12月14日付 読売新聞編集手帳
落語家の立川談春さんは中学生の頃、
落語に親しむ学校の催しで東京・上野の寄席を訪れた。
のちに師匠となる談志さんが高座に上がった。
談春さんの『赤めだか』(扶桑社)によれば、
談志さんは四十七士の討ち入りを引いて落語論を語ったという。
「でもね赤穂藩には家来が300人近くいたんだ。
総数の中から47人しか敵討ちに行かなかった。
残りの253人は逃げちゃったんだ」
理性ではどうすることもできない心の働きを「業(ごう)」という。
「逃げた奴等(やつら)はどんなに悪く言われたか考えてごらん。
落語はね、
この逃げちゃった奴等が主人公なんだ」。
駄目な奴を認め、業を肯定するのが落語だよ、と。
「たまには落語を聴きに来いや。
あんまり聴きすぎると無気力な大人になっちまうから、
それも気をつけな」。
最後は、得意の毒舌で締めくくったらしい。
〈熱(あつ)燗(かん)や討入りおりた者同士〉(川崎展宏)。
被災者の身の上を思えば、
どんな苦労にも耐えられると理性では分かりつつ、
身勝手や怠け癖の“業”に震災後も負けつづけて迎えた「義士討ち入りの日」である。
熱燗と、
心優しい談志節が腹にしみ渡る。