日本人研究者の切磋琢磨がこの画期的な技術を生んだと考えている。
中央大学 檜山教授
「可能性を求めて、ゴールドラッシュみたいですね。発見に対してワクワクしている時代。
受賞は日本の有機合成のレベルは世界を引っ張っていることを証明している。」
さまざまな有機化合物を大量生産できるまでに技術を飛躍させた鈴木さんと根岸さん、
ノーベル賞という大きな賞につながった研究人生を振り返る。
鈴木さん
「日本のような資源のない国、人と人の努力でできる知識しかない国では
理科系の発展は非常に重要だ。若い人たちの役に立つような仕事を続けていきたい。」
根岸さん
「大きな夢を持つということ。
基本的な能力があれば、正しく夢を追っていけば、私も50年夢を追っているわけだが、
その夢が実現する可能性はかなり高いと思う。」